◎ R2-12-11 補正開始
通りがかりさんから、
誤記のご指摘がありました。
防水倉庫の取り違いとのこと、グーグルマップで
確認しましたら、ご指摘通りと思ったのですが、
コロナ騒動のせいで、現地に確認に行けません。
確認でき次第、訂正させていただきます。 m(__)m
◎ R3-3-3(雛祭り) 行ってきました!
コロナ自粛で、女房から厳しく、探索の自粛を
強いられていましたが、やっと解禁されました。
通りがかりさんから、ご指摘いただきました通り、
間違っていました。
順次訂正していきます。 m(__)m
大阪府北摂地区(茨木市、摂津市、高槻市、三島郡)の
摂津市鳥飼 安威川沿い 地元の治水組合水防倉庫探索
安威川を跨ぐ、府道15号線から、下流に900mほど、
細い道を行ったところにありました。
現在(R3-3-3)外装塗装工事をされていました。
この防水倉庫から、グリコ社長必死で脱出、
JR鳥飼車両基地(北摂 摂津市)へ逃げ込む。
(防水倉庫から、小さい歩道橋で200mたらずです。)
事件発生当時の、倉庫捜査状況(新聞社のヘリから。)
私のメインテーマ、ブログ 「難波の宮、散策」とは、
なにも関係ないのですが、私の心のトゲとして、30年以上
残っている、モヤモヤが、
「あの人、お得意会社の品質管理係さん、
キツネ目の男、かい人21面相と
よく似たはったなあー??」
「まさか、こんな、平凡を絵で描いたような人生を送っている、
少し男前の少年時代 丸顔で、ソニー坊やと言われていた私が、
小説みたいな事件話に、接点なんて無いよなー?。」
と言う、この事件への思いをブログにしておこうと思います。
実は友人に、このモヤモヤを、ブログにする話をしたら、
「止めとけ! ブログが炎上するぞ!」
と諫められたのですが、トゲを抜きたくて、それにもう
30年以上経過し最近顕著な、加齢健忘症のせいでその人の、
本人の名前も、お得意様の所属 会社名も忘れてしまっているし。
ジャンル違いの、この歴史ブログにのせば、大丈夫かなと、
軽く考え、書き込みを始めてしまいました。
これ以降は、老人の只の世迷い言と、軽く受け止めて下さい。
グリコ森永事件の概要は
ウキペディア「グリコ・森永事件」に詳しいので、
そちらを参照ください。
最近発行(2018年7月1日)の
「グリコ・森永事件」NHKスペシャル 取材班
新潮文庫
実に詳しく、私のような一般人には知る由もなっかた、
裏話まで、書かれていますので、此のブログでも、参考にして、
補足校閲したいと思っています。
そして、此の本を読んでみて、心のわだかまりが、もう一つ
ある事に気が付きました。
それは、此の事件に関して、大阪府の北摂地区に関連する
話が多いと云うことでした。
何故気になるのかと云いますのは、気になるお得意様の
会社の所在地が、ズバリ北摂地区なのです。
同じ関西に住んでいて、この事件に関して、堺市や、
岸和田などの河内地区は、一切話題に出てきませんでした。
という事は、この犯人グループは、大阪北摂地区に拠点が
有る、もしくは、この地区を熟知しているグループの犯行?
などと素直に、想定、想像、妄想してしまいそうです。
事件当時公にされていた、事件の経過を書き出してみます。
それと、此の本に書かれていて、私が知らなかったこと、
たぶん、事件に驚いてニュースに振り回されていた、私と同じ
一般の人達には知らされていなかったことを、追記したいと
思います。
此の本の記事の参照項目は、(NHK-S)とします。
1984年(昭和59年)3月18日
グリコ社長宅に、誘拐犯が潜入し、
入浴中の江崎社長を裸のまま拉致誘拐したことから、
「グリコ森永事件」が始まりました。
このとき、一緒に入浴していた、誘拐しやすい筈の長男や、
幼い次女を無視し、江崎社長本人だけを
(個人的な恨みがあったのでしょうか?)
無理やり拉致し、北摂地区 摂津市の、水利組合防水倉庫に、
閉じこめる。
3月19日 早速誘拐の翌日、段取りよく計画された如く。
おそらく警察の捜査が集中している事が想像できる、グリコの
社長宅ではなく、北摂地区 高槻市に自宅があった、
江崎グリコの取締役宅に、犯人から、
「近くの電話ボックスに、誘拐した社長の身代金
(10億円と金塊)要求の手紙が在る。」ことを告げる
電話あり。
此の犯人グループの、脅迫文伝達手順である、
「指定したところ行け。」
「そこに指示のメモがあるから、それを見ろ。」
その手順の始まりです。
でも、高槻市にあるグリコの取締役の家がよく分かった
もんだと思うのですが、
① 前もって調べていた。
② 犯人グループの中にグリコ社の縁故者がいた。
③ 高槻市の取締役の近くに、犯人グループの一人が住んでいた。
しかし、受け渡し指定場所に、犯人現れず。
(NHK-S) 江崎社長宅へ 19日、20日 二日間で、
17回も現金要求の電話あり。
(ここで、野次馬探偵(私)の疑問が出てきました。
誘拐事件はとても罪が重い事は、誰でも知っている
ことですよね。犯人側からすれば、なるべく接触を
減らし、早急に切り上げたいと、考えているはず
ですよね。
それが何故、17回も連絡するなんて??)
