ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ

 

ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ(養老 孟司) @gendai_biz

ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。

この度『ものがわかるということ』を上梓した、脳科学者の養老孟司氏は子どもの頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。

『バカの壁』の大ヒットから20年。そんな養老先生が自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方についての「頭の中身」を明かします。

養老孟司著『ものがわかるということ』

身体を伴って理解する

解剖は派手な作業ではありません。ごく地味な手作業です。

私がいまも作り続けている虫の標本も手作業です。私が扱う虫は小さい。虫なら小さくて当たり前だと思うかもしれません。そうはいっても、カブトムシとノミではずいぶん大きさが違います。私が作っている標本は、ノミのサイズが普通だから、単純に昆虫針を虫に刺せばいいというものではないのです。

ではどうするか。白い厚紙を三角に切って、その先端に糊で虫を貼る。紙の先をわずかに曲げて接着面を作り、そこに虫の横腹を貼り付ける。そうすれば、小さい虫の背腹両面が観察できる標本となります。

大変面倒くさい作業ですが、こういう手作業を経ないと、本当の「学習」にはなりません。学習とは「身につく」こと、身体を伴ってわかることです。

脳には文武両道があります。「文」とは、脳への入力です。本を読んでも、話を聞いても、人に会っても、森を散歩しても、脳へのさまざまな入力が生じます。脳はその入力情報を総合して出力をします。その出力が「武」です。

入力だけでは、水を吸い込むだけのスポンジと同じです。出力だけでは、ひたすら動き回っている壊れたロボットになってしまいます。

 

脳への入力は五感です。目で見る、耳で聞く、手で触る、鼻で嗅ぐ、舌で味わうことが入力にあたります。対して出力は筋肉の運動だけなんです。普通の人はそれに気づきません。

文武両道の武は、筋肉の動きです。骨格筋の収縮です。脳が外界に出力できるのは、筋肉の収縮だけ。出力は筋肉労働しかありません。だからこそ「体育」というものがあるんです。

身体の動きは、すべて脳から出ます。逆に言うなら、脳から出せるのは、身体の動きだけです。それはすべての筋肉を止めてみれば、イヤというほどわかります。

Photo by iStock

筋肉を止めたらまず呼吸が止まりますから、死んでしまいます。だからそこでは人工呼吸器を使います。それなら呼吸はできる。

呼吸は機械がやってくれるけれど、何か言おうとしても、何も言えません。筋肉が動かないと、声が出ないのです。舌も動きません。じゃあ、手真似身振りと思っても、手も足も動かない。むろん字は書けません。目配せもできない。頷くこともできない。表情もない。なんにもできないじゃないですか。

 

「比例」がわかるということ

今度は子どものことを考えてみましょう。生まれてしばらくの赤ん坊が、寝床の上で、自分の手を動かして、その手をしげしげと見ています。これが脳からの出力です。

そうすると、手の動きが「目に入る」。これは脳への入力です。それを見て、また手を動かす。そうすると、手の姿形が変わる。それがまた脳に入力される。それでまた手を動かして、と続く。これが脳の文武両道です。入力と出力が、ひたすら「回転」しているわけです。

どのように手を動かすと、どのように姿が変わるか。赤ん坊はそれを飽きもせず繰り返します。そうすると、脳の中には、入力と出力の関係方程式がひとりでにできてきます。

Photo by iStock

赤ん坊は次にハイハイを始めます。一歩動くと、目の前の椅子の脚が少し大きく見えます。もう一歩ハイハイすると、また大きくなる。いま見ている椅子、特定の椅子の脚がどう見えるか、それをいちいち覚えていたら、脳はアッという間にパンクします。この世にある椅子のすべてが、それぞれどこからどう見えるかを覚え込むことはできません。

では、どうなっているのか。一歩近づくと、見ている対象が大きくなる。それが脳にできてくる関係式です。関係式がわかれば、応用が利きます

 

近づいたら、大きさが変わる。変わらないところは、どこでしょうか。相手が三角なら、角度は変わりません。近づけば大きな三角になり、遠ざかれば小さな三角になる。でも、同じ三角です。角度は変わりません。これを算数で習えば、「比例」になります。

わざわざ習わなくても、脳は比例を知っています。遠くにいたらネコだが、近くにいればトラだとは思いません。そんな脳の持ち主は、進化の過程で生じたとしても、すでにトラの餌になっています。見える大きさは、距離で変わる。だから目にはモノサシはついていません。

算数の比例は、こうしてものを見ながら育ったおかげで、脳の中に「すでにできている」関係式を、意識が掘り起こしたものです

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