続いて、2枚目。「ぶれてしまいましたが、『復帰』39年5・14沖縄集会の暁子さんです。」(Hさんより) . . . 本文を読む
ちなみに、5・1メーデーの団結集会後のデモの写真です。スローガンは、「原発止めろ!」「震災解雇許すな!」。仙台の一番町商店街に元気なコールが響き渡り、若者の飛び入りが続々。楽しかったですよ。 . . . 本文を読む
写真は、5月5日に暁子さんたちと仙台の荒浜地区に行った時のもの。唯一残ってる建物は、荒浜小学校の体育館と校舎でした。私は数年前に、子どものバスケの付き添いで何度か行ったことがありますが、風景が一変してることに改めてびっくりしました。海水浴場までびっしり家があったし、交差点にはコンビニもあったはずなのに・・・。校舎と体育館の間にあった木造の古い武道場のような建物は跡形もありませんでした。 . . . 本文を読む
5月5日の写真です。暁子さんから全国の皆さんからのの震災救援カンパを手渡されました!様々な義援金カンパがテレビなどのマスコミで報道されてますが、正直言って、私たちに届くようなものはひとつもありません。家賃、光熱費の請求は何事もなかったように引き落とされ・・・私の職場などでは、逆に義援金カンパを半強制的に集められています。だから、直接届けられるカンパは有難いです。被災した宮城の会員の方の支援に役立てさせていただきます。 . . . 本文を読む
昨日(5月5日)、星野暁子さんを始め、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の6人の皆さんが、震災見舞いと激励のために仙台に来てくださいました。全国からのカンパ(二度目です!)10万円を届けていただきました。本当にありがとうございます!感謝の気持ちでいっぱいです。3日の朝、東京を出られて、福島の会の仲間を訪問し、4日は福島の相馬市から海岸沿いを北上して、名取市役所まで。そこで、私たち宮城の会と合流しました。名取から仙台南部(若林区)の海岸部を一緒に見ました。その後、仙台市内の震災現地対策本部のある労組交流センターの事務所で交流会をもちました。 . . . 本文を読む
今日の最高気温は0時の9度台。日中どんどん下がって、夕方には霙から雪になりました。満開の桜に雪です。 写真は、先週末、うちの団地のガスの開通にきてくれた庄内ナンバーの大型バス。全国のガス会社の労働者がガスの復旧に街を駆け回ってくれています。36日ぶりにガスが開通しました!さっそくお風呂掃除をして、昼からお風呂に入りました!今も避難所生活を強いられている二十万人近い人たちに、一日も早く住居を! . . . 本文を読む
会員のYさんから、桜の写メ送られてきました。先週半ば、ラジオ聞いてたら、「仙台で桜の開花宣言」と言ってて、「えぇ~!?」と信じられない思いが・・・ 3月11日から何となく季節が止まっているような。花を気にかける余裕もなかったということかな。 写真は、どこのお寺でしょうか?灯篭か石柱が倒れたままですね。 梅も散っていませんが、木蓮も満開。春は進んでますね! . . . 本文を読む
本日(4月10日)、仙台の繁華街にて「原発止めよう!震災解雇許すな!」の街頭宣伝活動を行いました。大震災現地闘争本部の主催で私たちも参加しました。街頭に立つのは、大震災の後、初めて(学生さんたちは先週から何度かやってたようですが)。街の人たちがどんな反応か、少しドキドキでしたが、200筆以上の署名が集まりました。28人の労働者、学生で2時間。署名隊が11人。こんなに仙台で署名が集まった経験はありません。署名は、8・6広島実行委員会の陣形と福島の原発爆発に怒る農民と合同労組の共同で呼びかけられた「原発廃止、被災地への補償・・・」を求めるもの。「私も原発はいらないと思う」「女川原発も廃止してほしい」「うちの実家は郡山なの」など、原発への怒りや不信を話す人が大勢いました。次の土曜日には、震災後初の星野街宣です。みんな来てね!頑張ろう!呼びかけよう! . . . 本文を読む
会員のYさんが写してきた仙台市若林区の川の写真(小さくてよく見えない時は本文を見てください)。海から7キロも離れた川の中に浮かぶ家の2階部分。名取市の閑上や若林区の蒲生地域を、先週、私も見てきましたが、土台しか残っていない家がたくさんありました。家の中に車があったり、船が入ってたり。海岸から2~3キロくらいに東部道路という高速道路がありますが、高さ7~8メートルくらいでしょうか。その高速道路の海側と反対側では被害は全く違います。堤防がもっと高ければ・・・と感じました。 . . . 本文を読む
4月3日、仙台市内のみやぎ労組交流センターの事務所にて、東日本大震災の仙台現地本部の立ち上げ集会が行われ、みやぎ星野文昭さんを救う会としても参加しました。仙台市内の市民会場はすべて使用できないため(避難所以外は施設開放すればいいのに・・・)、センター事務所となりました。福島の労組交流センターの仲間、秋田の青年労働者も参加。東北の労働運動、学生運動、市民運動に集まる仲間が会場いっぱいに集まりました。また、これに合わせて、動労千葉から滝口誠さんたちが軽ワゴンにたくさんの支援物資と大量のガソリンを積んで駆けつけてくれました。感謝です!「被災地の福島・宮城から被災地支援、原発即時停止・全廃の大運動を発信しよう!」と。 午前中には、海岸沿いの被災現地を3台の車で回りました。私も、震災後沿岸の街に入るのは初めて。田んぼの中に流された家や船、車、壊滅的な被害受けた下水処理場などを見ました。3週間が経ち、水が引いた後には大量の瓦礫(木材や家財道具、車・・・)が乾いた泥にまみれていました。全金本山のKさんの家でKさんのお話が聞けました。車中泊の毎日だそうです。「負けないで頑張ろう」と。前を向いて生き抜くたたかい。団結して進みましょう! . . . 本文を読む