山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol11( 11‐①~ )

2024-06-03 17:12:24 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



11-⑧森様のムクノキほか(美祢市秋芳町江原)     
                    2024.5.30 
     
以前から秋芳町の日本百名水「別府弁天池」近くの県道31号の道路標識に「江原ウバーレ集落」はこちら→というのがありまして、見るたびに「ウバーレ集落」とはなんぞや?と思ったのですが、家に帰るとそんな疑問も飛んでました。今回「江原ウバーレ集落」に行くということで改めて調べたところ「石灰岩が雨水で溶けたくぼみであるドリーネ、多数の小さな独立したドリーネが1つの陥没穴として結合してできたウバーレ、さらにはウバーレが大きくなったのがポリエ」ということらしいです。秋吉台のある山口県民にはドリーネというのは馴染みがあるのですが、ウバーレというのがあるとは初めて知りました。ウバーレに数十軒の家のある集落ができているのは、とても珍しいことだそうです。しかも「江原」というのは「よわら」と読むそうで「誰も読めんじゃろ!」と突っ込みたくなります。
さて肝心の”森様”の場所ですが、これがなかなか大変でした。多分こっちだろうと行ってはみたものの、藪に道を阻まれて行けなくなり、誰かに聞いてみようと2~3軒の家を訪ねても誰も出てきては無いしで途方に暮れました。もう諦めて駐車場まで帰ろうとしたところお寺があったので、そこを訪ねて奥様にやっと少し話を聞くことができました。ただお寺なので森様の祭りには一切関わって無くて、場所は分からないとのことでした。聞く人がいなくて・・と話すと、あそこら辺りに農作業をしている人がいるはずだから・・と場所を教えてくれました。言われたとおりに行ってみると2~3人が畑作業をしています。その中のオジサンに聞いてみると「この道を300m位登って行くと石の階段があるからすぐ分かるよ。そこが森様への入り口だから」とのことでした。やれやれやっと辿り着けるかと安堵し登って行きましたが、あにはからんや行けども行けども石の階段が見当たりません。もうあるじゃろ、もうあるじゃろと登って行きましたが、さすがにいい加減登ったところで「もう、分からんわ!」と匙を投げてトボトボと引き返していたところ、女房が「ひょっとして、此処のことじゃない?」と言います。私たちは神社等の石の階段を思ってたのですが、自然石でしかも1段あるかないか解らんような物だとは想像もしてませんでした。それが写真の入り口です。「これを石の階段があるなんて言うかなぁー?」と半信半疑で中に入って行くと直ぐには何も無く、数十メートル奥にやっとそれらしき樹を見つけました。注連縄が張って有り祭壇もあります。
やれやれ永かったなぁーと安堵しました。

   
ムクノキの巨樹です。なかなかのものです。ムクノキは日本では古くからエノキと共に一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹となり、神社では神の「依り代」として保護・植栽されてきました。ここにはムクノキやエノキの大きなのが何本かありますが、自然のものか植栽されたものかは不明です。
ヤナギイボタという珍しい樹もあるとのことでしたが、どこにあるのか分かりませんでした。

  
倒木してる巨樹も有りますし、棕櫚(シュロ)の樹やカゴノキ?なんかもありました。
森様というのは2か所にあるらしく、ここは上組の森様だと思います。ある民俗誌には「上組の森は蛇、下組のそれは蛙を祀るとされる。土地の言葉で蛇はヤムシ、蛙はヒキという。いずれの森もムクノキを神木とし、集落の南北両端に位置する。・・」などとカルスト地帯の極端な乏水性を背景として、水神としての要素があることが述べられています。


11-⑦早二のクロガネモチ(美祢市秋芳町青景早二)
   市指定天然記念物 指定解除     2024.5.30 
  
地区の集会場の「早二公会堂」敷地内にあるクロガネモチです。残念なことに上部が大きく折損していて、それかあらぬか市指定天然記念物の指定を解除されています。

  
「樹幹の下部(目通り付近以下)には樹瘤が目立ち異形です」とのことですが、今まで見てきたクロガネモチの巨樹には殆どといっていいほど下部に樹瘤が目立ちますので、私には見慣れた風景です。ただ三宅先生の本には内部が大分枯損していると出ていますが、現在では樹皮が枯れて大きく剥離してしまっていて、目通り3.46mあったのが少し小さくなってるものと思われます。
ただそれでも大きいですね。立派な巨樹です。上部の折損と下部の枯損で厳しい状況だなぁ―と思いますが、枝葉は元気そうなので何とか長生きして欲しいものです。

  


11-⑥山領のヤマザクラ(美祢市秋芳町青景山領)
   枯死、消失            2024.5.30   

山領地区の墓地にあるということでしたので墓地まで行って探してみたのですが、どこにもそんな巨樹は無く「おかしいなぁー」と言いながらあちこち探してみても分かりません。お墓自体はそこそこ綺麗ですが、周りは草ぼうぼうで探すに探せない状態です。
いったんあきらめて近くをウロウロして探しますがありません。時間が経ってやっと出会えた里人に聞いてみると「あぁー、あれは無くなってしもうた。ぼろぼろと枝が落ちてきてなぁー、100年も経っとるからしょうがないのー」とのことでした。
またしても間に合いませんでした。三宅先生の本の写真では、遠くからでも見える大きなヤマザクラが写っています。柳井市の琴石山で見つかったヤマザクラにつぐ大きさだったみたいです。会いたかったなぁ―、残念でなりません。

ネットでいろいろ調べてましたら、以前「山領のヤマザクラ」を何回か見に行った方の情報が出ていました。それによると、2013年・・・全く問題なし、2016年・・・分岐した幹が半分になっていた、2022年・・・消失 となっていました。(詳しくはネットを参照してください)
2014年以降に問題が発生してきたのだと思います。何とかならなかったのかなぁ―と無念の思いです。


11-⑤三島神社のカヤ(美祢市美東町赤佐山)
   市指定天然記念物(社叢)      2024.5.30        
  
絵堂から秋吉台サファリランド前を通り、2叉路を右折し県道239号を嘉万方面に向かい直ぐ左側に鳥居が見えます。鳥居があって拝殿があって、後背地はこんもりとした石灰岩の小山というとてもこじんまりとした可愛らしい神社です。三百数十年前に伊豆国(静岡県)三島から「水の神」として勧請したと伝えられています。
江戸時代の風土注進案には三嶋社・河内社・稲荷社の三社相殿と記載されてるそうです。三嶋社も河内社も水の神様ですから、秋吉台近辺は水を確保するのがいかに困難だったかが分かります。

  
カヤの巨樹は社殿の両側にあり多分植栽されたものであろうと言われています。それぞれ幹周3.55m・3.35mの立派な巨樹です。背景の樹林内にはやや小さい10数本のカヤがあるそうですが、石灰岩の岩塊のはざまに生えていますので野生種なのかもしれません。ここの周辺地域にも野生種が見られるそうです。
カヤの材は古くから建築・彫刻・碁盤材として賞用されてきました。木肌がとても美しいみたいです。カヤの樹は4年ぶりに(3-⑧洞海寺のカヤ)見ることができ嬉しかったです。

  
背景の樹林にはカヤの樹や棕櫚等が生えています。シラカシやエノキもあるようですが、割とこざっぱりとした小さな空間にあります。右側の写真には「猿田彦大神」の石碑(道案内の神・庚申信仰にも関係あり)が写ってますが、これも久しぶりに見たので嬉しかったです。 


