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山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol12( 12‐①~ )

2025-04-22 11:46:02 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



12-③河内神社のウラジロガシ(周南市鹿野上渋川石船) 
                    2025.4.17
   
河内神社というのは鹿野には数か所あり、ロードマップを開いて検索してもここの河内神社は出てきません。地名を頼りにストリートビューで探してやっと辿り着きました。それにしても立派なウラジロガシですね。山口市朝田の「よしもり様のウラジロガシ、3-③参照」以来ですが、県内でも有数の大きさの巨樹ということと姿形の良さにも惚れ惚れとします。この巨樹の前に「千年かたぎ」という看板が立ってますが、これは地域の方々が河内神社の社殿を建て替える時にこの樹のあまりの大きさに感動して建てたそうです。さすがに樹齢は千年もいってないとは思いますが・・。また「かたぎ」というのは反社⇔堅気のかたぎという事ではなく堅木(かたぎ:櫟、楢、樫など、主としてブナノキ科に属する硬い木材の総称)の意味だそうです。
ここの河内神社は社殿こそ小さいですが歴史は古く、往古河内国から勧請され江戸時代の「地下上申」にも記載されてるそうです。

  
ウラジロガシの手前に生えているのはエノキ(古来より、神仏の依り代として神社仏閣に植えられてきた)ですので、こちらは人の手で植えられたものでしょう。


12-②中世土塁跡のイトザクラ(周南市鹿野上鹿野市)
                    2025.4.17
  
イトザクラはエドヒガンの枝が下垂する品種のことで、一般にはシダレザクラと呼ばれています。このサクラがある場所(旧鹿野町役場のすぐそば)は中世の陶氏の重臣「江良弾正」の居住地跡だと謂われておりこのサクラには「弾正糸桜」の愛称がつけられました。土塁(中世館の土塁跡)から斜めに突き出ているような姿になっており少し心配ではあります。

  
少し花が残ってましたが、小ぶりでとっても可愛らしい花です。イトザクラとしては県内でも有数の巨樹で樹齢は300年位と言われてますが、もっともっと長生きして毎年その優雅な姿を見せて欲しいものです。 


12-①二所山田神社のモミほか(周南市鹿野上鹿野市)
                    2025.4.17
  
二所山田神社は1907年(明治40年)に、二所神社(旧二所大明神)と山田神社(旧山田権前)を合祀して、社号を二所山田神社(ニショヤマダジンジャ)と改められたそうです。二所神社は、出雲大社の神々を歓請したものと伝えられ、山田神社は、伊勢神宮の神々を歓請したものといわれています。境内には菅原神社や他の神社も合祀されており、なかなか賑やかな神社になっています。ちなみに近くには三所神社というのもあり県内には他に二所神社があったりで混乱します。祀っている神さんの数で数字が決まるのが多いみたいですが、全国には二所~十数所までの神社がありますので謂れを調べてみると面白いかもしれません。

  
モミの樹ですが、三宅先生が撮った写真と同じのがどうしても見つかりません。三宅先生の写真には傍に石板が写ってますが、境内にはどこを探してもその石板が見つかりません。随分あちこちを探し回り疲れ切った所にたまたま宮司さんがいらしてお話を聞くことができました。此処(二所山田神社)でモミの樹といえばということで教えられたのが写真のモミです。本の写真を見てもらいましたがこのような石板は過去にも無かったと言われ、撤去の可能性は?と聞くと「一旦設置した石板等を撤去するというのは、神社にとっては一大事なことなので普通はありえない」と云う事でした。「他の場所で撮った写真を間違えて載せているのではないか?」とも言われました。事の真相は分かりませんが、モミの樹自体はこれで間違いないようです。

   
その他にも巨樹のイチョウや二股に分かれた夫婦杉、一本立ちの大きなスギなど巨樹ばかりで嬉しくなります。また此処には山野草があちこちに植栽されてて、山野草ファンの女房は大喜びでした。この時はシラネアオイ・エンゴサク・カタクリ・イワウチワ等が咲いており、ヤマシャクヤクには花の蕾ができておりました。

