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捕虜4400名を射殺、市民を数千人殺害… ロシアの血塗られた「侵略史」
「週刊新潮」2022年4月21日号 掲載
捕虜4400名を射殺、市民を数千人殺害… ロシアの血塗られた「侵略史」
「ソ連の占領下で民主化の芽は踏みにじられた」
〈カティンの森〉で大量の遺体を発見したドイツ軍将兵。虐殺は他の現場でも行われ、2万人を超す捕虜が殺りくされた
世界を震撼させるロシア軍の残虐行為は、今に始まったことではない。第2次世界大戦中、そしてそれ以降も、ソ連は他国の市民や捕虜を大量虐殺してきた「血塗られた歴史」を持っている。
「ロシアは、自国の影響下から逃れようとする国に対しては、容赦なく軍事侵攻で応えてきました。“チェコ事件”はその典型です」
そう語るのは、東欧の歴史に詳しいジャーナリスト。1968年、ソ連の“衛星国”として共産主義陣営の一翼を担っていたチェコスロバキアで民主化運動が起きた。世にいう〈プラハの春〉である。
「ソ連は他の共産主義国を従え、チェコに戦車部隊を送り込みました。ソ連の占領下で民主化の芽は踏みにじられ、数百人の市民が命を落としたとされます」(同)
今回チェコがウクライナに戦車の提供を申し出たのも、この苦い記憶と無関係ではないだろう。
「ソ連は56年にも、市民による反ソ暴動が起きたハンガリーに軍を差し向け、数千人を殺害。また、冷戦後にソ連から独立を宣言したリトアニアでも、やはり戦車を出動させ市民を殺傷しました」(同)
捕虜にしたポーランド人将校ら約4400名を射殺
プーチン氏はウクライナを“ナチス”呼ばわりするが、ヒトラーによる1939年のポーランド侵攻に呼応し、同国の東半分を占領したのはソ連だった。しかも、捕虜にしたポーランド人将校ら約4400名をカティンの森に連行し、全員を射殺した。
長年この事件を「ドイツ軍の犯行」と主張してきたロシアだが、2010年にポーランドと合同で慰霊祭を実施。ロシア側からは、当時首相だったプーチン氏が出席した。慰霊祭を取材した元朝日新聞の記者、金井和之さんが振り返る。
「うっそうと茂る森の中で、プーチン氏は慰霊碑を前にひざまずき祈りを捧げました。事件はソ連による犯罪だと認め、歴史的和解を演出したのです。あの場の雰囲気を思い出すと、今起きている事態が残念でなりません」
真摯な反省のように見えた台詞はうそだったのか。今となってみると、こうした謝罪ですら、パフォーマンスに過ぎなかったという疑念さえ浮かぶのである。
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