11-④須賀神社のスダジイほか (美祢市美東町赤植畠)
                    2024.5.30
             「秋吉台サファリランド」へ行く途中の八幡池の左側道のそばに鳥居とフェンスという一見??な入り口が見えます。獣除けに設置されたであろうフェンスの入り口を手で開け鳥居をくぐり階段を登って行きます。見上げるといきなりの急登で「嘘やろー」とブツブツ言いながら登ります。

  
急登の所々に巨樹があります。ひいひい言いながらやっと石祠(1969年、昭和44年建立)がある所に辿り着きました。須賀神社は昔は荒神社と言いましたが、明治時代に須賀神社と改称したそうです。急登をひいひい言いながら登って来ないといけない所によくも造ったなぁ―と感心します。
さて肝心の三宅先生の本に出ているスダジイを探しますが、竹や雑木が繁茂していてなかなか見つかりません。

   
しばらく探し回ってやっと少し下った所にそれらしい巨樹を見つけましたが、急坂と竹や雑木に遮られて近づくことが出来ません。写真でも下部が竹や雑木で遮られて撮れなくて判然としません。ただ二人であちこちから観察して、三宅先生の写真と同じような姿形が見えたので間違いないだろうということになりました。
シイの仲間は北陸以南の暖帯域に広く分布しています。県内ではスダジイ・コジイを含めて村落地のほぼ全域に分布していますが、やや高い地域では見られないようです。スダジイの樹皮は深く裂けるがコジイは裂けない等の違いはありますが、スダジイ・コジイの中間型があり識別が難しくなっています。
その他にはモチノキ、タブノキ、ヤマモモのやや大きめの樹があるとのことですが、どれがどれだか分かりません。


11-③毘沙門堂のイロハモミジ
             (美祢市美東町綾木四の瀬)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
国道435号を美東から山口へ行く途中、四の瀬のバス停近くから右側に集落に下りていきます。四叉路の手前に「四の瀬のイロハモミジ」と彫られた石柱があります。ただ肝心の方向を示す矢印がどこにも見当たらず、あちこち歩いてみましたが分かりません。結局離れた距離で農作業をしていたオジサンに大声で聞いてみたら「石柱の道を真っ直ぐ山の方へ行けば良いんよ、携帯の中継局の鉄塔が目印じゃけ」とのことでした。言われた通り行き、道幅の広い所に車を置きしばらく歩いて行くと写真のような鳥居が見えてきました。

  
背の低い鳥居をくぐって毘沙門堂の方へ行くと、何やら説明版があります。ここはとにかく薄暗くて最初は良く見えなかったのですが、説明版の隣に巨樹らしきものが見えてきました。思わず「おおー、これは!」 と声が出ました。モミジの木がこんなに大きくなるのか?としばらく見とれてました。ここまでと思ってなかったので、ただただ呆然です。

  
このイロハモミジは県内最大の巨樹みたいです。 こんな所(失礼)にこんな巨樹があるのかぁーと頭の中は興奮気味です。高さはそうでもないんでしょうが、幹周4m位というのはすごいなぁー。1m位の高さで3分岐してますが、それが幅広の良い姿になってます。

 
薄暗いあまり風通しの良くない場所なので、幹には苔が吹き付けたようについてます。
毘沙門天は多聞天とも言い、夜叉を率いて仏界の北方を守護し、財宝富貴・仏法護持・戦勝の神として信仰されたとのことです。江戸時代の「風土注進案」にもこの毘沙門堂が出てくるらしいので、古くから集落の人々に信仰されてきたのでしょう。イロハモミジは江戸時代に毘沙門堂を整備した時に植えられたものだろうとのことですので、樹齢は2~300年ぐらいでしょうか。


11-②大田の往還松(クロマツ)    
        (美祢市美東町大田弁財) 2024.5.30            
    
昔は萩市へ行く時にはこの側を通っている県道28号線を利用していたので、ここのクロマツ(昔は3本あり「弁財の3本松」と呼ばれていました)を必ず目にしていました。かなりな高さのある3本のクロマツを見ると「すげぇー松の木があるなぁー」と思いながら車を運転していたものです。昔はこういう自然のものを大事にするという風潮も無かったので、ご多分にもれずマツノザイセンチュウにやられて手遅れで2本が枯死してしまいました。残る1本も上部が台風にやられて折損していますが、何とか生き永らえています。

 
昔は街道沿いにこういう大きな街道松があちこちに残っていたのでしょうが、明治以来の道路の拡幅工事で切られたりマツノザイセンチュウにやられたりで、県下で大きな街道松が残っているのはこの1本だけみたいです。

  
クロマツの樹皮は灰黒色で亀甲状に深く裂けて趣がでるために、古くから庭園や街道の並木として植栽されてきましたが、近年(1980年代~)マツノマダラカミキリが運ぶマツノザイセンチュウの影響で多くの巨樹・名樹が枯死してきました。最初は枯死する原因が分からなかったにしても、もう少し早くに人間が手を打っておけば・・と思わないでもありません。
少し前には「ナラ枯れ」が問題になりましたし、ちょっと前からは日本全国で「サクラ枯れ」が話題になっています。自然環境の悪化や昔は無かった爆発的な病害虫の発生などで、いかな巨樹でも人間がちゃんと保護・管理していなければ、あっという間に枯死してしまう時代になったんだと痛感します。


11-①綾木八幡宮のシマモクセイほか
             (美祢市美東町綾木宮の台)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
最初は平安時代末の1181年(養和元年)に宇佐八幡宮から勧請され、1635年(寛永12年)に再建されたとのことです。850年ぐらいの由緒ある八幡宮です。

  
手をついている手前の木は別種ですが、その向こうに3分岐したシマモクセイがあります。シマモクセイは別名「ナタオレノキ」とも呼ばれ、その材質の硬さから工具の柄などに使われています。なるほどナタオレと言われるほど固いのかぁーと感心してます。顕著な暖帯性種で県内では産地も個体数も少ないそうです。ただここの樹は、種々の特徴から九州南部に分布するオオモクセイに近似のもののようで、将来再検討されるかもしれません。

  
幹のきめ細やかさは固そうな樹だなぁ―と思わされます。葉はこんな感じ。またシマモクセイは2本あり、3分岐した樹から1m位離れて少し細いもう1本があります。

   
その他にも、ウラジロガシ・ツクバネガシ・シイ・クロガネモチなどのやや大きい樹があるとのことですが、私にはどれがどれか分かりません。




















巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol10( 10‐①~⑨ )

2023-04-03 18:22:02 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



10-⑨正現寺のイヌマほか(美祢市美東町長田郷)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
臨済宗万勝寺という寺が衰退し、真宗の道場として再興され1640年(寛永17年)に正現寺となりました。江戸末期ごろ好んで富士を描いた画家の菅江嶺の菩提寺だそうです。山口県の先達ではありますが私は不勉強でこの人物を全く知りません。
正面右側の大きな石灯籠(多分)が特徴的です。

  
説明版によると、ここのイヌマキは雌株とのことなので果実が生るんだろうと思います。果実は紫黒色に熟すと食用になるみたいです。県内では”さるのみ”とか”さるのきんたま”とか言われて甘みがあり子供たちによく食べられていたそうです。私はまったく記憶がありませんので私より上の世代の話だと思います。
ここのイヌマキは県内有数の高さを誇りますが、幹がいろんな雑木に絡まれていて少し苦しそうです。