翌日、高槻市の取締役宅へ、江崎社長本人の自声の
録音テープで、北摂地区 茨木市の「レストラン寿」へ来るように
連絡が5回ある。
逆探知成功、大阪の国鉄環状線と、京阪電車が交差し
乗り降りのできる大きなターミナル、京橋駅付近と解る。
(公衆電話?でしょうか。 当時は、携帯電話なんて
まだ無い時代です。)
江崎社長本人の自声の録音テープを、受話器に向けて、
鳴らしたのですから、通りすがりの会社員に聞かれては
絶対に不味いので、ドアが閉まる公衆電話でしょうか?
ちなみに、京橋駅周辺は、大阪地区有数の繁華街で、
乗り換え客数は、一日で数十万人に及ぶと思います。
夜は、サラリーマンの飲み屋街で、お化粧をした、
きれいなお姉さんが行き来する、大賑わいの町です。
おそらく、京橋付近にはその当時公衆電話は、電話
ボックスも含めて、百台以上は設置されていたのではないかと、
想像するのですが。
その混雑の中から、電話をすれば、たとえ見つかっても、
直ぐに、人混みに紛れ込めると、踏んでいたのでしょうね。
3月21日(誘拐発生3日目)
意外な展開です。
江崎社長が自力で、防水倉庫から脱出、倉庫からすぐ近くの
(地図を見ますと、200m以内)JR鳥飼車両基地に
逃げ込み助けを求める。
横側に、鉄扉があります。
ここから、グリコ社長が逃げ出したんだろうか?
鉄扉の右側に、支流を跨ぐ小橋がありました。
小橋の向こうに、国鉄(現JR)の車両整備工場が見えます。
小橋を渡った所から、捕まっていた、倉庫を見ます。
渡ったところから、目の前に、整備工場が見え、
整備工場ですから、24時間のフル操業でしょうから、
灯りが見えたはずです!
「アソコヘ逃げ込めば、助かるはずだ!!」
この小道を100m程歩いて行けば、整備工場です。
(服は犯人グループから、下着は北摂地区の淀川の
川向かい、枚方市のスーパー「イズミヤ楠葉店」で
購入された物を、上着は、戦時中の古着を与えられていた。)
ここで、小さなつまらないことが気になる私、
監禁されてから、服装と、食事は与えられていたようです。
「でも、オシッコは? ウンコは?」
写真を見て、倉庫内に、トイレがあるようには見えない
ですよね。
それに私は、河川倉庫を探すため、府道脇の、細い道を
入ってきたのですが、その途中に、小さな工場が連なっており、
最後には、廃棄物の再生工場があり、そのダンプが、
この先に行こうと、通る車は無いとばかりに、細い道を
占拠していました。
誘拐犯は、自分達が、とても悪いことをしているのを
分かっているはずですから、倉庫へ来るのは、早朝か、
夜の、ひとけが無くなってからの筈と、想像できますよね。
そうでなければ、この道を通っても、工場の人には、
顔馴染みであったと想像してしまうのですが、それは、
まず最初に、監禁場所の付近は、警察が徹底的に調べた
でしょうから、無い筈ですよね。
それに、この河川倉庫の鍵は、地元の河川組合の人が
管理していて、その組合の人は、出来たときに、一度開けた
だけで、使ったことはなかった。(NHK-S)
と言っておられるようですので、地元の人はほとんど認識
されていない倉庫だったようです。
ここでまた疑問が沸き上がりますね。
地元の人も認識していない倉庫を、なぜ犯人グループは
使えたんでしょうね、鍵も持っていたと想像するのですが。
何か無理がありますね!
誰かが嘘をついている、本当のことを言うのを止め
られている、と私のような小説好きには、妄想して
しまうのですよね。
グリコの社長が、オシッコをする時の為に、ある程度
動けるように、拘束を緩めていたと想像します。
だから、国鉄(JR)整備工場に逃げ込めたのでしょうか?
誘拐をして、殺さずに、拘束をしておくのは、とても
難しいと、思えました。
だって、被害者に、誘拐犯の顔も、声も、知られてしまい、
捕まったときに、言い訳がとても難しいですよね。
そういえば、誘拐犯が、身代金を奪ってから、誘拐者を、
無事に解放したと言う事件は、あまり記憶にありませんね。
それが出来るのは、複数の組織的な犯行集団と、思えますね。
このグリコ犯は、それをしようとしたのですから、かなりの
統制が効いた、複数者の犯行グループと想像できますよね。
無事救助 目出度し目出度し、とは成らなかった。
4月 2日
それ以後数回に渡り、江崎グリコ宛に、現金要求の脅迫有り。
4月10日 グリコ工場放火。
5月10日 青酸ソーダ入りグリコ菓子を全国に配ると脅迫あり。
店頭から万一の危険を回避するため、グリコ製品撤去が進む。
グリコとしては数十億円の損害。
(NHK-S) 犯行グループは捜査を逃れるため、
グリコの取引会社(香辛料調達会社)「長岡香料」に
数度にわたり、脅迫状を送付される。
その脅迫状で指定された、身代金受け渡し場所において、
警察捜査員は、犯人に数回遭遇しているにも関わらず、稚拙な
ミスで取り逃がす。
その中には、無関係の一般人が、誘拐犯(かい人21面相を
名乗る)に、デート中に、彼女を拉致され、脅迫されて、
犯人の代わりに受け渡し場所に行かされ、犯人と誤認され
捕まえられるという、余りに、ミステリー小説もどきの、
ストーリーまで、犯人は準備した。
しかもこの時、身代金受け取りの計画は、失敗したけれど、
拉致されていた、女性は無事犯人から解放され、解放される時
タクシー代として、2千円を渡されたそうです。
卑劣な誘拐犯罪者の、誘拐された女性に対する気遣いの対応。
理解できない落差ですよね。
この身代金受取事件は、当時のニュースでよく聞いて
いたものですから、捜査員の稚拙なミスで、犯人を取り逃がし
たことは、よく知っていたつもりだったのですが、
(NHK-S)を読み、その内容が、当時報道されていた
状況とは、途方もなく違っていたことを知りました。
次をご覧下さい、昔ソニー坊やが現地を探索。
きっと皆様も驚かれますよ。!!
