えんおりの縁(えん)

読んで頂いた方とささやかな「縁」を結んでいければと、広く自由にあれこれ思いや感情を発信する町工場のブログです!

能登半島地震

2024年01月23日 | 思い
  まずは今回の能登半島地震により亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。 また、怪我や病気をされたり、そうでなくても自宅や職場、学校等の物的損害を受け今現在も苦しまれている方々に心よりお見舞い申し上げます。 更には被災地復旧の為各方面で奮闘されている皆様に心より感謝申し上げます。 被災地の皆様が確実に心の安寧と日常生活を取り戻していける様心から願っております。 その為に自分自身が出来る事を考えて行動していきたいと思っています。


  観光の部分では七尾市の和倉温泉等、弊社でもお仕事でお世話になっている観光地が大きな被害を受けている映像をテレビで見る度に心を痛めています...



  地震直前の昨年末、私は久々に岐阜県の下呂、高山へ温泉♨旅行に行ってきました。 どちらも非常に活気があり、日本人より多いんじゃないかと思う位外国人観光客であふれており、これでインバウンドを含めた観光需要も確実に軌道に乗ってきたなと心の底から嬉しく思っていた矢先の事でした。


  
  以前何かのテレビ番組で、外国人(特に欧米系の方達?)の方々は地震に対して我々日本人以上に非常に大きな精神的ダメージを受けやすいという話を聞きました。 今私が心配するのは今回の地震で日本に対して災害バイアスがかかり、インバウンド需要に風評被害が生じる事です。 三年にわたるコロナ渦がようやく落ち着きを見せてきて、観光業はここからという大事なタイミングです。 ここは国を挙げてケアをして頂き、観光業界の皆様には逆境を乗り越えて欲しいと切に願っております。



  痛ましい地震で始まった2024年。 今年の年末には能登半島で生活される方々に笑顔が取り戻されている事、また能登半島地方の観光業に年末需要の活気が満ち満ちている事を心より祈りながら、今年一年能登半島を全力応援していきたいと、これを遅ればせながら新年の思いとさせて頂きます。

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私が思う 「今年の漢字」2023

2023年12月22日 | 思い
   こんにちは。 ご無沙汰しておりましたブログ久々の投稿です。 突然な話題ですがw、毎年この時期になると発表される「今年の漢字」(一文字で) ってありますよね。 因みに今年2023年の一文字は「税」だそうです(これって公益財団法人の日本漢字能力検定協会って所が主催しているんですね。 初めて知りました。)



   確かに今年は色々な場面で税金の負担や新しい税金制度、更には税金の使われ方等色々と議論された年だったなと私も思います。 他の有力候補としては「暑」、「戦」、「虎」等々。 なるほどね。


   
   私が今年の世相を表す漢字一文字として、これだと思ったのは「炙」、あぶ(り)... です。 正確には今年というよりここ1,2年かな? 



   小学校の時によくやったと思うのですが、紙に果物のエキス等で字やマーク等を筆で書いて、それを火で炙ると最初は見えなかったそれらがボワッと見えてくる、そう、炙り出しの実験です。 私も書いたものが見えてきた時は興奮したものです。 本当は「炙り出し」と言いたかったのですが、一文字という制約があるので「炙」としました。



   もう読んでいて分かる方は分かるんじゃないですか? ww この日本社会、何と炙り出し現象の多かった事か! 具体的な名前は申し上げられませんが、物づくり産業界、政界、エンタメ業界、大学教育界、等々... 違う分け方をしたらもっと色々あるのかな?



   先程も申し上げましたが、今年1年というよりはコロナ蔓延後のこの数年、って事ですかね。 私の勝手な想像ですが、日本社会の経済活動の特色、企業風土、人間(家族)関係、そういったもの諸々がここ数十年(バブル後?)に、それまで心や道義的繋がりに信頼の比重を高く置いていたのが、お金や地位・名誉の繋がりに信頼の比重を置く方向へと信頼の比重が一気にシフトしてしまったのか。 それでも要領良くやる人・我慢強い人・諦めてしまう人、そういった人達の、日本人の性とも言える良心・犠牲があり、ギリギリの所で表向き世の中は大きく荒れる事無く平穏に経過していったのか。 それがコロナ渦で社会経済活動が一度ほぼゼロになり、お金も人の流れも止まり、たちまち利益・拝金志向の世の中は軋んでいきギリギリ保たれていた様に見えた仕組みが一気に崩壊してしまったのか。 今まで水面下で見えていなかった、隠されていた物事があらゆる所で炙り出されて、本当の日本、本音の日本人が馬脚を露す所に今来ているのではないか。 



   私は有識者でも専門家でもないのでキチンと理論建てしてお話する事が出来ず、上記した様な思った事を羅列する様な又、誤解も受けやすい文章になってしまいますが、でも今私が正直に思っている事をそのまま書いているつもりです。 考えてみるとそういった具体的な軋みの一つ一つを知る度に衝撃を受け、何か怖い気も起きてしまうのですが、見方を変えればおかしかった事を時代に合わせて正常化させようとしている流れにも見えるんですよね。 皆様はどうお考えですか? 



