西郷隆盛は温泉が好きなのではなかった

宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)8月16日(水曜日)弐
        通巻第7865号

 

西郷隆盛と温泉
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 薩摩という土地柄を抜きにして西郷は語れない。
 郷中教育、薩摩示顕流という裂帛の剣法、鎖国時代の二重鎖国という政治構造、琉球統治、そして食文化的には焼酎があり、日本酒は飲まないのが薩摩男児である。
 もうひとつの特色は薩摩のあちこちに広がる豊富な温泉である。
 西郷隆盛を語るとき、切っても切れない関係は酒でも剣でも女たちでもなく、温泉における湯治なのである。この点に健康医学的に焦点をあてた論考はあまりないようだ。
 西郷伝記や評伝に正面から採り上げられた鰻温泉では江藤新平に会ったとかの場面しかない。ところが、西郷の温泉好きは第一に湯治目的だった。思考・熟慮・思案の目的も付随的だったであろうが、どの温泉でも西郷は長逗留をしている。
 薩摩半島の名湯は砂風呂で有名な指宿(いぶすき)だが、その南の山川から山側のほうに入ると、池田湖の東北湖畔にひっそりといまも営業しているのが鰻温泉だ。まことに鄙びた温泉郷で、全国的には無名、肌によいという評判があるものの湯治客は少ない
西郷隆盛はここで兔狩りなどをしながら時を過ごした。
 付近の集落が「鰻」と呼ばれるほどの名産地で、行って驚いたのはごろんとグロテスクなかたちの鰻が飼われている風景だった。
 当該の鰻は日本一の大きさ、マイカーか観光バスでやってくる観光客が池田湖を見学にくる土産センターの一番奥にある。周囲にはタンポポの美しい花畑が拓ける。
 この鰻温泉で西郷は「佐賀の乱」に負けて官軍に追われ、落ちのびてきた江藤新平(前司法卿)に会った。「ともに決起を」と懸命に訴える江藤に対して西郷は冷たく不参加、反乱の無意味さを説いた
ときに怒鳴りあったという女中の証言が残っている。
 薩摩の加勢を諦め、それならば板垣退助を頼ろうと土佐へ密航する江藤を西郷は友情深く山川港まで送っている
 私は『西郷隆盛 日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社、絶版)を書いたときに、彼の人生の軌跡をすべて歩いた。江戸無血開城を決めた場所も蛤御門も、戊辰戦争の行程も、逆に西南戦争の逃避ルートも、八代、田原坂から延岡、砂土原、小林、人吉と歩いた。だめ押しに、島流しになった奄美、徳之島、沖永良部の三つの島々を二回に分けて取材した。そのおり西郷さんが浸かった温泉にもはいってみた。
 西南戦争は西郷隆盛の主体的な闘いではなく、あれは『人斬り半次郎』こと、桐野利秋の闘いである。このことは別に書いたので、ここでは触れない。

 指宿温泉は砂風呂で有名となり、代表的な旅館は老舗「白水館」。その前庭にある美術館は圧巻で島津の陶器、骨董品の素晴らしさが分かる。薩摩が単独でパリの万国博覧会に出展した陶器など、時間の経つのを忘れて見入るほどだ。
 しかし指宿温泉での西郷伝説は少ない。最初の遠島処分から還ったときに、指宿で静養した記録があるものの、どの旅館だったのか、特定されていない。
指宿からちょっと北へ行くと今和泉島津本家、天璋院篤姫が通ったという塾の跡地が海岸沿いにある。大河ドラマ「篤姫」の時は全国から観光客が押し寄せた。
 薩摩半島の西側、日置市には吹上(伊作)温泉があって西郷は明治三年にここへ湯治に来ている。
 「狩りの途中に腰掛けた大石」とかが残っている。この湯はアルカリ性の硫黄泉だ。日本三大砂丘地帯に温泉が吹き上がった。
 北の薩摩川内市には川内高城温泉がある。ここでは五郎屋(現在の双葉旅館)という旅籠に泊まり、西郷さんは共同風呂に通ったと伝わるので、毎年十一月には高城温泉郷で「西郷どんお狩場マラソン」が開催されている。
 鹿児島へ戻り、こんどは東へ、姶良、加治木を越えると、現在の霧島市隼人町から国分町へかけて西郷ゆかりの日当山(ひなたやま)温泉と吉田温泉がある。鹿児島から歩けば丸一日かかる。
 熊本神風連、秋月の乱、萩の乱の伝えを聞いても、西郷は立ち上がらず、この日当山温泉で湯治に励んでいた。ここから吉田温泉までの距離は歩いて十分ほど。共同風呂には西郷さんの似顔絵、大看板が掲げられ、また吉田付近の蛭児(ひるこ)神社前には西郷が宿泊した民家が再現されていた。
ここでマラソン大会に遭遇した。「東京から見に来た」というとマラソン大会の係員が西郷さんが滞在した茅葺きの民家の雨戸をあけて内部をみせて呉れた。質素なつくりだが、「敬天愛人」の掛け軸があった。
 西郷はこの宿を拠点に鉄砲を担ぎ、犬を連れて狩りに出かけた。
 西郷隆盛は温泉が好きなのではなかった。

西郷隆盛は温泉が好きなのではなかった。沖永良部島で風土病に感染し、その後遺症で象皮病(フィラリア症)を患ったからである。具体的には陰嚢(睾丸)に巨大な腫瘍を生じ肥大化する奇病だった
このフィラリア症を媒介するのは蚊である。バンクロフト糸状虫の幼虫ミクロフィラリアが、リンパに寄生し、組織を破壊して慢性炎症を起こす症状、とくに下半身の皮下に強い浮腫をきたすためときに増殖・硬化し象の足のようになるという厄介な病気である。
 それゆえ西郷さんにとって、犬と狩りはセット、異様な肥満体を元に戻すための健康管理として健脚で歩き回り、血行を保全するために温泉に浸かるという湯治療法を繰り返したのである。
 頭の中は国家百年の計、身体は健康維持のための療養、しかし治療は完治に至らず西郷は西南戦争の全行程を籠に揺られた。国分町から空港を越えて山の方へ登っていくと、坂本龍馬が「日本最初の新婚旅行」と称する小粒な足湯温泉(龍馬公園)があり、そこから山の中にある和気神社を右にみて霧島神宮へ向かう。
 この一帯が霧島温泉郷として知られ、西郷はあちこちの泊まっているため、特定される宿はないようだった。
 韓国岳を東に仰ぐ栗野岳(標高1102メートル)の麓の硫黄泉が栗野岳温泉で、この温泉郷は一軒宿。その名もまさに「南洲館」。硫黄の濁り湯。西郷がもっとも気に入った秘湯とされるところである。
 英雄の意外な側面の一席でした。

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