Pian piano(ピアンピアーノ)イタリア語でゆっくりと言う意味。 ゆっくり ゆっくり 人生と言う道を歩いていこう。

自然体、なすがまま、無理をせず、のんびりと生きたい。
一生懸命努力して頑張ると疲れるから自分なりに精一杯!でいい。

アムステルダム ベルギー パリの旅

2013-10-01 13:51:00 | 日記

9月12日残暑厳しい中、私達夫婦と妹夫婦とで叔母を連れて旅に出た。3月に海外旅行したばかりなのに思いがけず又、行くことに。4月半ば私たち姉妹を可愛がってくれた叔父が83歳で逝ってしまった。子供のいなかった叔父は私たち姉妹に遺産を残していて血の繋がらない叔母がそれにプラスαして渡してくれた。

今の時代、兄弟でも自分の取り分を守ろうとして争う例が私の回りでも多く見られる。そんなご時世に叔母は、私たち姉妹に叔父の遺した遺産を惜しげも無く、くれたのだ。叔父はサラリーマンたったので莫大な遺産ではないが叔父の気持ちが嬉しくて涙が止まらなかった。
叔父もヨーロッパに行きたがっていたが母の死。その2ヶ月後、予想だにしなかった30歳の娘のがん死。分かった時は、手遅れだった。あれから4年半今だに娘の部屋には、入れず写真も見れない。娘の死後、私は心労からか心不全を起こし入院。心臓がんかもしれないと言われ死も覚悟した。幸い血栓だったようで薬で命を繋いでいる。
娘の事は、旅に出る事で現実から遠く離れれば離れる程、余計忘れられないが何とか旅を楽しめるようになった所だ。
今回も義弟が計画を立ててくれた。半袖で出かけたがあちらはもう秋。ルフトハンザでフランクフルトで乗り換えアムステルダムへ。ホテルが取れずアパートメントに2泊。何でも国際的な会議があるとかでホテルが取れなかったようだ。そのお陰でアパートメントも高かった。

良く喋るトルコ人のタクシー運転手で横を見て話しながら運転するので怖いこと。急ブレーキで叔母は、座席前のトランクにつんのめってしまい指が少々腫れて湿布する始末。自転車大国で自転車だらけ。凄いスピードに驚く。トラムと自転車が行き交う中を歩くのは、ちょっと怖い。 アパートメントにエレベーターがないのには参った。

狭い螺旋階段で手をつきながら登った。私たち夫婦の寝室は、6階の屋根裏部屋だった。部屋は、綺麗だった。叔母は、若いと思っていたが今度の旅で2度階段を踏み外した。78歳だが叔父を亡くし急に痩せて歳を取った気がする。



翌日、レンブラントの夜警を見に行く。近くで見ると圧巻だ。衣装の光沢や装飾、光の当たり具合は、素人の私から見ても素晴しい。よくこんな絵が描けるものだ。人間業とは思えない。ゴッホ展にも行く。私は、個人的にはゴッホの絵には心惹かれない。フエルメールもオランダの画家だ。



オランダと言えば水車とチューリップだが時期的見られない。検疫を受けた球根を買う。それからアンネの日記のアンネの隠れ家に行く。カーテンを1センチたりとも開けれなかったとの事。狭い階段を登ると本箱でドアーが隠してあり部屋の壁には、エリザベス女王の子供の頃のロイヤルファミリー、映画スターの写真が沢山貼ってある。ラジオだけは、聞けたようでユダヤ人を虐殺するホロコーストの恐怖に怯えながら暮らしていたのだろう。そんな時代に生まれなければ…生まれた時代、生まれた環境によりこんなにも人生が変わってしまうのかと空恐ろしくなった。でも15歳のアンネは希望を捨てる事がなかつたとの事。結局、密告により収容所に送り込まれて劣悪な環境で栄養失調になりチフスで亡くなったとの事。ユダヤ人虐殺の原因は、ユダヤ人だったイエスキリストを十字架にかけてしまった事に由来するらしい。それから差別されるようになり世界中に散らされ卑しい職業とされた金融業とかを営むようになったようだが成功して行くのを妬かみ10万人を収容所送りにしたとのこと。余りにも短絡的だし人間はどこまでも残酷になることを思い知らされる。

アンネの家

運河クルーズは、あいにくの雨模様。水が汚いのには驚く。水上生活者の家や船が目にはいる。珍しい自転車、パフォーマンスをパチリ!曲がった建物にビツクリ!建物同士で支え合っているようだ。日本では、考えられない。



