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歩きやすい木道


松平郷(徳川家康の初代の出身地)~大樹寺(松平家菩提寺・岡崎市)巡り
2023.08.06 投稿者y.f
松平氏の家柄 14世紀後半 松平太郎左衛門尉家という有徳人(お金持ち)であった。
武士では無かった。神社仏閣の荘園の請負代官といった家柄でなかったか。
山の中の小さな村の豪族から三河を収める国衆になった。そして9代目で家康が天下人になった。
松平郷のある西三河の賀茂郡は加茂神社の神域で、松平氏が加茂神社の氏子であったことから葵紋であったとされる。
交通の要衝の場所であった。 豊田 → 松平郷 → 作手(つくで) → 浜名湖 (現在の国道301号線)
初代 |
松平 親氏 |
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14世紀後半 この地に来て松平太郎左衛門尉家の養子になった。元々、時宗の僧であった。各地を流浪していた。見苦しい身なりだった。文字を知っていた。連歌の作法に通じていた。 |
7代 松平清康の寄進した多宝塔 世良田清康(新田氏分家を名乗った)1535年
松平家の菩提寺の大樹寺 4代 松平親忠創建 1475年
大樹寺の三門から正面に岡崎城が見える
松平郷の山にある松平城址
初代 松平親氏公の大切にしていた言葉 願文の屏風の写し (天下安寧の仏教用語)
後の徳川家康の旗印『厭離穢土欣求浄土/おんりえど ごんぐじょうど』に通じるものがある。
松平家~徳川家に代々同じ精神が引き継がれている。(浄土宗・時宗の考え方か)
顔はこんな感じだったのか (松平郷の人の顔と徳川家の人の顔を合わせて製作 令和5年)
こんな感じの見苦しい身なりだったようだ。
初代 松平親氏公像 松平郷