(NHK-S) 6月2日 北摂地区 摂津市鳥飼中1
焼き肉の 大同門を指定してくる。
上記の、女性が拉致された事件の想像再現です。
アベックが襲われ、女性を拉致された場所は、
大同門からわずか3kmしかはなれていない、寝屋川市木屋元町
にある淀川の堤防沿いの道、淀川沿いに夕日が見られる、
いわゆるデートスポット。(当時此の言葉はなかったかと
思います。)
彼女を拉致され、驚かされて、犯人の代わりに、犯人からの
指示で、脅迫金を積んで大同門の前に停めているカローラの
鍵を取りに来て、警察に誤認逮捕された彼が、向かおうと
したのが、指示された元の堤防沿いの道です。
堤防沿いのデートスポットの道で、犯人は待っていたん
ですよね。
(デートスポットの堤防)
誤認逮捕で、捜査員と、彼がゴタゴタ揉めているのを、
警察無線で聞いていた、別の待機していた、捜査員が、
堤防沿いの道の話を聞き取り、急遽そこへ急行したんですよね、
そこにはそれらしい車が止まっており........
「手に汗を握る場面ですよね。」
事態の異変を感じたのか、大同門方向へ、進みかけた
不審車両が急に逆方向へUターンして、捜査員の車を追い越し、
国道2号線バイパスの信号交差点へ突進。
不審に思った捜査員の車が跡を追う、片側3車線の
バイパスを突ききって逃げてゆく不審車両。
必死で後を追う捜査員の車の目の前で、信号が赤に!!
午後九時頃のこの2号線バイパスは、長距離トラックなどで
交通量が多く、赤信号を無視して、交差点に入るのは
とても危険で、止まるしかない。
不審車両を見失う。
翌日の捜査で、不審車両が、前日取り逃がした、赤信号から、
わずか300メートル足らずの、寝屋川市木屋町
鞆呂岐神社(ともろぎじんじゃ)の参道に乗り捨てられている
のを発見。
←(NHK-S)
信号を左に入った、正面が神社の正門の鳥居です。
鳥居の手前に、左へ曲がれる細い道があります。
曲がって入ってきた、信号です。
実はわたくし、現役時代、此の地区はよく仕事で訪問
しているお得意さんが沢山ある所でしたので、アベックの
(古い言い方です、今はこの言葉を聞かなくなりましたね。)
車が多い堤防の道も、その先の、交差点の信号機も、
バイパスで通り過ぎるとき、よく見ていました。
ナビマップで見ると、その交差点を突き切り、地道に入り、
300m程先の最初の信号の交差点を左に曲がり、
突き当たりが鞆呂岐神社です。
ここで、捜査官に見られたかもしれない、車を乗り捨てる
と云うことは、信号一回分の時間差で、追いかけてくる
かもしれないと解っているのですから。
① そこに別の車を用意していて、用意していた車で、逃走した。
② 仲間がそこで待機していて、その車に乗り換えて逃走した。
③ 歩いて行ける範囲に、犯人の住居、アジトが在り、そこに
逃げ込んだ。
普通に、車を乗り捨てる人は居ないでしょうから、此の車を
使っていた、犯人の行動は、① ② ③ が考えられますよね。
乗り継いだ別の車で逃走を続ける場合、鞆呂岐神社の周辺は、
住宅地と、畑が主体の農耕地で道も狭く、遠くへ逃走する
ならば、入ってきた、バイパスの地道に出て、バイパスに
乗り込たいですよね。
ちなみに、鞆呂岐神社から、最短の電車の駅は、京阪電車の
香里園駅で
距離は、1.4km 徒歩17分、車で7分(ナビマップ)です。
その時、追いかけてくる、捜査員の車をどの様に、かわした
のでしょうね?