翌日は、曇っていた。タクシーで駅まで行きトランクをロッカーに預けて(コインではなくクレジットカードなので手間取る)王宮に行く。ダム広場でイベントが予定されていたようだが雨で引き上げていた。中央駅は、東京駅のモデルになったようだ。電車でベルギー のブリュッセルへ。



中世の街が立ち並ぶグランプラスの近くのホテルに泊まる。グランプラスでは、丁度吹奏楽等のイベントをやっていた。ライトアツプされた王宮や市庁舎は、美しかった。王宮のバルコニーに人がいたが貴族らしい。薄手のコートをとガイドブックにあったが薄手のダウンが欲しい位、寒かった。グランプラスに和服を着た日本人が。何処に行っても日本人が多い。日本は、まだ豊かだと実感!グランプラスの建物の中にゴディバの本店がある。少し歩くとジュリアン坊やと言われる小便小僧が街角にある。実に小さい。本物は1960年に紛失し今の像はレプリカとの事。



朝早く、ブルージユへ。今回、一番行きたかった所だ。想像以上に美しい街だった。レースが有名でいたるところにレースのお店がある。寒いので女性群は、広いマフラーを買う。ウールなので暖かい。川沿いでのみの市をやっていた。ベルギーと言えばワッフルだが日本のワッフルとは違った。



翌日は、歩いてベルギー王室の催しのある教会を訪れる。その後ブリュッセルの森、王宮へ。王宮に旗が立ってる時は国王が王宮にいるらしい。午後、グランプラスにかえつて来る。


妹夫婦と叔母は一足先にパリへ。私達はグランプラスの又、違ったホテルに一泊し自由行動。夫は、冒険が好きで路線図片手にメトロやトラムに乗り込み王立美術館へ。日本語の説明がなくただ一回りして来た感じだ。それから王宮へもう一度行きその後、日本大使館探したり、EU本部探したりして随分歩かされた。好奇心旺盛な夫に付き合うのも大変だ。

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お目当てのEU本部を見つけご満悦!

いよいよ夫とパリへ。上手く電車に乗れるか不安だったが無事パリに到着!言葉が分からなくても何とかなるものだ。タクシーの運転手、お店の人も英語だ。英語が公用語になって来てるのを感じる。パリでも妹達と別行動。私達は、地下鉄で凱旋門へ。3月は雪で登れなかったので今回登ってみる。250段程の螺旋階段に気が遠くなる。心臓の悪い私は、少し不安だったが2度程休み上まで登った。



そらからコンコルド広場へ。ルイ16世、マリーアントワネットがギロチン台で処刑された所だ。そこを通り抜けチェルリー公園へ。空が怪しい。この季節はヨーロッパは、通り雨が多く傘が手放せない。モネの代表作睡蓮を見にオランジュリー美術館へ。壁いつぱいに睡蓮の絵が…朝の睡蓮の色合いが一番心落ち着く絵だった。写真を撮れないのが残念❗️ルノアール、セザンヌ、ユトリロの絵も展示してあった。外に出たら雨。



モネの朝の睡蓮ネットより拝借


友達に勧められたサン.シャペル寺院へ。その頃は、雨も上がり晴れていた。最古のステンドグラスで世界遺産になってるとの事。礼拝堂の壁が全てステンドグラスだ。工事中で全体は、見れなかった。



クライマックスは、ベルサイユ宮殿だ。7年前、ツアーで来たが主だった所しか見ていなかったので余り記憶がない。ナポレオンの戴冠式の絵が2枚あると聞いていたが一枚は、ルーブル美術館もう一枚は、ヴェルサイユ宮殿だったことを思い出した。それにしても絢爛豪華な宮殿だ。民衆が怒りフランス革命でルイ16世とマリーアントワネットが処刑されたのも一時代を終わらせるのには仕方のない事だったのかなと思った。



その後、又私達夫婦だけでオペラ座へ。中に入るのは、初めてだ。バレエの公演のポスターが。妹達は、練習風景が見れたよう。



いよいよ最後の夜。疲れてテイクアウトの夕食を今回借りたアパートメントで食べる。



翌朝、タクシーでドゴール空港へ。妹達とは、何故かアパートメントが離れ離れになっていた。叔母は、英語が出来る義弟と行動を共にしてもらった。ドゴールからマイン空港へ。ルフトハンザで無事帰国。