   「今年の漢字」という事で書きましたが、「炙」は今年辺りが始まりの時なのかも知れません。 これからも日本社会の様々な部分の軋みが次々と炙り出しを引き起こすのではないでしょうか。 それは良き日本に向かっている流れだと前向きに考え、我々「(株)えんおり」も改めて心の信頼関係を第一に精進して参りたいと思います。 社名も変わったんだから!w 
 












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暖かくなってきましたね

2023年03月09日 | 思い

  こんにちは。 今週から急に日中の気温がグッと上がってくる様になりました(まだ夜間は寒くて気温差が激しいですが)。 先週は”春一番”らしきものも吹いて、いよいよ春本番が近づいてきたなと実感します。



  ただでさえ気持ちがウキウキしてくる毎年のこの季節なのですが、今年は特別な感じがします。



  コロナ関連の話が主なニュースになる事もめっきり減り、マスクの着用ももうすぐ必須ではなくなります。 自粛していたイベントも今年から再開するという話を至る所で耳にします。 スポーツの声出し応援も認めらる様になりました。 等々・・・・・・ 勿論コロナ問題だけではなく、国内外の状況はコロナ禍の時よりもさらに複雑・不安定になっているのも事実ですが。



  冬から春へという言葉の意味が、今年に限っては季節の変化という意味だけではなく、気持ちの変化をも大いに含んだ特別なものになっていると思います。



  私共が仕事のフィールドとしている観光業界もまさにそんな雰囲気が最近強く表れています。。 ここからいよいよやってやろうという熱量をお話しさせてもらう皆様から感じます。 もう気持ちは春じゃなくて夏じゃないのかってww



  自分もそんな方達から元気と情熱パワーを頂いて今年こそは上昇気流に乗っていきたいなと。 コロナ禍で苦しみあれこれ思い悩んだ事は決して無駄ではなく、必ず新しい考え方としてこれからの取り組みに生きてくると信じています。 



  今年こそこの季節の変わり目が広くいい意味で皆様の気持ちを暖かく、熱くしていく節目となりますように、パンパン(祈り)!!

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五十周年!

2022年04月19日 | 思い
  先日(と言っても一ヶ月以上前ですがw)、いつもお世話になっている銀行さんの支店長がいきなり花束抱えて会社に来られまして、「五十周年おめでとうございます!」との第一声。 あら、そう言えば3月10日でウチ創業から五十周年だった...ww  完全に忘れていたよ... 支店長さんありがとうございます(こちらの銀行さんとも創業以来のお付き合い(*^^)v)!




  何年か前から思い出した時には時々意識してはいた五十周年。 でもここ最近は、コロナ、外出自粛、自然災害、 更に直近ではウクライナ問題、円安、材料燃料価格の高騰と、もうこれでもかこれでもかという寄せては返す試練の波の連続💦💦💦で、翌月どう状況が展開するか全く分からない状況でして、いよいよ会社創業から五十周年なのかとしみじみ思いに浸る余裕等これっぽっちもありませんでした。 


  しかし、この激動の中、創業者(私の父です、今も健在です、念の為)から事業を引き継いではや16年目の春。 こんな小さな小さな、吹けば飛ぶ様な零細企業が、ほぼ業務用浴衣👘の染色加工一本でよく続けてやってこれたなぁと、今になってしみじみしてますww


  
  昨今は起業がブームというよりは当たり前になってきましたが、支店長さんのお話によると、中小零細企業の寿命はおおよそ創業から数年で多くが倒産・廃業となってしまうそうで、10年存続出来る企業は一割も無いとの事。 マジかよ! 何か肩の荷が重くなった様で、聞かなきゃ良かったかな...(^^ゞ  



  自分はただ引き継いでいるだけなので偉そうな事は言えませんが、創業者は、それはそれは大変な苦労をして、時には賭けの様な勝負に出て(創業当時は第一次オイルショックの真っ只中だそうで、やっぱいつの時代も厳しそ...)、がむしゃらにやってきて自分にバトンを渡してくれました。 そして半世紀。 よく頑張ってきたよ、遠織流通センター!