実は、8月4日(土)に気になるとじっとして
いられない性格の私、鞆呂岐神社に行ってきました。
その神社は、普通にある、村の鎮守様と言う風情でした。
私の愛車 軽ホンダLIFEで行ったのですが、犯人の車が
参道に乗り捨てられていた、ということですが、参道の
道幅は広くなく、LIFEでも、駐車すると別の車が、横を
通るのが窮屈なほど狭かったです。
神社の近くに車を止めて、待機させておく場所も見つけられ
ませんでした。
と言うことは、①、② の前もって、そこで車を乗り換える
場所にしていた、と言う推理は、無理が生じてしまったと、
強く思ってしまいました。
①、② で無いならば、その時の状況を想像推理すると、
犯人は、堤防で待機していて、現金受け渡しに失敗した
ことを、時間が掛かりすぎていることや、もしかしたら、
大同門の近くで、様子を見はっていた犯人グループからの
トランシーバーの連絡により、受け渡し場所から逃げ
なければと判断して、大同門と反対方向に逃げた。
逃げる途中に、追いかけてくる不審(捜査車両)な車に
気が付き、赤信号で振り切り、追いかけてこれないことを
確認し、まいてしまうつもりで、土地勘のない場所だけれど、
取り敢えず一番近くの信号の交差点で、道をそれて右折し、
神社の参道に入り込んだ。
(NHK-S)→ 犯人が運転していたのは、アベックから奪った
クラウンかセドリッククラスの大型車でしたから、参道に入り、
突き当たりの境内の手前を、左に曲がれる道があるのですが。
(8月4日 私が現地確認の結果)とても狭く、私の LIFE でも、
左折は気を使った程で、当日はもう既に、午後9時をまわって
いたはずですから、辺りは真っ暗、やむなく車を放置して、
徒歩で逃げたと、想像できますよね。
その想定が正しいなら、此の参道に入ったのは、失敗と
思えますね。
それなら、③ の此の付近に、犯人のアジトがあるという
仮定も成立しませんよね。
神社の参道に車を乗り捨て、犯人グループが何処へ、
どの様にして、逃走したかが気になりますよね。
そのことと関連するのですが、拉致された彼女は何処に
隠されていたのか? と言うことですよね。
脅迫された彼が、自分の車で、犯人に指示されながら、
焼き肉の大同門に行かされている間、別の車に乗り換え
させられ、おそらく縛られ、口を塞がれて後部座席に
横に寝かされて、拘束されていたと想像できますよね。
場所は、恐らく街灯などの、照明が少なく他人に見つかり
にくい、拉致された、最初の、堤防沿いの道で停車していた
と推理するのが、一番無難ですよね。
何故なら、車を移動中に、体を縛った女性が乗せられて
いるのを、人に見られたら、絶対にまずいでしょ。
鞆呂岐神社の参道で待機する選択肢もありますが、
午後9時頃はまだ人の通行も多く、拉致している、女性を
窓越しに見つかってしまうことは十分考えられますので、
その危険は犯さなかったと思うのですが。
それにこの時代の状況で、今と決定的に違うのは、
通信手段としての携帯電話です。
そうです此の時代、携帯電話はまだ無いのです。
携帯電話が一般化するのは、阪神大震災の後です。
当時は、高価ですが、トランシーバーが在り、至近距離なら、
安い物もありましたが、大同門から、淀川堤防まで、
約3kmの距離で通じる物は、特殊品で、高価で、
所持許可が必要だったと記憶しています。
そのほかの手段は、アマチュア無線もありましたが、携帯性の
いい物は、かなり高価で、もちろん無線免許が必要でした。
ですから、脅迫された彼を乗せた車と、連絡が取れない
のですから、脅迫した彼を、大同門の先に停めて降ろして
帰ってきた車と堤防の道で、要求していた3億円を積んだ車を、
彼が運転して、帰ってくるのを楽しみに、待機していたと
想像してしまえますよね。
脅迫された彼は、犯人の言うとおりに、大同門の中で、
車のキーを受け取り、3億円を積んだ車に乗り込み、
淀川の堤防へ。
その車は、警察が、エンジンに細工をしていて、暫く
走ったら停車し、周辺に待機していた捜査官が乗り込み、
「犯人逮捕!」とは成らなかった。
誘拐犯だとして、問いつめる捜査官、
「彼女が捕まっているから早く行かしてくれ。」と言う彼。
噛み合わない押し問答。時間だけが経ってゆく。
時間が経ちすぎるので、失敗したと感づき、逃げ去る誘拐犯。
ここで疑問が出てきます。
捜査官が、犯人の車を、堤防沿いの道で見つけ、追いかけ、
赤信号で逃げられてしまったのは、乗っ取られていた、
アベックの車で、拉致された彼女が乗せられていた
犯人グループの車は、どうしたのでしょう?
私が8月4日に、この堤防に接続する道に行って、見てきた
感想なのですが、堤防から、赤信号までは、緩い下り坂で、
その途中から眺望が利き、犯人が曲がった信号と、交差点が
遠くですが見えました。
坂道を赤信号まで下ってしまうと、信号の先は見えにくく
なり、当時午後9時頃の交差点では、行き来する大型車の
ランプで、犯人の車が右折するのは確認できなかったと、
想像出来てしまいました。
恐らく捜査官の車は、信号が青になるのを待ちかまえ、
出来るだけ遠くへ、逃げていったと想像し、全速力で、
次の信号も無視し、先へ先へと走って行ったでしょう。
それでその時を妄想すると。
帰ってくるのが遅いのにイラツキ、大同門方向へ、確認に行こうと、堤防を降りると、
怪しい車(捜査車両)と遭遇、これはまずいと、Uターンし
怪しい車(捜査車両)の横を突き切り京阪電鉄の
光善寺方面へ、逃げる。
赤信号で振り切れたことが解ったので、一番手前の信号を
右に入り隠れる。
拉致彼女を乗せた車は、
「あれ、どうしたんやろ、大同門に見に行くんかいな?」
「あれ、Uターンして帰ってきよった、と思ったら、
バイパスの交差点に信号ギリギリで、突ききって
行ってもうた。」
「あれ、その後に知らん車が、無理してついて行こうと
しよったけれど、赤信号に変わって残念そうに
止まりよった。」
「あれ、キツネちゃんが、最初の信号を
方向指示器も点けずに、右にはいりよった。」
バイパスの信号が変わり、捜査車両が追いかけ、神社の
信号を通り過ぎてゆく。
それを見ていた、彼女を乗せた車が、神社の交差点まで来て、
仲間のキツネちゃんを乗せて、京阪電車の光善寺駅に行き、
拉致した彼女に交通費2千円を渡し、降ろして解放した。
こんなもんで、どうでしょうか?
後日談 (NHK-S)→ 赤信号で、犯人を取り逃がした捜査官
「今思えば、6月2日の大同門が最初で、最後の
チャンスだったのかもしれんな。
実はあれ以降は犯人はまともに動いてないん
ちゃうかって。全部、遊びやったんちゃうかって。
それくらい、大同門での取引現場は惜しかった。
犯人もかなり焦ったはずや。」
6月26日
犯人グループからマスコミに、「江崎グリコ許したる。」
の挑戦状が届く。
これ以後、グリコへの脅迫は終焉した。
えっ、これで終わり?