   
隣の龍雲寺との境辺りの道路側にウラジロガシの巨樹がありました。姿形が良いですね。























巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol11( 11‐①~⑨ )

2024-06-03 17:12:24 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



11-⑧森様のムクノキ美祢市秋芳町江原) 2024.5.30
  
県道31号線を別府弁天池から美祢市於福方面へ行く途中に「⇦江原ウバーレ集落」という道路標識があり、以前からウバーレとは何のことなんだろうと思ってましたが、家に帰ればすっかり忘れてしまっていてそのまんまになってました。今回江原に行くのであらためてウバーレを調べてみると、ドリーネは石灰岩地等での小さな陥没地形の始まり(くぼみや穴)、ウバーレは複数のドリーネが合わさった凹地、ポリエはウバーレがさらに大きくなり低地になったもの・・ということらしいです。江原のように古くからウバーレの土地に人が住み始め、そこそこの集落を形作るのはとても珍しいそうです。ちなみに江原というのは「よわら」と読むそうで、「なんじゃそりゃー、誰も読めんじゃろー!」と独り言。
さて森様の場所ですが、これが一筋縄でいかないぐらい難儀しました。駐車場に車を停めて、ここらあたりだろうと行ってみたのですが、残念ながら行き止まりになってしまって渋々引き返します。途中に出会う人に聞けば分かるだろうと思ったのですが誰一人とも出会わず、それならば家を訪問して聞いてみようとしたのですが、これまたどこの家も返事が無く途方に暮れました。もういい加減疲れて車に戻ろうと歩いているとお寺が目につきました。ここならさすがに人が居るだろうと思い訪ねご住職の奥様にお聞きしたところ「私どもはお寺なので森様関係のお祭りには一切関与しておらず、場所も分かりません」とのことです。集落の人に誰一人として出会えず困っている旨話すと「あそこの辺りに農作業をしている人達がいるから聞いてみられたら?」と教えてくださいました。お礼を言っててくてくと言われた方へ歩いて行くと、3人の方が農作業の途中でした。一番のご老人に尋ねると「ああ、それはこの道を200mぐらい登って行くと左に石の階段があるからすぐに分かるよ」と言われました。おぉーこれで辿りつけるぞと勇んで歩き始めます。しかし行けども行けども石の階段とやらが見えません。もうなんぼ何でも違うだろうという所まで行ってからとぼとぼと引き返します。その途中に女房が「ひょっとして此処のことじゃないの」と言い出したのが最初の写真です。私たちは神社仏閣にある立派な石の階段をイメージしてたのですが、そうではなく自然石の半分以上埋もれた一段の階段だったんです。結果的にここで間違いなかったのですが「これを、石の階段て言うかなぁ―」と今でも思い出すたびボヤいています。
この入り口を入ってどんどん進んで行くと、やがていろんな巨樹に出会う場所に行き着きます。1本の巨樹にしめ縄が張ってありましたので、これが「森様のムクノキ」だと思います。

  
ムクノキは日本では古くからエノキと共に道の一里塚や分岐点、小祠などの日陰樹として植えられ、神社では神の依り代として保護され植栽されてきました。ここにもムクノキだけでなくエノキの巨樹もあります。

  
その他にはシュロやカゴノキ?なども見れます。
民俗誌によると、「上組の森は蛇、下組のそれは蛙を祀るとされる。土地の言葉で蛇はヤムシ、蛙はヒキという。いずれの森もムクノキを神木とし、集落の南北両端に位置する・・」と書かれています。カルスト地形の極端な乏水性を背景として、水神としての要素があると述べられているそうです。