  
その他にも鐘楼の傍にそこそこ大きなイチョウと、これに這い上がって2分岐しているこれもそこそこ大きなフジが有ります。

    
 


10-⑧法香院のヤブツバキ(美祢市美東町絵堂)
   市指定天然記念物         2024.5.10
  
この寺は元々1184年頃に三隅に創建されたそうですが、何回かの転地のあと現在地に移転再建されたそうです。法然寺と称していたそうですが別名法香院とも呼ばれてました。現在は残念ながら廃寺となっていますが、お墓なんかがけっこう残ってますので、それなりに整備はされています。
本堂の前にはそこそこ大きなイチョウがあります。また、ヤブツバキのそばにはユズリハの大きなのがあります。

  
イチョウの近くの墓の一角に旧美東町の天然記念物に指定されたという標識が立つヤブツバキがあります。大きさ的には県内でも有数の巨樹です。まだまだ枝葉も元気で、大きな折損もなさそうです。
ツバキは日本海側は青森県深浦まで北上してますが、能登や越中では八百比丘尼(人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという伝説の人物)がツバキを植えたという伝承が残ってるそうです。
県内では萩市笠山がヤブツバキ群生林として整備されていて、花期には観光客が多く訪れます。

    
右奥の観音堂は長門16番霊場として1625年(寛永2年)に定められたそうですが、廃寺となった現在は少し寂れた感じで参拝客が来るとは思えませんでした。観音堂に上がる階段の両側にイロハモミジの巨樹があります。左側の方が大きいみたいですがなかなかの樹で秋の紅葉の見事さが想像できます。

 
10-⑦明林寺のハルニレ(美祢市美東町綾木九瀬原)
   市指定天然記念物(イヌマキのみ)  2024.5.10        
   
山門を入ってすぐの所にイチョウのまあまあ大きいのがあり、鐘撞堂の側には美祢市の天然記念物に指定されているイヌマキの巨樹があります。さらに奥には何とも言えず見事な巨樹が有り、三宅先生の本には記載がないのですが、樹皮や葉っぱの形状から多分トチノキではないかと思います。その堂々たる風格ある姿形にほれぼれと見とれてしまいます。

   
( 多分、トチノキ? )
さて肝心のハルニレは何処に?と、あちこち探しても見つかりません。ちょっと誰かに聞いてみようか・・ということになり、方丈(というより、一般住宅)を訪ねてみると運よく住職の息子さんと思しき方が出てこられ「あの樹は後ろの山側にあり、此処からは見えないし行けないので・・・」と、知らなければ絶対に行けないような道をわざわざ案内してくださいました。ぐるっと回って薄暗い山道を行き、やっと到着しました。

  
手前のが大きい方(1.93m)で、奥の方のやつが小さい方(1.76m)です。大きい方は根が板根状になってます。これが普通なのかな? 初めて見る樹なのでよく分かりません。枝葉は幹の中途と先端の方にあるだけで、特異な形状をしています。これも普通なのかなぁ―。
野生種は県内には少なく、近くでは秋吉台上に見られるそうです。
手前にはオニグルミの大きなのが有りましたが、台風で倒木してしまい幹が切られて直ぐ近くに並べられています。これを見ても大きかったんだなぁーと分かります。棕櫚の樹も周りに有りましたが、これも倒木してしまって少なくなってます。

   

明林寺は京都の銀閣寺が創建(1482年)されてからしばらく後の1489年創建の由緒ある古寺です。本堂裏にある日本式庭園・池が有名なお寺で、ハルニレはその後ろの借景の山裾にあります。


10-⑥大師堂のフジ(山口市下小鯖鯖地)  2024.4.18                    
 
大師原公園は鳴滝・泰雲寺の近くから山口ICへ抜ける旧道沿いにあります。階段から鳥居へ行く道ではなく、その右側の道を登って行くとすぐに荒れ果てた藤棚に行きつきます。藤棚を造っていた木が倒れていたり折れていたりしていてまるで廃墟のようです。台風か何かの強風でこうなったものと思いますが、その後の補修や修理が全く為されずに今に至ってるものと思われます。

   
堂はすでに無く、長く放置されたままの祠みたいなのが一つあるだけです。
肝心のフジですが、少しだけ葉や花をつけているのを辿ってみると現在生きているのは一番奥の蔓だけみたいです。他の蔓には葉も花もついていないので、枯死したものと思われます。この藤棚の有様では仕方ないのかもしれません。

  
奥側に少しだけフジの花が咲いています。三宅先生が写真を撮った2002年の時とは比べものにならないくらい少なくなってます。これ以上藤棚の倒壊が進むと、フジの蔓が切れて全滅してしまうかもしれません。花房最長1m以上あったと言われ昔の「小鯖村史」にも載るぐらいの見事な藤棚を一目見たかったなぁ―とタメ息が出ます。


10-⑤泰雲寺の散りツバキほか(山口市下小鯖鳴滝)
                    2024.4.18
  
花が白色・八重咲きのなかなか立派な散りツバキです。普段目にするヤブツバキと違ってチリツバキは花弁が1枚づつ離生するもので、桜の花びらの様だと言えば分かりやすいでしょうか。もともとはヤブツバキが母種でその変種の八重ツバキの栽培変種とされてるそうです。奈良や京都などの寺院に古くから栽培され、花色は白色から紅色までいろいろ変化があり、多色のものは「五色散りツバキ」と呼ばれています。これの立派なやつは近くでは山口市鋳銭司の「両足寺」が有名です(樹齢300年・樹高5m、2-⑧参照)。我が家の隣家にも1.2m位の五色散りツバキがあり、毎年3月頃に色とりどりの花を咲かせ目を楽しませてくれてます。

  
泰雲寺は1404年に葦谷というところに「闢雲寺」という名で創建され、1423年に現在地に移遷されました。 有力な戦国大名の大内教弘もよく保護し没後本寺に葬られました。この頃は防長五刹に数えられ、大本山として傘下の寺は末寺~曾孫末寺まで含めると600余寺に達していたそうです。後に小早川隆景(毛利元就の三男)と室の菩提所となり、1609年(慶長14年)小早川隆景の十三回忌を機にその戒名からとり「泰雲寺」と改めたとのことです。隆景(供養塔)と室の墓があります。

   
 大内教弘の墓                小早川隆景の供養塔 

   
古いお寺なので寺域内にはイチョウの巨樹やイヌマキなどの樹々が残っています。


10-④笠山のムクノキほか(萩市越ケ浜)  2020.2.27
    
萩市笠山(かさやま)は東洋最小の火山として有名ですが、もう一つ「ヤブツバキの群生林」がある場所としても有名です。この笠山椿群生林 がある虎ヶ崎から群生林を抜けるように歩いて行くと笠山自然遊歩道が整備されていて頂上まで歩いて行けるようになっています。ムクノキはこの道の側に鎮座しています。

    
ムクノキは古来より神社仏閣では神仏の依り代として植栽され、村境の指標として植栽されたり街道の道標として植栽されてきました。笠山は毛利藩指月城の鬼門の方角にあり藩より保護されて立入りは制限されてきましたが、明治以降は一般に払い下げられたりして牛の放牧・植林・伐採がなされ人の往来が盛んになりました。このムクノキはそういった人々の分かりにくい山道の道標として親しまれてきたようです。

