平成30年6月18日
朝8時前、ひげ剃りをしている時、突然震度5弱の
地震に自宅が襲われました。
思い返せば、20数年前の阪神大震災の時も、九州に出張する日で、
少し早く起き、鏡に向かって、ひげ剃りをしていたときでした。
その時は、初めての経験、震度5弱の大揺れに驚き、食器棚から、
お茶碗や、お皿などが思い切り飛び出すのを、(フライングソーサー)
呆然と眺め、「逃げ道確保。」「火元の確認。」「足下注意。」などを
思い出しながら、「そうだ、家族の安全確認!」だ。
二階で寝ている家族に大声で、「オーイ、大丈夫かー??」
「大丈夫ー。」(小4のむすめ 杏奈)
「大丈夫、杏奈にも言って、揺れてる間、布団に潜り込んでいたから。」
(小6の息子 毅)
「うるさいなー、何かあったん?」(爆睡していた、女房 みゑ子)
と、その後色々あり、20分ほど経ってから、ひげ剃りを持ったまま
あたふたしていることに気づき、一人爆笑!
今回の大阪北部地震も、私がひげ剃りをしている時に揺れだし、
思わず身じろいて、前の地震より縦揺れが大きく、取り敢えず、
真っ先に、カミソリを手洗いに置き、
「オーイ、大丈夫かー?」
「...........。」むすめ、去年結婚して東京へ。
「...........。」むすこ、何年も前に、結婚し、龍野市へ。
「大丈夫、今回は揺れで、目を覚ましたから分かってる。」 いつも口だけは元気な、女房。
末永く、喧嘩しながら楽しく暮らそうな。
ここからは、地震学に全く素人の、戯れ言ですので、気楽に
聞き流して置いてください。
兵庫県の川西市に暮らしておりました、気楽な私達一家を、二十数年前、
阪神大震災が襲いました。その震災の前の年の年末に、川西市の隣の、
猪名川町を発生現に、此の近隣地区だけの、小規模な群発地震が起こっていました。
私の住んでいる、川西市でも体に感じられ、寝ているときに発生すると、
何か大きなものが落ちたようなショックや、音を立てずに、大きなダンプが
通り過ぎるような振動が頻繁に感じられていました。
でもおそらく、此の不思議な震動を経験していない、他の地区に住んで
おられる人達には、話しても、その振動を、もう一つ理解してもらえず、
新聞にも、小さな記事がスミッコに載ったきりでした。
たぶん、新聞社の記者も、「何を大層に、大げさなんだよ!」
「関西で、地震なんか起きないんだよ。!」と
思っておられたのかもしれ無いような記事の取り扱いでした。
その小さな記事には、地震の専門学者の意見も、載っており、難しい専門語が
並び、結局そのうち収まるし、大したことではないし、次の事態が起こるような事は
無いと、鼻で笑っておられるような記事でした。
その不思議な震動は、しばらく続いた後、年末には、震動は起きなくなり、
「あれは何だったんだろう。」
と不思議に思い、忘れかけていました。
平成7年1月17日 5時46分 阪神大震災が人々を、揺り動かしました。
阪神地区に、大きな爪痕を残しました。
そして、地震からしばらくして、地震の専門家が、前年の12月に起こっていた
猪名川町周辺での震動は、阪神大震災と関連がある可能性があり、
前振れであったとされ、今後重要な研究対象であると、発表されていました。
でもその後、その研究がどのようになったのか、分からないままなのですが?
実は、このブログを作成していますのには、理由があります、
信用してもらわなくても、かまわないのですが。
私はここ川西市で、今回の「大阪北部震災」の半月ほど前から数回、
あの時と同じ、不思議な震動を感じたのです。
「あれー、又同じ震動や! 大丈夫かいな?」と思ていましたら。
6月17日、ニュース速報で、「群馬県南部で、震度5弱の強い地震がありました。」と
報じられ、「あっこれか? でも群馬言うたら随分遠いな、そこまで影響があるのかいな?」と
少し不思議に思っていました。
そして、6月18日 7時58分を迎えてしまいました。
近所に住む何人かの友人に、この余震のことを聞いてみました。
話をしたほとんどの友人が、今回の余震を体感していました。
そして、何人かは、阪神大震災の時の余震の話も知っていて、地震が
起こらないか心配していたと言っていました。
「阪神大震災のとき、あれは余震だと言っていた、地震学者はどうしているんだ!」
あらかじめ、発生の可能性が心配される状況なら、もしかしたら、
小学校のプールのブロック塀で、少女が..... 。
心より黙祷
あの阪神大震災の起こった二十数年前まで、関西で普通に語られていた会話。
「又、北海道で、地震があったなあ、日本は地震列島やからなあ、
関西は大きな地震は起きへんから、ええんやけれど。」
「ホンマや、関西に住んでて良かったわ!」
その後、阪神地区に住んでいる誰もが、想像すらして居なかった、
大震災が!!
阪神大震災から暫く経ってから、仕事で、愛媛県の松山に行った
ときの会話です。
「君は関西だろう、震災の時は大変だったんじゃない?」
「はい、大揺れで、お茶碗や、お皿が飛び出すフライングソーサーを
見せられたんですが、家の方は何とか無事で助かりました。」
「だけれど、親族が何人か無くなりました。」
「その連絡も、1週間以上たって、葬儀も終わってからやっと
教えてもらえた程、大混乱でした。」
「それは大変だったろうね、日本では地震はいつ襲ってくるか
分からないからねー。」
「ここ松山では、地震は無いから、助かっているんだろうなあ?」
その後暫くして、愛媛県を震災が襲いました。
それから暫くして、仕事で、北九州市の商社さんの所に行った
ときの会話です。
「..............大変でした。」
「北九州では、地震は無いから、大変さが分からないなー。」
そのあと、北九州地方で、かなり大きい地震が起こりました。
それから暫くして、仕事で、熊本市の商社さんの所に行った
ときの会話です。
「...............大変でした。」
「熊本は、阿蘇の噴火はあるけれど、大地震は無いから良かったよ。」
その後地震が無かったので、安心していたのですが、
熊本城が崩れかけるほどの、大地震が起こってしまいました。
今年(平成30年)5月の初めに、高槻に行ったときの話です。
「ここ大阪北摂地区は、平凡な住宅地区ですね、
新聞に載るような大事件も天災もありませんね。」
「ああ、新聞に載るようなことは、何十年も前にグリコ事件で、
誘拐されていた、グリコの社長が、摂津の堤防の倉庫で、発見されたぐらいや。」
「阪神大震災の時も、少し離れていたから、助かったし。
ここ北摂地区の高槻が、震源になるなんて事は無いからなあー。」
すみません、日本中どこにいても、地震の魔の手から、逃れることは、
出来ないんですよね、もしもの為の備えと、心準備はして置かなければ
ならないと、強く強く思いました。
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