重症筋無力症とバトルRunいやスマイルRunか(^^)

これまでの経緯

13年前に複視になり初め、疲れからだと思っていたら、徐々に全身に移行し
胸腺腫瘍による筋無力症と判明、当時のは抗体値386、手術とプレドニンの治療で半年入院し退院後直ぐに会社復帰したがストレスからか抗体値が60から67になり悩んだ時もあり2年間はスポーツはやらなかった。しかし1年半の投薬治療後からも徐々に抗体値も下がり2012年10月には22まで下がった。

回復の過程で6年前にダイエット目的で走り初め、5km、10kmの大会に参加
していたが一度はフルマラソの完走を夢見て3年前に長距離練習を開始
当時抗体値は22で体調も良かったが
現実は甘くなく34km地点で関門につかまりあえなくリタイア…しかし沿道の
声援と応援の素晴らしさに感動し翌年リベンジを誓うも翌年2013年はエントリー漏れになり、ますます思いが募った。2013年は練習不足から3月各務原ハーフはリタイアになり5月の清流ハーフマラソンは2時間46分。10月の大垣ハーフは2時間16分。当時10月の検査で抗体値は何故か62に上がっていたが症状が悪化した兆候は無くなかったため4月からタバコを辞めたストレスからだと思っていた。2014年は2013年に走れなかったうっぷんを晴らすために1月に指宿フルマラソに参加し5時間58分で完走
3月は各務原ハーフにリベンジして念願の1時間58分達成、4月はチャレンジ富士五湖の72kmに参加10時間52分で完走、ゴール間近のビクトリーロード
での声援に大感激して長距離走にはまってしまった(^^)
5月は清流ハーフマラソンに参加し2時間12分で完走、抗体値は67で変化なかったが6月に入り13年ぶりに目に症状(複視)が出始め飛騨ウルトラマラン72kmに参加したが37km地点であえなく膝痛でリタイア、直ぐにリベンジするため丹後100kmに申し込み練習を
開始した直前、風邪を引いたさいに症状が突然悪化した為、病院で抗体値を
検査したら220に悪化しており、主治医より練習を止められた。当時は症状も出ておらず月間200km~250kmの練習をしていた。従って練習を止めれば
抗体値が下がり症状も良くなると思い
楽観的にいた。練習なしの大会参加で10月はハーフマラソン11月はフルマラソとウルトラマラソンに参加、さすがにウルトラマラソンは54km関門でひっかかりリタイア
その後抗体値を検査し230で少し悪化していたが体感的には7月の220より
良く感じられた。2015年に入り症状が少し悪化傾向にあったため何かがおかしいと思いCT検査を行った所、横隔膜に腫瘍再発が分かり抗体値悪化の
原因が判明。
マラソン練習が原因と思っていたので
正直ホットした(^^)
2月5日の抗体値は330を記録、さすがに辛いので入院して手術前にγブログリで治療開始、330から
178まで改善、2月23日の手術後は150、血液交換を4回とステロイドパルスを3回実施し
その後ステロイド治療連日40ミリから開始、3月20日で退院した。
抗体値73まで改善していたが症状は
目に残っており、ステロイド治療もあるため5月6日まで自宅養生
現在5月17日の清流ハーフマラソン完走目指し練習開始
主治医からはこの病気との相性から
走る事は良くないのでほどほどに
と言われたが今後は抗体値を確認しながら走る事を続ける。

10万人に5人の希なこの病気になったとしても症状をコントロールする事により登山やランニングでも楽しみながら出来る事をブログで情報を発信する事で同じ病気で悩んでいる方の
良い参考、又は励みになれば幸いです。(^^)v

長くなってしまった。スマホでは辛い(>_<)

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