    
ムクノキの巨樹はどの樹も姿形が良いですね。ここのも幹周3.8mの堂々とした姿です。
笠山にはこの他にもクロマツ(3.7m)、4分岐したホルトノキ(3.3m)、あるいは麓の明神池そばの厳島神社付近にはクロマツ(4.2m)やイスノキ(3.7m、1-⑬参照)などの巨樹が残っています。



10-③快友寺のイヌマキほか(下関市菊川町吉賀)
    市指定天然記念物        2023.11.12
  
快友寺は1605年に現在地に移転され、勝善院という名から快友寺という寺名に改められました。現在は浄土宗のお寺になっています。イヌマキなどは風除けの為にその当時植栽されたものと思われ、それからすると樹齢は400年を超えなかなかの樹齢となります。

  
本堂と鐘楼             明版一切経を収蔵している八角輪蔵

     
観音堂の側にあるイヌマキ(表側)。近くに寄るとなかなかの大きさだと実感できます。

  
快友寺には大きなもので6本のイヌマキがありますが、うち5本は本堂の裏側にあります。一番大きなものは山口県でも有数の大きさとなっています。イヌマキ群としては下関市豊北町阿川の「阿川八幡宮」のもの(5‐⑧参照)が数的には群を抜いていますが、平地にこれだけのイヌマキ群があるのは珍しいと思います。

   
イヌマキの巨樹を見ていつも思うのは、近所の家のイヌマキの生垣(あちこちにあります)をしょっちゅう見てるんですが、それがこんなにも立派な巨樹になるのかーと感慨深いものがありますね。
またこの寺には以前コウヤマキの巨樹があったみたいですが、今は若木が植えられています。県内では主に東・北部にはコウヤマキがありますが、こんな西部にあるのは初めて見ました。巨樹の元気な姿を見たかったですね。
 


10-②生木地蔵のヤブツバキ(山口市阿東徳佐下神角)
                    2023.4.24
   
山口市阿東の秀峰「十種ヶ峰」の麓、神角(こうづの)集落にあるヤブツバキです。元は樹の根元近くが二分岐していてそこに”お地蔵様”を祀っていたところ、樹がどんどん大きくなってそのお地蔵様を吞み込んでしまって現在の姿になったそうです。主幹の中にはお地蔵様がいらっしゃるんですね。それで「生木地蔵(いきぎじぞう)」と名付けられたようです。
その主幹の幹回りは2mを越えていて、ヤブツバキとしては県内でも有数の大きさです。

  
前の道は林道で、「十種ヶ峰」頂上への登山道の始まりとなっています。

  
ヤブツバキの手前には、かなり大きくて立派なシダレザクラがあり、これを観に来られる観光客もたくさんいらっしゃいます。

 
そして何といっても此処は、「十種ヶ峰のヤマシャクヤクの群生地」として有名になってきています。日本でも有数のヤマシャクヤクの群生地で、この季節になると連日大勢の登山客が押し寄せます。かくゆう私もその一人です。


10-①徳佐台のエドヒガン・イトザクラ(山口市阿東徳佐下台)
                    2023.3.28
 
ここのエドヒガン(手前)・イトザクラ(奥)は個人の住宅(旧藩時代の徳佐村御本陣三軒のひとつ河野家)にあります。そのため中に入って見ることはできませんが、外から見てもなかなかの大きさだと分かります。
エドヒガンは花期が早く俗に「彼岸桜」と言われてるそうです。またイトザクラはエドヒガンが下垂する品種で一般には「シダレザクラ」と言われてるものです。ちょうど満開の時期なので車で通りすぎるときに眺めても見応えがあります。

  

 

















巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol9( 9‐①~⑨ )

2023-02-25 18:08:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



9-⑨極楽寺のスギモクセイ(山口市阿東嘉年上堂免)
   市指定天然記念物         2023.3.28               
  
極楽寺の前身は「五穀寺」といい寛政6年(1465)の創建と伝わっています。駐車場からすぐ目につくのはシダレザクラで、ちょうど満開の様でした。けっこう見栄えのするシダレザクラでしたので古いものかと思ったのですが、ご住職の奥様の話では「昭和38年に植栽したのでまだそんなに経ってませんよ」とのことでした。

  
山門をくぐり抜けるとすぐ左側にウスギモクセイの巨樹があり、その奥には生目大明神の祠があります。ウスギモクセイは地際で3分岐していますが大きさはかなりのもので、奥様が「柳井市のウスギモクセイは倒木したと聞いているので、多分ここのが県内で一番大きなウスギモクセイではないか」と話されていました。また「樹齢は400年近くと聞いてます」とのことです。ウスギモクセイの花は見たことが無かったので花色を聞いたところ「キンモクセイとギンモクセイの中間ぐらいの色ですよ」とのことでした。

  



9-⑧須賀神社のスギほか(山口市阿東嘉年下)
                    2023.3.28
    
江戸時代の「風土注進案」にこの神社の由来が載ってるそうです。それによると「昔日(年代不詳)この里に疫病が流行した。その時山奥に二振りの太刀が天から降ってきた。里人はこれを大切にし、ご神体として崇敬した。太刀の降った所を”疫神ヶ迫”というようになった。これが当社の起源である」と。その後は「厄神社」と称していましたが、明治2年(1869)に「須賀社」、明治18年(1885)ごろから「須賀神社」と改称されました。
こういう話も伝説に彩られた「十種ヶ峰」(御食主命が十種の神宝を当山に埋めたという伝説から名づけられた )のすぐ近くに位置する当神社には有りかな・・と思うから不思議です。

 
最初の鳥居をくぐってすぐの両側に、高さ30mを超えるモミの巨樹が並んでいます。

 
直ぐの階段途中から幹周5m前後で高さ30mを超えるスギが現れます。

  
  
  
どうしてこんな狭い所に巨樹が何本もあるんだろう?と神社の空間の狭さに身を置いていると不思議な感覚になります。伝説のとおり特別な場所なんだろうか・・・。

  
神社の裏側にウラジロガシの巨樹があります。所々枝が折れていて(太い枝も)老木の雰囲気たっぷりです。カシ類は趣があって好きなんですが、長生きして欲しいですね。 


9-⑦田野神社のオオモミジ(山口市阿東生雲西分田野上)
                    2023.3.28
  
田野神社の創建は不詳です。元は王子社と称し明治2年(1869)に現社名に改められたそうです。こじんまりとした神社で、田舎のこじんまりとした集落の氏神的性格の神社として存続しているみたいです。
オオモミジは本殿に向かって左側にありました。三宅先生の写真とは少し違っていて最初はピンときませんでした。まだ葉っぱが全然ないし、それよりもなによりもあちこちの枝が折損しており、随分姿が変わっていました。

  
山口県でも有数のオオモミジの巨樹ですが、とても老木然としています。致し方ないとしても少し寂しいです。葉っぱが繁れば少しは大樹としての威厳が出てくるのかな・・?。紅葉の季節に確認してみたい気もします。

  
太い枝が折れていて、これだけでも樹の雰囲気が変わってしまったみたいです。


9-⑥法田寺のコウヤマキ(山口市阿東生雲西分)
                    2023.3.28
  
法田寺の創建は応永30年(1433)とのことですので590年の歴史があります。幕末の江戸幕府による長州征伐のおり、石州口の防備のため長州藩諸隊の駐屯地にもなったそうです。
コウヤマキは本堂に向かって左側奥にひと際高く聳えています。

