性懲りもない不正で日本の五輪開催はこれが最後か

IOCの現在の主流派が この通りなら おおいに結構

伊東乾

性懲りもない不正で日本の五輪開催はこれが最後か

日本ではなぜかもみ消される電通の闇、海外では詳しく報道

・・・オリンピックを呼べるなら、多少の賄賂くらい仕方ない、というような「草の根の腐敗意識」が、国際的に腐った構造を温存し続けている第一の元凶だ

近代オリンピックはそもそも、営利と無関係なアマチュアリズムを基本とし、古代の平和祭典の復興を企図して1896年、アテネ大会を初回に打ち立てられたものです。・・・

戦争ではなくスポーツと芸術を通じて国際社会が平和に共存、繁栄するよう、強い理想像をもって打ち立てられた・・・

はっきりしているのは、IOCの現在の主流派はサマランチ時代からのこうした腐敗を一掃する基本方針だということです。

 しかるべきところで日本の不正が明らかになった場合、すでに開催に近づきすぎた東京五輪の返上などは考えにくいでしょうが、向こう何年間にわたって日本が国際大会を主催することを禁じる制裁措置などが講じられる危険性があります。

「五輪開催のためなら若干の袖の下はやむを得ないのでは」と思うような人たちは、これからの国際スポーツ界で一掃される対象になっている。そういう国際的な趨勢に正しく理解しないなら日本全体が国際社会でしばらくの間、葬り去られてしまう危険性すらないわけではない。それも「組織ぐるみの汚職国家」という、最低のレッテルをべったり貼りつけられた形で・・・

「そういう悪質なものは、もういらない!」とIOCは言っている。そうではなく、 時代と世界が要請する本当に求められる「新しい五輪プラン」を提示して、コンテンツそのものの力で開催を国際的に承認される本物の候補地が求められている。

 別の表現をするならば、「汚職やドーピング隠蔽などずぶずぶの偽者はいらない」と言われている。

 国内だけ「この金額は妥当」などと政治家なんぞを含め強弁して国内世論を収めたつもりになったとしても、こんな狂言は国際社会で全く通用しません。

 少なくともエンブレムやスタジアムなど、芸術文化表現面から考える限り、東京2020は何一つ真剣なコンテンツを準備していないまま候補地指名だけをもぎ取り、その後の内容空疎と悪質な利権構造をすでに国際社会に露呈しています。

 日本人として欧米でこの話題に触れるたび、恥ずかしく情けない限りです。

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・・・・今の東京でオリンピックを開いて、いったいどういうメリットがあるか、読者の皆さんにも考えていただきたい

2013年時点で私は「イスタンブール」での五輪開催を支持していました。  善くも悪しくも五輪利権と縁の薄い音楽家・一個人として「初のイスラム圏での五輪開催」には「つかの間の平和」をもたらすうえで、1990年代以降の国際紛争情勢を見るに、明らかにメリットがある

同様のことは2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会については、より強くそう思いました。「初の南米大陸での開催」また「新興国での開催」は、やはり様々な困難があるにせよ、歴史的な価値や役割は明らかにある

2020年には何にせよ東京で五輪は開かれる公算が高い。しかしその内実は恐るべき程度に無内容で空疎です

海外の報道は、要求された賄賂をトルコ側は払わず、日本は支払い、その結果イスタンブールが敗退したとも伝えています

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