  弊社が身を置いている観光業界はここ数年もう逆風が吹きっぱなしで、コロナじゃないけど慣れて免疫が出来てきたようなw。 それは冗談ですが、ここまで続いた事がレアケースというならば、ここで終わってしまうのは勿体無いし、まだまだ会社の寿命を延ばしてあげたい!  どこまでやれるか分かりませんが、ヘロヘロになっていた自分に大きな勇気を与えてくれた、そして今だからこそ大きな意味があった、この創業五十周年の節目をしっかり噛みしめていきたいと思います。


  
  

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ウクライナの避難民受け入れで思った事

2022年03月09日 | 思い
 前回の書き込みからかなり時が経ってしまいましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。 弊社も新型コロナの影響をまともに受けている業界なので、正に現在”どん底”状態ですww(もう笑うしかない) ケセラセラってか!?


 話は飛びますが、ウクライナの避難民の方々を日本政府が人道的観点から積極的に受け入れるという方針である事を、岸田総理が表明してから数日。 いよいよ受け入れが実際に始まって私としては嬉しく思っています。 来られる皆さんが一日も早くウクライナへ笑顔で帰国出来る事を願わずにはいられません。


 ただ、国内では習慣の違いや治安等に対する不安から異論があるのも事実です。 そんな中思ったのですが、避難民の受け入れって日本は初めてではなく、そういやぁ昔ベトナム戦争の時にもベトナム避難民の方々を受け入れた事があったなと、自分の経験を思い出したんです。


 あれは自分が小学校3年生の頃かな(1976年位?)  当時私の家の斜め向かいに住んでいた民生委員の方が来られて、「ベトナムから避難してきた子がウチに来ているので会ってみない?」という話だったの。 後から分かったのですが、私の住んでいる浜松市には当時避難民を受け入れるキャンプ施設があって積極的な活動をされていたそうなんです。



 まだ外国の人と話をした事の無い自分には興味津々の話でして、即答OKして近所の友人数人と民生委員の方の家へ行きました。


 そこにいらっしゃったのは自分より2~3歳年上位の姉弟さん。 常に笑みを絶やさず応対してくれた事ははっきりと覚えています(^^♪  通訳の方を通して話をしてみると、自分と全然変わらない普通の人達。 とにかく優しい。 髪が黒々と光っていてとても綺麗。 箸の扱いが自分より上手いww   その場には「戦争」という言葉やイメージが存在する余地など有り得ず、限られた時間でお互いの事を少しでも知ろうと、ただそれだけでした。 プチ国際交流大成功♪


 帰り際に皆で記念写真を撮る事になり、ポーズは皆Vサイン(^^)vでと決めたのですが、弟さんが相手に手の甲を向けるVだったのが印象的でした。  この経験は自分にとっては忘れられない暖かい思い出として記憶の片隅に残っています。


 そういった経緯もあって、現在私の住んでいる町内にはベトナム避難民の二世の方々とか、更には産業的経緯から出稼ぎに来られたブラジルやペルーの方々とか、ご近所さんが様々な国の出身でして、「民族のモザイク コーカサス」って感じでしょうかw  浜松には「来る者拒まず」って気質があると個人的には思っているので、そういう環境も良い方に活かされているのかも?


 やはり各国々の人達にはそれぞれの生活スタイル・流儀ってものがあるので、生活していく上でそれがぶつかってしまうのは当然です。 私の住んでる町内でも、町内会活動やゴミ出し等、ちょくちょくトラブルが発生します。 でも自分を含めて皆さん何とか仲良く気持ちよく暮らしていきたいという想いは同じですから、共通理解、妥協点を見つけようともがきながら力強くたくましく生活しています。 ズッコケながらも地域共同体として立派に成り立っています。


 これから続々と必死の思いで避難されてくるであろうウクライナの方々と一緒に生活していく中で、必ずトラブルは発生すると思いますが、そういう事一つ一つをおろそかにせず、お互い相手の生活習慣や考え方を知ろうと積極的に関われば、必ず解決の道は開けてくると思います。 実際自分が多様性町内で生活してきて実感する事です。 将来自分達がウクライナの方々と同じ立場になる事だって有り得る訳で、自分の問題として気持ちを共有する事が今とても大切だと思います。 こんな事を思っていたここ1,2日でした、それではまた!


 


追記:  話が戻りますが、浜松に於けるベトナム避難民救済活動の事で調べていたら、白波瀬達也先生という社会学者の方が、当時の事について関係者の方に取材してまとめた記事があったので、此度の参考になればと思いましてリンクを貼らせて頂きます。

     
     「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|白波瀬達也|ニッポン複雑紀行

      

         


         

     

       

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