  
コウヤマキの姿は綺麗な円錐形で、東京スカイツリーの姿はそれを模したものだと云われています。山口県では岩国市錦町の辺りにのみ野生の木が見られるとのことです。一度錦町宇佐の「玉蔵寺のコウヤマキ(4-⑥)」を見たことがありますが、そのコウヤマキは巨樹ではありましたが下部が折損しておりお世辞にも美しい姿とは言えないものでした。それに比べればここのは典型的なコウヤマキの姿をしており、幹や枝葉も元気でその存在感には思わずカッコイイーとつぶやきました。

    


9-⑤生雲八幡宮のスダジイほか(山口市阿東生雲中)
                    2023.3.28
  
生雲八幡宮の前身は貞和5年(1349年)に豊前国宇佐八幡宮の分霊を古宮に勧請し、その後元禄8年(1695)に現在地に奉遷されたみたいです。裏山は毘沙門山城跡で、堀の形や土塁が残っています。

  
本殿に向かって右側にはアスナロとイロハモミジが根元で合着したのが見れます(茶色っぽいのがアスナロ、白っぽいのがイロハモミジ)。「連理木」の状態になってる訳ではないみたいですが、ここまでくっついてるのは珍しい光景です。

  
スダジイは本殿に向かって右側(生雲小学校側)から山の方に少し登ったところに有ります。分かりにくい場所ですが、どうやら山城の土塁上にあるみたいです。上部は一部折損していますが、樹勢はまだまだ元気だと思います。

  
スギの巨樹も近くにありました。しかし根元で2分岐した中の1本は切られていてその大きさを実感できません。そのままであればかなりの大きさだったと思われ残念でなりません。右はウラジロガシかツクバネガシじゃないかと思いますが、残念ながら同定できません。その他にもモミがあったりイチョウがあったりします。由緒のある神社に相応しく、いろいろな巨樹があります。


9-④瑞雲寺のシラカシ(山口市阿東生雲中)2023.3.28
  
表示板によると、瑞雲寺の創建は文明年中(1469-87)とも慶安4年(1651)とも云われていますが、両者には200年近い差がありますので少し不思議な気もします。火事の焼失により現在地に移転してきたとのことですので、古文書類が一切残ってなく、正式には不明なのかもしれません。
お寺の本堂等一切が新しくなっていますので、ひょっとするとシラカシも切られてしまったかなと危惧しましたが、なんとか残っていました。

  
20年前の三宅先生の案内本(やまぐち祈りの108樹)にも「空洞があり相当傷んでいる」とありましたが、より酷くなっている感じです。着生植物が全体に纏わりついていて樹勢を弱めていて、さらに空洞部にはツバキが大きくなってきていて、そのうち木が二つに割れてしまうんじゃないかと心配です。
シラカシは此処の前の「細野神社」でも見ましたが、巨樹は萩市明木の「河内さまのシラカシ(1-⑦)」以来です。あのシラカシも古木然として風格はありましたが処々傷んでいてそう長くない寿命を感じました。
なんとか長生きして欲しいです。

  


9-③細野神社のモミほか(山口市阿東篠目)2023.3.28
   
細野神社は享禄3年(1530)に宇佐八幡宮の分霊を勧請したとのことですが、別の文献(風土注進案)には永仁3年(1295)に山城国北野より遷座とあるみたいです。どちらにしてもとても古く由緒のある神社です。その古さに見合う種々の樹木が繁茂し大きな社叢を形作っています。

    
ウラジロガシ(葉裏が粉白色なのでこの名前)     アラカシ(全体的に粗っぽく見えるのでこの名前)
     
モチノキ(樹皮からトリモチを造るのでこの名前)   ツクバネガシ(葉の先端部が羽子板で突く羽根「つくば
                          ね(衝羽根)」に似ているから からこの名前)                       
    
サカキ(人と神との境にある「境木」からの名前)   シラカシ(白っぽい木肌からの名前)

  
本殿手前の両側には高さ35mものモミの木があり、この神社の風格を保っていてなかなかの趣です。阿東地区にはモミの巨樹があちこちにあり、見る者を楽しませてくれます。

     
ここにもウラジロガシの巨樹があります        オオモミジ(イロハモミジの変種)

この他にもいろんな樹木があり楽しませてくれます。100%ではないですが名札も掛かっていて分かりやすかったのは有難かったです。境内もそこそこ綺麗にされてて、地元の方々に大事にされているのが分かります。
                   
  
9-②神功皇后神社のイチイガシ(美祢市西厚保町本郷)
   県指定天然記念物樹林市指定天然記念物
                    2023.2.23                     
  
神功皇后神社は応永32年(1425)に下関市長府の長門二の宮の忌宮神社より勧請し建立されました。このイチイガシは創建当時からのものだと伝わっており、樹齢はおよそ600年ぐらいと云われてます。
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その丈夫さから古くは船の櫓としても利用されてたみたいです。

 
このイチイガシは山口県内最大の樹と云われてますが、近寄ってみるとなかなかの大きさでさすがだなと思わされます。今まで県内のイチイガシの巨樹を何本か見てきましたが、どの樹もとても古色蒼然たる佇まいで何時倒れてしまうんだろうと思ってしまいます。ここのも樹齢数百年の古木に有りがちな大きな樹洞や板根もあり、行く末が少し心配ではあります。

  
裏側に廻ると大きな樹洞が有りかなり傷んでいます。また崖に近い所に立っているので崖ごと崩れないかと心配です。

  
 


9-①原八幡宮のムクノキ(美祢市西厚保町原)
   市指定天然記念物         2023.2.23
  
応永33年(1426)に福岡市の筥崎宮から勧請されて建立された神社です。このムクノキもその時に植樹されたものみたいでおよそ600年の樹齢を誇ります。
ムクノキは日本では古よりエノキと共に一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹として、また神社では「神の依り代」として保護され植樹されてきました。
このムクノキは大きさとしては山口県内でも有数のものです。

 
案内板にもあるように、樹齢数百年の古木にはたいていの木に腐朽部や樹洞が有りますが、このムクノキにはそういったものは無く極めて健康的?な樹勢を保っています。今は落葉してますが、葉が繁ってくるとほれぼれするような姿・形だと想像できます。

  










巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol8( 8‐①~⑨ )

2022-05-11 19:30:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



8-⑨本庄の大クス(【番外編】、福岡県築上町)
   国指定天然記念物         2023.2.23
 
今年のNHK BSの「神様の木に会う」で放送された “本庄の大楠” です。
割と近い所にこんな巨樹があるんだ・・と思いつつ、いつか時間があれば行ってみたいねと女房と話す程度でした。ところがひょんな事からぜひ会ってパワーを貰ってこようと話が決まり急遽行って来ました。
日本三大楠の一つに数えられてるとのことでしたが(鹿児島県蒲生町「蒲生の大楠」、静岡県熱海市「来宮神社の大楠」と「本庄の大楠」)、現地に行って大楠の前に立つとその存在感に「おおーっ凄い・・」と口の中で言ったきり、ただただ茫然自失の体で佇むだけでした。一本の木がこんなに大きく育つものなのか・・?と一つの奇跡を目の当たりにしているような荘厳で厳粛な気持ちになりました。畏怖の念を覚えると言えば良いでしょうか。
およそ1,900年前、景行天皇が九州平定のための戦勝祈願のために植えさせたとの伝説が残っており、樹齢はそれぐらいということになっています。
大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定されています。環境省が行っている巨樹・巨木調査では全国4番目(あるいは5番目)の大きさの巨樹となっており、福岡県内では一番の巨樹です。