当時此の、犯人からの、声明を知った一般の人は、誰もが、
「なんで? マター、ウソやろ。」と思ったハズです。
もしこれで終わりなら。
① 淀川の堤防で捕まりそうになり、犯行が怖くなった。
② 大同門事件から、二十日以上経ってからの、声明だから、
もしかしたら、警察に知られずに、グリコと、闇取引が
成立し、金を手に入れた。
③ 警察がグリコを見張っているので、他の脅迫相手を探して
見つけた。
② の根拠は、(NHK-S)→毒入りを示唆した挑戦状が
報道されたことで
....店頭からは、グリコの製品が回収され....株価も大暴落
していた。
....江崎グリコも....捜査員に対して怒りをぶちまけるように
なっていた。
そのような状況下で、犯人から直接連絡があれば、会社を
守るためには......
あり得ないことはない、というのが、当時の飲み屋街での
意見でした。
これにて、事件の終焉かと思われたが。
6月22日 ~ 翌年1985年昭和60年8月12日までの間に
まず、北摂地区の大阪府高槻市 丸大食品の社長あてに
脅迫状が届く。
「グリコと同じ目にあいたくなっかたら、5千万円用意しろ。」
企業に対する、脅迫事件は終了していなかった。
(NHK-S)
次の脅迫相手は、丸大食品だった。
「6月28日の夜に高槻市内の常務宅で、現金を用意して待て。」
当時の、丸大食品の常務の家は高槻駅から少し離れた、
山の中でした。
グリコの高槻市に家のある取締役のケースと同じ疑問です。
① 前もって調べていた。
② 犯人グループの中に丸大食品の縁故者がいた。
③ 高槻市の常務の家の近くに、犯人グループの一人が
住んでいた。
②の縁故者のケースは、グリコにも、丸大食品にも居る
というのは、少し無理がありそうなので、除外するべきで
しょうね。
大事かもしれない、不思議な選択肢が思いつきました。
① グリコの恐喝に失敗し、金が入らなかったから、
丸大食品を狙った。
② グリコで成功するしないに関わらず、最初から
丸大食品も狙っていた。
③ グリコでばれずに、恐喝に成功したが、それを隠すために、
カモフラージュする為に始めた。
③ のケースは、実際に此の丸大食品事件の経過で、
グリコ森永事件の代名詞、キツネ目の男の大舞台への登場に
なってしまい、隠すためだけの犯行にしては、その代償が
大きすぎると思うのですが。
6月28日
金曜日 最高温度31.4℃ 曇りのち晴れのち曇り
(昭和59年 ナビ検索)
(NHK-S)
常務の自宅に、夜8時過ぎ、女の声のテープ再生電話あり。
「えっ、犯人の中に女性も居るの?」
その電話の内容は、
「高槻の西武デパートの三井銀行の南の市バス降り場の
観光案内図の裏………。」
(H30-8-4撮)
西武デパート内 旧三井銀行
観光案内図 (三井銀行側から)です。
階段を上り、通路を右に行ったところが 高槻駅です。
観光案内図の裏側
ここに、犯人が、指示書を張り付けていた。
観光案内図側から、三井銀行を見た。
観光案内図から真っ直ぐ行った、高槻駅の1階入り口。
H.30年8月4日現在の時効表 当時とは時刻が当然変わって
いました。
頭頂部が薄い常務に似せるために、頭髪の上の部分を剃って、
犯人から指示された、白いブレザーを着た身代わり捜査員が、
高槻駅に行き、三井銀行の先の高槻駅バスロータリにある、
観光案内板の裏を見ると、犯人からの指示書あり。
その内容は、
「国てつタカツキ駅に はいれ ..............
.......白い はた みたら バッグを そとに ほおりだせ」
と、乗る電車の京都駅行きや、発車時刻、電車の色、
乗る車両は、
「うしろから 2つめの 京都えむかって
ひだりがわの ○印の ところにすわるんや...」
と位置まで細かく指定されており、高槻駅から、京都駅までの
340円の切符も同封されていました。
皆さんも、此の指示書を見て感じることは、
「随分、細かい事にも気を使って、
計画を練っているんだなー。」
ではないでしょうか。特に前回の大同門の時の拉致女性に、
解放時交通費として、二千円を渡したことも併せて
金銭感覚の、鋭いメンバーが加わっていると思いますよね。
「もしかしてメンバーに、経理関係の女性が?」
30年以上経過し、時効が成立した事件を、妄想するのは
楽しいですね。
事件発生当時、私と同じように、若い女性がグループに...。
と妄想された方は、多いのではないでしょうか?
その理由の一つは、脅迫電話の声が、30才ぐらいの女性の
声と、幼い男の子の声があったと報道されていたからじゃ
ないでしょうか?
でも、今回のNHKの出版本で、素人の妄想は根底から
覆されました。
(NHK-S)
NHKが日本音響研究所に、犯人からの録音テープの声を
最新技術で、分析を依頼した結果は、驚く結果でした。
30才ぐらいの若い女性 ⇨ 中学生ぐらいの女の子。
幼い男の子 ⇨ 小学校低学年の男の子1名と
+ 就学前の幼い男の子1名
「え! 女子中学生?
あとの男の子二人は、そうだったのかで済むけれど。」
推理好き、妄想好きの皆さん、もちろん私を含めて。
グリコ森永事件の犯人グループの、ドラマが崩れて
しまったんじゃーないですか。
あなたが思い描かれて居られたのは、どんなドラマでしたか?
状況が違ってきました、もう一度組み直して、後で一緒に
総括しましょうね!
