役所で、年金事務所はかなり待たされるので予約をしたほうがよいと聞いたので、予約しようとしたら、なんと一ヶ月後。びっくりしましたが、4月1日の9時なら1枠空いているということで予約を入れていました。
主な手続きは済ませて、3月中に東京に戻るつもりでしたが、4月1日ならと、そこまではいることにしました。
そんな先まで予約で埋まっているならそれは混んでいるだろうと思っていましたが、小さな事務所で、ほとんど予約なのか、そんなに混んでいませんでしたが、予約しなかったら一時間くらいは待たされたみたいです。
係の方がサクサク進めてくれたので、手続きはスムーズに済みました。
で、まだ朝10時前なので、せっかく半田まで来たのだからと、何か見ておこうと、まず斜向かいにあった赤レンガ建物へ行きました。カブトビールという地ビールが売っているそうなんですね。
母は友人や叔母と行ったことがあるらしく、戦争中の玉が当たったところが残っているとか、色々教えてくれました。
みやげ売り場も少し早く開けて頂き、無事ビールもゲットしました。
おまんじゅうなんかもついでに購入。
これは新美南吉の「ごんぎつね」と黄金をかけた黄ごん芋というおまんじゅうです。新美南吉も半田の人です。
娘たちが小さい頃、新美南吉記念館に連れていって、夏休みの宿題にした思い出がありますね。
そういえば、ここは年金事務所の斜向かいなのですが、道路を突っ切れないので、迂回して入ろうとしたら、住吉神社という大きな神社に向かう形になりました。しかし忌中のため、あら、ザンネーンとUターンし、寄りませんでしたが、後で調べてみたら、住吉神社という名前は後でつけられたようで、元々は入海下神社といったようです。
入海神社って、最近聞いたような……と思ったのですが、たしかこの間行った緒川城の近くにも入海神社というのがあるのを読んでいたのでした。
神社にはまだ行けないため、入海神社には行っていないのですが、御祭神は弟橘媛とのことです。なぜ、ここに弟橘媛がということですが、ちょうど景行天皇の頃、弟橘媛の父、穂積氏忍山宿禰が緒川に赴任しており、娘の弟橘媛も一緒に来ていたようです。
そして夫である倭建命の東征に付き添ったのは古事記、日本書紀に書いてあるとおりならばその話の通りです。
宮簀媛の話は有名ですが、弟橘媛のことはあまり触れられておらず、唐突に出てきているなと思っていて、ですので、私は全く弟橘媛のことは詳しくは知りませんで、走水で入水することで、倭建命を救ったということしか知りませんでした。
弟橘媛が入水し、櫛が流れ着いたという話は各地にあるようなのですが、緒川に櫛が流れ着いたという伝承もあり、その話のうちでは最も西の土地のようです。
弟橘媛に付いて一緒にお供した者、もしくは東征に一緒に行ったであろう緒川出身の者が、後に弟橘媛の遺品ということで、ここに持ち帰ったのではないかなというのが、個人的な想像ですが、ここに弟橘媛が住んでいたということは、私は初めて知ったことでしたので、驚きでした。
ここら辺では有名な話だったのかしら^^;
本当のことは私には分からないにしても、ロマンがありますね。
宮簀媛は倭建命の東征の折、副将軍であった建稲種命の妹ですので、以前から倭建命とは知り合いであり、東征が終わり帰る途中で大高に寄り、…….ということかしらとか、想像は膨らみます。
もちろん、詳しくお調べになられている方がおられるので、色々読めばそれは違うよーということもあるのでしょうが、そもそも何が事実かはもはや分からない世界の話なので、想像することはとてもおもしろいです。地元が絡んでいたので、全く私の与太話になってしまい申し訳ありません(^ ^)
いや、半田の観光の話があらぬ方向へ脱線してしまいましたので、ここら辺で一旦^^;
もちろんまだ入海神社には行ったことがないので、いつか行ってこようと思います!