 
クスには良い芳香があり「臭し(くすし)」がクスの語源となったという説や、香り高く寿命が長い「奇(くす)しい 木」から名前が付いた等所説あるみたいです。日本では古よりこの樹から樟脳を取ってましたので「樟」の字を当てることもありますが、樟脳が殆ど使われなくなった現在「楠(本来は中国大陸に分布するタブノキ科の樹木)」の字を当てるのが一般的になってます。
また、英語名ではCamphor  tree(カンファ―ツリー)とも言い、カンフル剤の語源だそうです。面白いですね。

 
木芯部は大きな空洞になってますが、明治34年にこの中の焚火が木に燃え移り大半が焼失したそうです。その後奇跡的に第一枝がよみがえり現在の姿まで復活したそうですが、ただ写真のように100年以上経った現在でも焼け焦げた跡が生々しく残っています。

  
樹齢が1,900年を超えてるのかどうかは分かりませんが、そこかしこに古木の何とも言えない風格を感じます。
また枝なんかもまだまだ元気で、葉も良く繁らせています。

 

   


8-⑧西八幡宮のイチイガシ下関市豊田町矢田) 
   市指定天然記念物         2022.6.2
  
西八幡宮は鎌倉時代の建久2年(1191年)に豊田氏により豊前国の宇佐八幡宮を勧請して創建されました。西市小学校の直ぐ裏手である現在地に奉遷されたのが1657年のことです。その時に宇佐八幡宮より賜った苗を植栽したとのことですので、樹齢は今年で365年となります。
今まで見てきたイチイガシの巨樹はみんな老木でしたが、ここのもいかにも老木然とした巨樹です。幹の一つの上部が折損しているのも痛々しいです。

 
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その堅果(どんぐり)は渋みが少ないため食用に供したのか、縄文の遺跡からよく出土するみたいです。
幹の一つに大きな空洞があり、また大きな枝も切られてるようなので三宅先生の写真よりもさらに元気が無いように見えます。枝葉も一部しおれているように見える部分があり、いつどうなってもおかしくないのかなぁ―と心配になります。今まで見てきた巨樹の老木の中で幹が分かれている内の大きな1本が根元の辺りから倒れてしまって、大きさが随分小さくなってしまったのがありましたが、このイチイガシもそんな風になるんじゃないかと想像してしまいます。なんとか元気を取り戻してほしいのですが・・。

  

  
 

8-⑦長正司公園のフジ下関市豊田町矢田2022.6.2
  
長正司公園は豊田町西市の中心部(と言っても、田舎ですので人も車も少ないです)から直ぐ山際に見える所にあります。1か所しかない狭い階段を登って行くとすぐに辿り着きます。花の時期からは1カ月遅く、咲き誇っている藤棚は見れませんでしたが、ヤブツバキに巻き付いているフジはさすがの大きさです。
ここには元々長正寺という禅寺があったそうですが、江戸時代の初期に東市に移転したそうです。どうして西市から東市に移転したんですかね? 西市の方が格段に栄えてたと思うのですが・・。
ここの裏山には豊田氏の山城があり、大内氏の時代には攻める大内氏と守る豊田氏の間でバトルがあったとか無かったとか云われています。その頃の山口県は大内氏、厚東氏、豊田氏の3豪族が割拠してましたが、尼子氏の重臣の名前も出てきて、ここ西市というのは古の時代から要衝の地であったのが分かります。

 
ちょっと白黄色っぽいのがヤブツバキですが、よく耐えてます。フジも生かさず殺さずの塩梅で締め付けてるのかな?
フジは別名ノダフジとも言い、蔓は根元左から右へ巻き上がります(左巻き)。ちなみに近似種のヤマフジの蔓は反対に右巻きだそうです。

  

  
公園からの降り口にモミジの立派なのが2本あります。2本とも葉っぱが小さいのでイロハモミジではないかと思います。8-⑥厳島神社のオオモミジを見たばかりなので違いがよく分かりましたが、果たして当たってるかどうか?


8-⑥厳島神社のオオモミジ山口市徳地上村
                    2022.5.9
  
国道376号線から徳地上村の有名な「月輪寺薬師堂」(国指定重要文化財)方面に向かって行き、手前を右折すると厳島神社に辿り着きます。
天禄3年(972年)に広島の厳島大明神を勧請し創建されました。ちょうど1050年経っていることになります。現在の地には1677年に移設されました。急な階段を登って行くと目の前に本殿が現れます。

  
本殿に向かって右後ろにオオモミジがありました。今は若葉が美しい季節です。オオモミジはイロハモミジの変種とのことですが、ぱっと見は区別はつきません。近づいて葉っぱを見るとイロハモミジよりも大きいのが分かります。正直言うと私は区別がつかなかったのですが、女房は明らかに葉っぱが大きいと言います。言われてみればそうかなぁーと思うから不思議です。

    
モミジの大きいのは美祢市の南原寺のオオモミジを見たことがあります。ここよりも少し幹回りが大きかったのですが、あのモミジはとにかく背が高かったなぁーと思い出されます。ここのもなかなかの姿形なので、紅葉の時期はカッコいいんじゃないかと思います。

  
階段横にオオモミジの    帰りに階段下で、こんな石の賽銭箱を見つ
小ぶりなやつを見つけ    けました。平成4年に奉納されたみたいです
葉っぱを観察しました。    が、これなら泥棒も手が出せないでしょう。                                       


8-⑤花尾八幡宮のムクノキ山口市徳地島地)   
    残念! 伐採されてました    2022.5.9  
   県自然記念物(ツクバネガシ・他樹林)
   
国道376号線から島地川を渡って島地の街中に花尾八幡宮はあります。
和銅4年(711年)に宇佐八幡宮より勧請され創建されました。この地に移ってきたのは天正2年(1574年)のことです。和銅なんて年号が出てくるなんてビックリです。創建から1300年以上経ていることになります。どうしてこんな田舎に・・と思ってしまいますが、その頃は重要な地だったんでしょうか?

  
肝心のムクノキですが、三宅先生の写真と照らし合わせてもそれらしい巨樹は見当たりません。やっと見つけたのが上の写真のような巨樹の伐採跡です。
神社の関係者の方にいろいろお話をお聞きしたのですが、要は老木になりすぎて強風のたびに上部の枝が折れて周りの建物に傷をつけるもんですから、最終的に伐採やむを得ずとなったようです。樹木医の先生に手を尽くしてもらっても樹勢は回復しなくて、これ以上そのままだと樹木本体が倒れて甚大な被害が発生しかねないということで、泣く泣く伐採ということになったそうです。建物近くにある巨樹の運命かもしれません。
県内でも大きい方のムクノキだったんですが、またしても間に合わなかったと無念さがこみ上げてきます。 

  
本殿前にイチョウの樹がありますが、これも同様な理由で上部が伐採されています。また後部の斜面にあった木々は土砂くずれがあり伐採したとのことです。


8-④須賀神社のムクノキ・山口市徳地小古祖)   
                    2022.5.9
  
国道489号線を「重源の郷」方面へ曲がり、120~130m行くと須賀神社があります。出雲大社を勧請し延喜年間(901~922年)に創建した祇園社は1865年に須賀神社と改称され現在に至ります。およそ1100年の歴史ある神社です。
境内にはその歴史に相応しくあちこちに大木があります。
神社ですからムクノキは神の依り代として植栽されたものだと思います。

  
地上1.5mのところに空洞がありますが樹勢としてはまだまだ元気です。県内ではそこそこの大きさのムクノキですが、須賀神社を見守りながらますます大きくなっていってほしいです。