脅迫金を持った、身代わりの捜査官は、どの様に行動し、
それに対して、犯人はどの様に対応したのでしょうか。
そして、此の状況で初めてヒロイン「キツネ目の男」が
あらわれます。
実はご想像通り、興味深々の私は8月4日に、
国鉄(JR) 高槻駅から、京都線に乗って、京都駅まで
往復してきました。
(NHK-S)に沿って当日を再現します。
国鉄 高槻駅の市バス降り場にある、観光案内図の裏に指定
された通りに、脅迫金を持参した、変装の捜査員は、京都行き
各停に乗り込む。
ここから、本当におもしろいドラマが実演されるのですよ。
捜査員は、犯人から指示された、「後ろから2両目に乗れ。」
の指示に従わず、先頭車両に乗り込む。
これは「犯人の指定してきた場所から一番離れいる
先頭車両に乗り込めば、自分(現金持参人)を
探し回って、犯人が現れるかもしれない。」
という特殊捜査班の作戦だったようです。
特殊捜査班も意地があります、犯人の裏をかこうと
したのですね。
でも大丈夫?
すると、不審な動きをする男が現れた。何かを
探し回るように車内を歩く。
それが「キツネ目の男」だった。
「作戦成功じゃないの!」
ここで捜査班はもう一つおもしろい演出を用意していました。
現金をもって乗り込んだ捜査員の周辺を、極秘に警備するため、
私服の女性警察官とカップルを装った、無線機を持った
捜査員が後ろの、2両目に乗り込み、様子を見はっていた。
すると、そのカップルの前に、「キツネ目の男」が現れ、
なんと予想もしなかった、目の前に座る。
カップルの女性警察官が「私の好みの男性が居るわ」
「そうかいな」
無線で他の捜査員に、犯人にはばれないように連絡。
此の車内に、キツネ目の男以外に、2名の不審者を、捜査員は
確認していた。
一人は、50才ぐらいの、派手なブレザーを着た安もんの
やくざ風で、現金を持った、身代わり捜査員をのぞき見る
ような動作をしたり、落ち着かない様子だった。
もう一人は、30台半ば、華奢な細身の男、アンテナの付いた
大きな無線機を操作していた。
キツネ目の男の容姿は、年齢は、35才から45才ぐらい、
身長は175から178センチぐらい、眉毛が薄く、
目がつり上がっていた。グレーで光沢がある背広を着て、
銀縁で透明のめがねをかけていた。
当時無線機を携帯する人は珍しく、
此の男が一番怪しいですよね。
緊張で息が詰まってしまいそうですね。
ここで、一つ想像できる状況があるのです。
犯人から、乗るように指示された、高槻駅で京都行き各停車の
発車時刻なのですが、夜の8時19分か、35分発に乗れと
指示があったのですが、脅迫金を持参した、丸大の常務が
どちらに乗るかを、犯人は確認する必要があったのですよね。
と云うことは、犯人は、現金持参人が、高槻駅の観光案内板の
裏に張られた、指示書を見て、指定の電車に乗るのを確認する
必要がありますね。
8月4日に行ってきたのですが、高槻駅の改札所は
2階にあり、そこに上がる階段と、2階の通路から見下ろせる、
非常に見やすい位置に、観光案内板は設置されていました。
階段や通路からなら、立ち止まって見ていても、夜の8時頃、
不審がられる事は無いと思えました。
もちろん私は、昭和59年の高槻駅を知りませんので、
違っていたらご指摘下さい。
その時の状況を、素人迷探偵が推理するのですが、
① 観光案内板の裏に指示書を張り付け、丸大食品の取締役に
直ぐ連絡。長く放置すると、関係のない無粋な暇人に取られる
可能性がある。
(関西では良くあることです。)
② 指示書を見て、常務が、京都行きの普通電車に乗り込むのを
確認し、同じ電車に乗り込む。1人~3人。
確認するために、案内板が見える、階段、2階通路から、
まとまっていると、不審がられるといけないので、
一人ひとり、バラバラで。
又は、一人が監視し、常務が指示書を見たことを確認して、
他の犯人に身振りで知らせ、電車に乗り込む。
③ 取締役に、持参の五千万円が入ったバックを、
1メートル四角の白い旗見たら、外へ放り出せ。
の指示をしたという事は、その場所に犯人の仲間が
待って居るわけですから、その仲間に、取締役が乗った
時刻を連絡するための手段として、無線機が必要
だったのでしょうね。
何度も言います、当時はまだ携帯電話がない時代です。
④ 高槻駅から京都駅までの山崎駅と神足(コウタリ)駅
(現 長岡京駅)の間で、京都駅に向かって、左側に
夜の8時過ぎ真っ暗な中で、取締役が見てよく分かる位置に、
白い旗を取り付けるのは、とても大変だなと思うのです。
想像なのですが、恐らく何度か無線を使って、予行演習を
したのではないでしょうか。
⑤ 常務に、後ろから2両目の京都に向かって、左側の席に
座ることを指示したのは、犯行実行時間の夜8時は、窓の外の
景色は暗く、山崎駅から神足駅のあいだは、建物が少なく、
畑が続き、夜間の照明はほとんど、無いのですから、
夜に指示した白い旗が確認しにくいのではと思い、
後ろから2両目ならば、先頭車両からの車内照明で、
見やすいだろうと、想定したからかもしれません。
此の状況を想定した上の、指示書の内容通りに、取締役が
行動するはずだと、思いこんでいた犯行グループは、
午後8時35分発の京都行きに、それぞれ別々に乗り込み、
取締役が、山崎駅を過ぎたところで、白い旗を見つけ、
五千万円の入った鞄を放り投げるのを、見ることを
随分楽しみにしていたことでしょうね。
ところが、身代わりの捜査員は、「後ろから2両目に乗れ。」
の指示に従わず、先頭車両に乗り込む。
犯行グループの混乱。
「何で、指示した後ろから2両目に乗らんのんや?」
「わしらが、乗って見張って居ることを解らず、白い旗を
見つけることを、最優先しとるんかもしれんな。」
「先頭車両からやったら、周りが暗いから、白い旗を
見つけられんかもしれんがな。」
「取り敢えず、先頭車両の次の車両に乗って見張って
おかんと。」
山崎駅と神足駅の間で、身替わり捜査員は、車窓から
白い旗を見つけた。でも、カバンを投げなかった。
「白い旗の近くに、捜査員が配置できていない状況で、
カバンを車外に放り投げると、ただ現金を、取られる
だけと思ったから。」
8月4日に京都まで行った時の、山崎駅から神足駅までの
車窓から見える光景です。
普通電車用線路の左側の車窓に、線路が接して見えますが、
事件以降に増設された、新快速用車線です。
(今なら、新快速用車線が邪魔をして、カバンが線路の
外へ放れませんね。)
1.
