ビィーーーン! ⇐ハッチの開く音・・船内からNISHIKAZEとETが下りて来た。
※E.Tの宇宙船ギミック
おぉ~!!到着したなぁ♪(2007年(H19)3月7日)オレのデロリアン故障してもうて、今日はETの宇宙船で過去に送って貰って助かったわ~♪。送らせてごめんね~・・えっ?なに?なんやてET?~もう少し大きな声で言わんと、聴こえへんで・・えっなに??~ ”E.T ...Go ..Home...”~・・
あっ!そうやった!うっかりしてた!すまん!すまん!そやな!きょうは記念すべき”ETの日”やったのに、ごめんね~ETは家に帰らんとな~!送ってもらってありがとうね~ET♪
えっ?なになに?二時間したら迎えに来るから・・って?~オマエ!E.Tは良い奴やなぁ~ありがとう!マジ助かるわ!涙出るわ(涙)・・そやねん。オレ戻らんとアカンねん(21年12月4日)~甘えさせて貰うわ~♪ じゃ!ET、2時間後に・・・~ByeBye!!!
さて、どっから見てみようかなぁ~♪・・あっ!あれはオレと愛犬や!・・見つからない様に陰でコッソリ様子見よう・・・※今回RemakeUp ※『⇒ ⇐』当時の記事内容
~時空は2007年(H19)3月7日 旧タイトル『石橋の町”大分県院内町』より~
『⇒ お目当ての「石橋」の有る風光明媚な所で車を止め、愛犬と一緒に、徒歩でその石橋を渡ってみた。此処、大分県は宇佐市「院内町(いんないまち)」・・あの「青の洞門」で有名な耶馬溪にも程近い所ですから、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
実はこの「院内町」には随分昔訪れた事があり、当時と余り変わった様子もなく、とてもこじんまりとした小さな町だ。因みに「石橋の町」としても有名で、石橋造り職人を全国に多く輩出している。また町内に現存する石橋のその数、75基はおそらく日本一の数だと思う。
パンフレットには、これらの石橋は江戸時代末期から昭和初期にわたって架けられ、一番古い橋で文久3年(1863年)から一番新しい橋が昭和32年(1956年)と記されている。
勿論、75基全てが何時の時代の建造かは判りません。中には江戸末期や明治初期そして、不詳という具合に紹介されているものもあります。院内に「石造アーチ型」が多いのは、幾つもの深い谷に集落が点在するという地形上の理由と、川が激流で「木造」では簡単に流されてしまう為に「石造り」が求められたという背景があるそうです.
石橋上の真ん中で足を止め川を覗き込む。水鏡みたいに川面に映る石橋を見ていると、遠い昔から知っていたような、何処か懐かしく優しい気持ちにさせられるから不思議だ・・
昨日訪ねた、近代建築技術の粋集め、建築された「九重“夢”大吊り橋」の大きさにも驚かされたが、この石橋を造る当時の「石工技術」にはもっと驚かされる。
※九重“夢”大吊り橋 全長:390 m 高さ:173m 開業:2006年10月30日
だけど、機械の無い時代、どうやってこの石を組んだのだろう?・・川辺に降り橋を袂から見上げ、この「匠の技」をアレコレ想像すると、色んなドラマが頭の中を駆け巡り、暫し”石橋”のロマンに浸れる事が出来た~^^ ⇐ 』
あっ!もうこんな時間!そろそろ戻らんと・・あれ?約束の時間は一時間も過ぎとる!!アイツ!E.Tの奴!どないしたんやろ?酒でも呑んで寝とるんと違うかぁ・・にしてもこの時代、オレのihornは繋がらんぞ!ガラケイなら繋がるだろうけど・・そんなもん持ってないし・・
・・まさか14年過去のオレに助けは求められんし・・もし過去のオレと口きいたら”タイムパラドックス”が起きて、全ての存在が消えてしまうからな・・だけど、どないしょう・・心細いなぁ・・..オレも..ウチに..帰りたい..~(ノД`)・゜・。
ゴォ~~~ゴォ~~~ヒユィ~~~~~~~~ン!!
あっ!来た!E.Tが迎えに来た!!・・あれ?違うか?うん?~なんやあれ???
ギョェ~~~!あれはダースベイダー卿の母艦デストロイヤーやんけ!!~オマエが迎えに来たんかい!!!・・嫌や!嫌や!・・無事に生身で帰れん気がする・・~(ノД`)・゜・。
ちゃんちゃん~♪
と、言う事で~どなた様も素敵な週末を
お過ごし下さいね~(´艸`*)
~よろしくです~♪
~Have a nice weekend~!!
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