   
根元で2分岐してるツクバネガシ        大きなカゴノキが2本


    
その他の巨樹いろいろ。 小さな神社ですが、本当に面白い場所です。

 
   


8-③石鎚山神社のカツラ山口市徳地船路) 2022.5.9
    市指定天然記念物
  
船路の集落から石鎚山神社を目指して行きます。途中から道が細くなり対向車が来ればアウトだなとビクビクしながら林間の道を徐々に登って行きます。やっと「船路の大カツラ」の看板を見つけその前に駐車します。対向車の事を考えたらもう少し先の石鎚山神社に駐車した方が良いでしょう。
しかし本当に辿りつけるのかビクビクものでした。

  
傍の小川に木製の橋が架かってるので(半分ぐらい板が無くなっている)それをコワゴワと慎重に渡って行き、雑草とクモの巣を払いながら少し行くとカツラの巨樹に辿り着きます。
日本で自生するカツラの樹は冷温帯の渓流などに多く見られ、カツラの大木の下には必ず水脈があるとも言われています。
また寿命は長く成長すると主幹が折れ、根元からたくさんの「ひこばえ(萌芽)」を伸ばして株立ちするものが多いそうです。そういえば久住に山登りに行った時、「男池園地」でひこばえが株立ちしてる巨大なカツラの樹を見たのを思い出しました。その時はカツラの樹というのはケッタイな樹だなぁーと思ったのですが、あれは長命なカツラの樹の最終形態だったんですね。此処のはひこばえも無いようですので、まだまだ壮年ぐらいでしょうか。それともその状態に近づいているのかな?
材質が良いということでカツラの樹から家具や碁盤、将棋盤などが作られてるそうです。

   
葉は丸っこい可愛い葉っぱです。地上2m付近で3分岐していますが、その内の1枝は折損しています。


8-②船路八幡宮のスギ山口市徳地船路) 2022.5.9
    
船路の広々とした田園地に鎮座する八幡宮です。スギの巨樹は本殿を正面に見て階段の右側にあります。少し前に見た出雲神社のスギよりは小ぶりですし出雲神社のスギのような荒々しさもありません。立地の良さや育ちの良さが現れているスギです。

  
イロハモミジの少し大きいのが本殿の右前に   ネズミサシという樹は残念
あります。                  ながら伐採されてました。

 
8-①妙見社のイチョウ山口市徳地八坂) 2022.5.9
    県指定天然記念物
  
この妙見社は1244年に山口市氷上の妙見社を勧請したものですが、すぐ後に火災により焼失してしまいそのときにイチョウを植えたそうです。ですからイチョウの樹齢は七百数十年だと云われていますが、場所は妙見社の境内ではなく参道脇に植えられています。

  
イチョウは中国原産と言われており、日本には古の時代に中国から入ったようです。日本では社寺に植栽されることが多く巨樹も多く見られます。このイチョウは目通り幹囲で県内一位と言われており堂々とした巨樹です。やはり以前見た山口市龍蔵寺のイチョウ(2-④龍蔵寺のイチョウ 参照)より太いような気がします。

  
幹も枝葉も元気で樹勢はまだまだ衰え知らずな感じです。 江戸時代に編纂された「風土注進案」にもこの樹の記述があるみたいですので、昔から巨樹として有名だったのでしょう。乳状突起も何か所かにあり老木としての貫禄があふれてます。また県内で天然記念物に指定されているような大きなイチョウのうち「雄株」なのはこのイチョウだけだということで学術的にも貴重なものです。

  
裏側に洞ができていますが、まだまだ大丈夫でしょう。樹齢1000年ぐらいまで長生きして欲しいものです。














巨樹庵(山口県の巨樹巡り)-Vol7( 7-① ~ ⑨)

2022-04-10 12:00:00 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



7-⑨大元神社のケンポナシ(山口市徳地伊賀地尾蔵)
                   2022.5.9
     
創建は不詳ですが安芸の国(広島県)の厳島大元宮(厳島神社より古いと云われています)から勧請し、以前は大元大明神と称していたそうです。県道184号線を挟んで西宗寺と反対側の佐波川の方へあります。広い田園地帯の中の小さな小さな神社です。ケンポナシは鳥居の向こう側にあります。

  
少しいびつな格好だなと思いよく見ると、2分岐した片一方が折損してありません。太い方の幹だったので余計に貧弱に見えます。台風か何かの強風の影響でしょうか。
県内に自生しているケンポナシは無く神社等に植栽されたものが残っているのみです。秋に果実ができるのですが、干しブドウのような感じでナシのような甘みがあり、この果実が二日酔いに効くということで昔は医者の家もケンポナシをよく植えていたそうです。

  
葉はいかにも実がなる樹のような柔らかそうな葉っぱです。木肌は少し荒々しい感じです。老木なのかな? 2分岐の内の1本が無くなってますが、なんとか頑張って長生きして欲しいです。 


7-⑧西宗寺のヤマザクラ(山口市徳地伊賀地光乗)
    市指定天然記念物       2022.5.9
  
出雲神社前の交差点から佐波川の橋を渡り、県道184号線を北上してすぐ右上方に西宗寺はあります。1870年に三寺が合併して西宗寺ができた後、1876年にこのヤマザクラがある地を選んで此処に移転してきたそうです。その当時から綺麗な花を咲かせていたのでしょうか。

  
台風等の強風により3-4本の枝が折損していますが、なかなか姿形の良いヤマザクラです。花が八重のヤマザクラですが八重のものは野生でもあるそうなので、もともと此処に自生していた所に寺が引っ越してきたのでしょう。県内でも大きい方に入りますが、主幹なんかを見ると風雪を感じて良いですね。

  



7-⑦出雲神社のスギ(山口市徳地堀二の宮)
    市指定天然記念物       2022.5.9
   
周防の国二の宮「出雲神社」です。霊亀元年(715年)に創建されたこの地方最古の社です。二の宮と云われてるぐらいですからその昔は人の参拝も多く勢いのあつた神社だったのでしょうが、今は時の流れから忘れ去られてるようなひっそりとした神社です。
「高杉大明神」とも称されているスギの巨樹は本殿に向かって左奥にあり、ご神木として玉垣を巡らし保護されています。

  
スギに近づいていくと、その大きさに思わずオオーっと声が出ます。大きさも県内有数のものですが、特異なのは枝の張り出しです。すぐ裏側(北側)が崖地の樹林になっているため殆どの枝が表側(南側)に張り出しているのです。自然の逞しさというか妙というか、なるほどなぁーと思わず唸ります。

  
スギは日本特産種で日本各地に巨樹があり、天然記念物になっているものも多いみたいです。
長年スギ花粉症に悩まされた身には「スギなんて無くなって欲しい」と思うことも多いですが、「日本特産種かぁー、大事にしないとなぁー」とも思い、悩ましいです。

  
裏の樹林にあるクスノキ(多分)。この周りに国指定天然記念物のツルマンリョウの自生地があるんだと思います。どれがどれだかさっぱり分かりません。


7-⑥猿田彦大神のムクノキ(山口市徳地伊賀地船津)
                   2022.5.9
  
防府市から県道24号線を北上し、出雲神社前の交差点より一つ手前の橋を渡ります。渡ってすぐ佐波川の下流の土手上を見るとこんもりと繁っている1本の樹が見えます。これが猿田彦大神のムクノキです。