山崎駅プラットフォーム 白い旗を求めてイザ出発です。
2.
3.
阪急電車 京都線の交差部 3. 4. 5. 6. で平行して
走行します。
4.
5.
6.
7.
阪急の線路が離れて行き、畑 果樹園 竹林が続きます。
8.
9.
新興住宅街、当時どの程度完成していたかは不明です。
10.
新興住宅街の一部で、平成30年6月18日発生した、
北摂(大阪北部)地震の影響で?、青いテントで、
応急修理した? 家が何軒かありました。
11.
新興住宅街、かなり新しい家造りですので、昭和59年
事件当時は、畑では?
12.
進行方向に見えてきたのは、2013年に開通した、京都縦貫自動車道(沓掛ー大山崎)
当時は、影も形もありません。
13.
京都縦貫自動車道(当時は無し)をくぐった場所。
14.
15.
13. 14. 15.はかなり眺望が広がる田園です。
16.
此の後は、神足(長岡天神)駅まで、住宅街が続きます。
犯人が立てた、白い旗の場所はどこか?
もう想定できましたか。
又いくつかの条件を確認して置きましょうね。
① 旗は、脅迫金持参者に必ず見つけてもらわないと
いけなのですから、見つけやすいようにするためには、
線路に向かって、平行に、四辺を固定して広げる
必要がありますね。そのためには、木立、柵が
欲しいですね、無ければ竹の棒を二本立てますか。
線路から近すぎては、すぐに通り過ぎてしまうので、
確認しづらい、遠すぎても、見つけにくい。
② 白い旗は、脅迫金持参者以外には見られたくない。
③ 目的が達成できたら、直ぐに撤去できるようにしたい。
④ 脅迫金持参者が、旗を見つけて、カバンを放るまで、
かなりの時差が想定されるので、その間は畑などの
同じ環境が続いている方が、回収には適している。
⑤ カバンの回収には、開けた場所が必要。
夜の9時前、暗さのため、放られたカバンを見つけられない
恐れがあるから。
⑥ 回収後の逃走の為には、近くに車の通れる道があり、他の人に
怪しまれずに、車を停めておける場所が必要。
その時間、他の車の通行がない道。
⑦ 放り投げられたカバンが、回収困難な、川、溝、水田が
無い場所。
これらの条件をクリアーできる場所は?
(皆さん、是非グーグルマップを見比べて探してみて下さい。
2カ所ほどに絞り込まれますよ。楽しいですね。)
指定の白い旗のある場所に、放られなかった事を、犯人はどう
考えたでしょうか?
① 脅迫金持参者が、暗かった為に、白い旗を見つけ
られなっかた。
② 見つけたけれど、窓からカバンを放り投げるタイミングが
無かった。
③ そもそもカバンを投げる気がなかった。
「もしかしたら、警察かも?」 と思った。
カバンが自分たちが指定の場所で放られなかったことを、
確認した犯人、特に、キツネ目の男は、その訳が
読み込めず、戸惑ったようです。
脅迫金持参者の、後に付いて、京都駅まで行き、持参者が
京都駅から又、高槻駅まで戻るのを尾行し、持参者が
高槻駅で、下車し駅の外へ、出て行くのを確認して、
今回の件が失敗したことを悟り、高槻駅から又、
京都駅まで行き、それから....
追尾していた、捜査官が、京都駅で見失う!!!
此の経過から、警察の捜査に対する疑問不審が皆さんも
わき上がりますよね!。
(NHK-S)に詳しく経過が記載されています。
① なぜ捜査員は、キツネ目の男を見失ってしまったのか?
② なぜ京都駅で、キツネ目の男に職務質問をしなかったのか?
③ なぜもっと確実な捜査員の数で、対応しなかったのか?
④ なぜ不審者の隠し撮りなど、以後の捜査に有用な情報収集を
しなかったのか?
⑤ 同じ普通車に乗り合わせていた、その他の不審者をなぜ
追わなかったのか?
一人は、50才ぐらいの安もんのやくざ風。
もう一人は、30才半ばの無線機を操作していた細身の男。
そしてこれと同じ過ちを、その後の森永製菓事件の、
名神 大津サービスエリアでも、起こしてしまいます。
NHKが独自に、当時の警察関係者に取材し、当時の捜査
担当者が心の中で思っていたことは、大阪府警の
特殊捜査班にたいする不審でした。
①、②の追跡していた捜査員は、殺人犯対応の実行部隊
では無く、誘拐などを捜査する、知能犯対応捜査員の為、
犯人と直接対話できる図々しさに、欠けていたのでは
ないかと言う意見が在ったようです。
③ 捜査員が少なかったのは、大阪府警の特捜班が、
情報漏洩を恐れ、(特にマスコミに対して。)
同じ大阪府警の他の部署へ情報を教えることは少なく、
他の(京都府警、滋賀県警、等へ)捜査情報を伝達
共有していなかった為に、他の部署、他県警が協力
できなかったとされています。
⑤のキツネ目以外の、不審な二人をなぜ追わずに逃がして
しまったのか?
