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スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか
以前も同じ記事紹介してありますが 再読しましょう
週刊現代 2015年9月26日・10月6日合併号より
「胃ろう」は虐待になる
スウェーデンでは要介護状態になったら、できるだけ在宅での介護が行われます。介護付きの特別住宅に入りたいと申請しても、それを認めるかどうかは『援助判定員』というコミューンの専門職員の判断に任せられる。本当の人生の終末期にしか施設に入ることが許さない、
状や要介護状態に応じて、一日に5度も6度も介護士がやってきていろいろと面倒を見るというケースが一般的
施設で24時間介護を行うよりも、在宅で何度も介護士を派遣するほうが結局はコスト的に安く上がるため、在宅介護が推奨される
スウェーデンを始めとした北欧諸国では、自分の口で食事をできなくなった高齢者は、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しいときには無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待だと見なされている
'80年代までは無理な延命治療が行われていましたが・・長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いた
スウェーデンではたとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。過剰な医療は施さず、住み慣れた家や施設で息を引き取るのが一番だというコンセンサスがある
介護する側もされる側も、寝たきりにならないように努力をする。それでもそのような状態に陥ってしまえば、それは死が近づいたサインだということで潔くあきらめる。それがスウェーデン流の死の迎え方
介護士は独居老人の家を頻繁に回り、短い場合は15分くらいの滞在時間でトイレを掃除し、ベッドメイクを済ませ、高齢者と会話をして帰るというようなことをくり返す。
日本の場合は病院経営をする医師などが主導権を持っているケースが多く、すぐ投薬・治療という方向になる。しかし、スウェーデンの場合は介護士たちが大きな権限を与えられていて、認知症の場合には薬を使うよりも、本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されています
介護は重要な雇用創出の機会にもなっている 日本では介護士というと薄給なわりにきつい仕事というイメージだが、スウェーデンでは安定した公務員で、経済的に困窮するようなこともない。
施設を訪れた家族が、食事や入浴の手伝いをすることもまずありません。家族は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえばそれでいい
遺骨は完全に灰になるまで焼かれ、墓の管理人が林に撒きます。匿名性が重視されるので、どこに灰が撒かれたかわからないように、家族は散骨に立ち会うことはできません。
先祖を崇拝する日本の価値観とはことなり、死んだらそれで終わりという価値観が根底にあるのでしょう。
充実した信頼できる福祉制度のもと、安心して人生を送り、死んだら森に還る——北欧の楽園には、日本人が学ぶべき幸せのヒントが無数に転がっている。
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