  
ムクノキはエノキと共に古くから一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹となり、神社では神の依り代として植栽、保護されてきました。また道祖神(賽の神)は峠、村境、道の分岐点などに、天孫降臨の道案内をした猿田彦大神と共に祀られることが多かったと言います。
昔はここで、旅人はムクノキの日陰で汗を拭い、地の人はここを通るたびに道祖神に手を合わせていたのでしょう。形式ばった神社仏閣とはかけ離れた日常の営みがあった場所だったと思います。

     
ツルマサキが著着しているので見づらいですが、ムクノキとしては県内でも大きい方です。ただ根元で2分岐しているせいかあまり高さがありません。萩市河内のムクノキは幹囲で県内で一番大きなものになりますが何といっても高さがあり、とても見栄えの良い巨樹でした。ここのムクノキも2分岐していなければ匹敵する大きさだったかもしれません。少し残念な気がします。


7-⑤恵美須様のコナラ  (山口市阿東徳佐上)
                   2022.4.1
  
国道9号線を徳佐八幡宮を右に見て津和野方面に北上します。しばらく行くと「亀山」の交差点を右折して上半久の集落に入り大元神社の方へ向かいます。大元神社の手前の左側に大きな池のよく整備された土手が見えてきます。空き地に駐車し歩いてこの池に向かいます。池の右側に沿って小道がありこれをたどり、大きく右カーブして直ぐに山に入る道があるのでこれを登って行きます。何回か道が分岐していますがいつも左に進みさらに登って行きます。しばらく行った先に恵美須様がありました。

   
ようやっと辿り着きましたが、どうも様子がおかしいのです。コナラの巨樹が見当たりません。よくよく見てみると1.5mのところで2分岐していたコナラの片一方が倒れているのです。倒れている方もかなりの長さなので、この樹の大きさが分ろうというものです。幸い残った方はなんとか生き永らえてるようですが、いったいどんな事があったんでしょうか?。

  
昔は春季牛を連れてお参りしてたと云われてます。えびす神は本来は漁民の神様でしたが、後には農民の神様としても信奉されてきたみたいです。こんな山の中にどうして恵美須様があるのか、此処を教えてくれた地元のオバアちゃんも不思議がってましたが、昔は部落総出でいろんな行事をしてたみたいです。中には泊まり込むこともあったとのことでした。(昔は恵美須様の所に小さな建物があったそうです)

    


7-④菅原神社のスギ・ほか(山口市阿東徳佐中片山)
                   2022.4.1
   
国道9号線を徳佐八幡宮を右に見て津和野方面に北上します。しばらく行くと和菓子の「葉葉堂」があり、これを過ぎ400mぐらい行くと左に船平山に向かう真っ直ぐな道が見えてきます。土地改良されよく整備された農地の中を山の方に向かって行くと辿り着いた先が菅原神社です。地元では片山天神の方がとおりが良いようです。文永元年(1264年)に太宰府天満宮を勧請したと云われていますが詳細は不詳です。これにより天満宮とも天神とも云われています。

  
スギの巨樹は本殿の直ぐ前にあります。遠くからだとそんなに思わなかったのですが、近くに行ってその巨樹ぶりにビックリしました。久しぶりにスギの巨樹を間近に見たのでしばらく見とれていました。このスギは延喜年間(901~922年)に奉祀したといわれていて、地元では「千年スギ」と呼ばれてるそうです。

     
ヤブツバキの大きいのもあります。県内でも有数の大きさですが、残念ながら幹が3分岐した中の1本が折損しており、この樹自体も老木なのか全体的に元気がありません。

   
    タブノキ            イトザクラ(シダレザクラ)


7-③徳佐八幡宮のエドヒガン・イトザクラ群 
           (山口市阿東徳佐)2022.4.1                   
   市指定天然記念物  国指定名勝   
  
(今年、徳佐八幡宮のエドヒガンやシダレザクラの桜並木が国指定名勝に選定されました。)
徳佐八幡宮は大内満盛が寿永元年(1182年)に宇佐八幡宮を勧請し創建しました。移転や火事による焼失の後、延宝7年(1680年)に藩主毛利綱広が現在地に造営遷宮したとのことです。
参道両側の土塁上の桜は1825年に植栽したといわれており、古いものでおよそ200年ぐらいの樹齢になります。

  
エドヒガンの枝が下垂する品種をイトザクラといい、別名シダレザクラといいます。今ではこちらの名前の方が一般的ですね。
シダレザクラの最大のものは日本三大桜の一つの福島県三春町の「三春滝桜」となっています。もう少しピンク色の濃いベニシダレザクラです。

  
シダレザクラのトンネルを歩いていると、心が浮き立ってきます。なんかのどかで良いですね。歩いているとエドヒガンの巨樹が目に入ってきます。枝が下垂してないのでシダレザクラほど華やかには感じませんが、この古木然とした感じはたまりません。ソメイヨシノより花期が少し早いとのことです。

  
歩いて徳佐八幡宮の本殿に近くなると、程近くの広場で地元の方々が「休憩所・食事処」を開設されてました。徳佐駅の近くに駐車してずっと歩いてきた身にとり、元気を回復する場所でした。

  
本殿の周りには大木がそこかしこにあります。ただ何の表示も無いので樹種を想像するしかありません。エドヒガンをソメイヨシノと勘違いする人もいましたので、すべてのサクラなどの樹木にも名板をつけて欲しいものです。これだけ観光地化されてるんですから・・。

 
7-②山田神社のウラジロガシ(山口市阿東地福上)
                   2022.4.1
  
国道9号線を北上して行き左奥(川向う)に地福の中心街が見え始めると、国道9号線の右側に地福山田の集落(さがら養蜂園があります)が見えてきます。駐車スペースがどこにも無いみたいなので、近くに車を止め歩いて集落に入って行くと直ぐに立派な灯篭があります。ここが山田神社の入り口です。ここから山の方に歩いて行くと苔むして古びた階段と鳥居が見えます。これを登り切ったらビックリするぐらい古びた本殿が現れます。創建年代は不詳ですが元禄11年(1698年)に再建された記録があります。この本殿はその時のものなのかな? それぐらい古びています。

  
ウラジロガシは本殿に向かって右側にあります。これにも苔がかなり付いており古木然としております。ウラジロガシとしては県内でも有数の巨樹ですが、いつまで持つのか少し心配になってきます。樹の上の方まで苔むしてますもんね。

   
根元近くに空洞があります。将来に悪影響が無ければいいのですが。陽当たりが悪くジメジメしてますので、中から腐っていかなければいいのですが・・。

  
 
  

7-①千頭のクリ(山口市阿東生雲東分)  2022.4.1
  
国道9号線を津和野方面に北上し、長門峡を過ぎしばらく行くと「長門峡梨組合」の建物が見えてきます。この手前を右折し阿武川を渡り千頭の集落に入って行きます。車を止める場所がなかなかありませんので注意が必要です。集落の終わり近く阿武川の支流を渡ってすぐの家屋の山側にクリの巨樹があります。三宅先生の写真と比べてもまずこの樹に間違いないだろうと目星を付けて写真を撮りました。が、この樹自体裏側が剥離しているような状態で、少しびっくりしました。残ったのは元気そうで今すぐどうこうなるということは無さそうですが、正直心配しています。

  
クリはスギと同じく日本特産種だということですが、クリ饅頭の好きな私としては何だか嬉しい限りです。
元の状態だと県内で一番のクリの巨樹だったと思いますが、今ではどうでしょうか?