考えられる答えは、③の特捜班だけで対応しようと
したため、電車に同乗できた、五人の捜査員だけになって
しまい、京都府警に連絡していないため、現場に一番
詳しい京都府警の捜査員は居なかった為、キツネ目の男に
絞らざるを得なかった。
午後10時半頃の京都駅では帰宅ラッシュは終わり、辺りの
様子を確認しながら、キツネ目の男が階段を下りたのを
見計らい、捜査員も階段を下りたが、そこにはすでに男は
居なくなっていた。
見失ってしまった!!
確かに駅の構内を、犯人に悟られずに、尾行することはかなり
難しい作業だとは思います。
(実は私も若い頃の苦い記憶に、いつも通勤電車が同じになる、
すてきな女性の勤務先が知りたくなってしまい、同じ方向へ
向かったことがあるのです。
絶対に、知られては不味いと、心臓バクバク物で、
駅の構内を人の陰に隠れて、ついて行ったのですが。
結局見失い、がっくりしました。次の日から、
恥ずかしくなり、通勤時間を、変えてしまいました。
エヘヘ 何十年も前の 若気のいたりです、すみません。)
尾行は本当に難しいのですから、犯人の直接的な情報が無い
状況ですので。
「職務質問を、是非するべきだったと私は思たのですが。」
捜査員が、京都駅から、大阪府警本部に職務質問をしたい
旨を電話で直訴すると。
捜査幹部から、「捜査方針に反する。」と否定された、
らしいのです。
確かに、何の確証も無い中で、トボケられたらそれまで
ですからね。
捜査方針は、「一網打尽」だったそうです。
(NHK-S) →
これは、特殊班が担当している誘拐や立てこもりの事件では、
セオリーともいえるもので、こうした事件では一人でも犯人を
取り逃がしてしまうと、人質に危害が加えられる恐れがある為。
だそうです。
でも此の時点では、誰も人質になっていないのだし、
犯人グループの背景や、繋がりなど何も解らない状況だった
のだから。
それ以後も、憶測以外の確実な情報がないままですよね。
当時の捜査本部の責任者は、NHKの取材に、
「...... 仮に捕まえたとしても、私は全く関係在りませんと
言われたら、突っ込みようが無いジャー無いですか。..........
あくまで尾行や、尾行していれば、......。」
一方、現場捜査の経験がある捜査官は、
「...... その時、逮捕できなくても、職務質問さえして、身の上が
解っていれば、ほかの共犯者も絶対、割れたと思う。.....。」
「...... 実際、それが教訓になって、にせグリコ犯がようけ
出てきた時には、犯人が指定してきた現金受け渡し場所を
通りかかったやつは何でもかんでも、通行人であっても、
職質をかけて捕まえた。そのおかげで、にせグリコ犯は
ちゃんと捕まっているからね。」
そういえば、事件があった当時、何回か、にせグリコ犯が
捕まった、と報道されていましたね。
どちらが正しいと言うのではなく、
結果が全てですからね。
結果として、大阪府警特捜班は、本物のグリコ森永犯を
取り逃がしてしまった。
その後事件は、ハウス食品
(指定受け渡し場所、京都市伏見区)
に移ります。
(NHK-S) に書かれた事件の内容は、一般人の私が
当時報道された内容から想像していたものとは、とても
違っていました。
詳細はNHKスペシャルの新潮文庫を是非購読して下さい。
警察様が、当時我々一般人には公開していただけなかった、
情報がいっぱいです。
←(NHK-S)
心のトゲ、「あの人、もしかして?」 北摂雑想 へ戻る
平成29年夏、飛鳥探訪+北摂 安威川散策へ戻る。
◎ 古代史 のんびり散歩
スタートページ です。
(新作順表示)
◎ 目次ページ
(創作順表示)
◎ 「難波宮ッテ?」
古代史感のすれ違い
メイン ブログです。
すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。
ひらひらと申します。
よろしくお願いいたします。
グリコ森永事件についての記事をありがとうございます。特に、本件に関連する場所の貴重なお写真や、詳しい地理的なご説明、本当にありがとうございました。
当方、本件発生以来の、かなりしつこいグリ森ウォッチャーです。しかしながら、関東民のため現場の詳しい様子などは、関連本に掲載されている写真位しか見たことがありませんでした。
今回、六月二日と二十八日の件に関するお写真を見せて頂き、とても興奮しました。
いろいろと書きたいことはありますが、長くなりますのでひとつだけ。
主様のいろいろな疑問は、朝日文庫または新風舎文庫の「グリコ・森永事件」をお読みになると、かなりの部分が解決されるかと存じます。
こちらは、朝日新聞大阪社会部の、グリ森担当班の当時の取材記録と、犯人からの脅迫状及び挑戦状が全文載っています。
ごめんなさい、もうひとつ。
企業の役員の住所がなぜわかっているのか、ということについてですが、犯人たちのバックには間違いなく総会屋がいますので、企業の内部情報を知ることは、彼らにとっては朝飯前の仕事と存じます。
もうひとつ確認ですが、きつねさんとビデオの男は別人だと思われます。個人的には、ビデオの男と草津の盗難車の男が同一だと思います。この人はもしかすると現役警察官かもしれません。
長くなりました。すみません。
またお話しさせて頂きたいと存じます。
このご縁に感謝します。