「若鷺の歌」でタッグ 古関祐而と西條八十の海軍体験入隊|今週の「エール」豆知識

「若鷺の歌」でタッグ 古関祐而と西條八十の海軍体験入隊|今週の「エール」豆知識

 第16週79話(10月1日)の冒頭で、音楽挺身隊を率いる小山田耕三(志村けん)が新加入隊員名簿に目をやり、古山音(二階堂ふみ)の名前を見つける。秘書が古山裕一(窪田正孝)の妻だと説明すると、小山田は複雑な表情を見せる。NHK公式アカウントによると、これが志村の最後の登場だという。もし生きていれば、まだまだ出演する場面はあったはず。その抜けた穴はあまりに大きい。

 5日からの第17週では、戦況がますます悪化。そんな中で古山裕一は「若鷲の歌」の作曲を手がける。作詞を担当したのは詩人で仏文学者の西條八十。流行作詞家としても、戦前戦中戦後を通じ活躍。「東京行進曲」「蘇州夜曲」「青い山脈」「王将」をはじめ、ヒット曲も数え切れない。「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」と始まる角川映画「人間の証明」のテーマ曲も西條の詩をもとにしたものだ。

「若鷲の歌」東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌としてつくられた。海軍飛行予科練習生(予科練)の募集を目的としており、別名「予科練の歌」とも呼ばれている。古山のモデルである古関裕而と西條は曲のヒントを得るために、土浦海軍航空隊に一日体験入隊もしている。

 古関は西條とのコンビで、他にも戦時歌謡を何曲も手がけているが、2人にとって最悪の思い出となった曲もある。敗戦濃厚となった1945年2月に出した「比島決戦の歌」。読売新聞社と陸海軍が共催で、国民の士気鼓舞を狙って2人につくらせた曲だ。

 それにしても、歌詞は西條の作とは思えないほど、ひどいものだった。1番から4番まで「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」と繰り返すのである。当時の米陸軍トップはダグラス・マッカーサー、海軍トップはチェスター・ニミッツ。この2人を崖の上から真っ逆さまに突き落としてやると言っているのである。

 戦争が終わると、新聞社は手のひら返し。<「比島決戦の歌」をつくった西條は戦犯として絞首刑になるやもしれぬ>と書き立てたのである。絞首刑になった時、口元がだらしないとみっともないと思った西條は、急いで歯の治療に通い始めたという。

歌詞の問題となった箇所は、実は西條が自分の考えで書いたものではなかった。元々は「レイテは地獄の三丁目 出てくりゃ地獄へ逆落とし」という歌詞だった。それを将校の一人が「敵将の名前を入れてくれ」と要求。西條も最初は抵抗していたが、将校の強硬姿勢に結局は折れるしかなかった。

 この話には後日談がある。進駐軍が東宝撮影所に見物に来た際、機転を利かせた同社の社員が「比島決戦の歌」のレコードをかけたのだ。すると、ジープに乗って門を入ってきた米兵たちは喝采を叫んだという。日本語がわからない米兵たちはニミッツとマッカーサーだけが耳に入ってきて、大歓迎を受けていると勘違いしたのだった。 

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