11-⑦早二のクロガネモチ美祢市秋芳町青景早二
   市指定天然記念物 解除       2024.5.30
  
この地には昔、嘉万八代の明教院別院が在ったという言い伝えがあるそうで、ここのクロガネモチはその当時に植えられた可能性もあります。現在は地区の集会所になっています。この場所も最初はさっぱり分からず、ストリートビューでやっと探し当てました。

  
クロガネモチは近寄ってみると、なかなかの大きさだというのが分かります。クロガネモチとしては県下でも有数の巨樹です。ただ残念なことに上部が写真の様に折損しており、高さ的には半分くらいになってしまったようです。それか有らぬか2017年(平成29年)に市指定天然記念物の指定を取り消されています。二十数メートルの高さが有ったみたいなので、見事な巨樹だったと思います。残念でなりません。

  
樹幹の下部には樹瘤が目立ち異形ですが、今まで見てきたクロガネモチの巨樹には下部に殆ど樹瘤が有りますので、私的には普通の感じです。三宅先生の写真でも内部が枯損していますが、現在ではもっと剥離がひどくなっている感じです。老木だとは思いますが、枝葉はまだ元気そうなのでぜひ長生きして欲しいものです。


11-⑥山領のヤマザクラ美祢市秋芳町青景山領
    枯死消失            2024.5.30
三宅先生の写真では遠くからでもハッキリと見えるぐらい立派なヤマザクラの巨樹ですが、近くに行ってもそれらしきものは見れません。多分共同墓地にあるんだろうと見当をつけ探してみましたが、個人の墓地以外は草茫々となっていて探しようがありませんでした。
近所のあちこちを探してみましたが、それらしい巨樹はありませんでしたので諦めて帰ろうとした時たまたまご近所の方に出くわして、話を聞くことができました。「ああー、あのサクラは枯れてしもうたよ。なんせ100年も経ってるからなぁー、枝がボロボロと落ちてきてしもうてのー」とのことでした。
県内でも有数のヤマザクラの巨樹でしたが残念ながらまたしても間に合いませんでした。ネットで調べてみると、このヤマザクラを見に何回か通われた方のブログでは〇2013年4月:問題なく綺麗に咲いていた。2016年4月:根元で2分岐していた片一方がバッサリ切られていた。2022年11月:跡もかたも無くなっていた・・とのことでした。


11-⑤三島神社のカヤ美祢市美東町赤佐山
    市指定天然記念物(社叢)     2024.5.30
  
三嶋神社は約300年前、伊豆の国(静岡県)三島から勧請したと伝えられています。三島社・河内社・稲荷社の三社相殿とのことですが三島社も河内社も水の神様なので、秋吉台を含む周辺地の水事情が大変だったという事が良く分かります。

  
カヤの巨樹は社殿の左右にあり、植栽されたものだろうと言われています。左の方が少しだけ大きいそうですが両方とも県内でも有数のカヤの巨樹となってます。
カヤの樹は古来よりその風合いの良さから、建築材・彫刻材・碁盤材として賞用されてきました。見た感じでも何か貫禄がありますよね。なかなかのものです。

  
社殿の背後に石灰岩の岩塊があり、カヤ・シラカシ・エノキ・ヤブツバキ・シュロ等があります。周辺地には野生のカヤがあるそうなので、背後のカヤも自然のものかもしれません。また、右の写真には「猿田彦大神」の石板が写ってますが、久しぶりに見ましたので嬉しくなりました。


11-④須賀神社のスダジイほか(美祢市美東町赤植畠
                    2024.5.30     
   
美東町の八幡池の側(県道28号線沿い)にフェンスで囲った鳥居が見えます。獣除けのフェンスなのかな?と一見奇妙に見えるこの鳥居が須賀神社の入り口になります。フェンスの門扉を開けて登って行くといきなり急登が始まり、枯葉で滑りやすくなってる登山道にタメ息が出ます。

   
登って行く途中にも巨樹がちらほら見えてきます。ハアハア言いながら急登をやっと登り切った所に石祠がありました。須賀神社は昔は荒神社といってたそうですが、明治に須賀神社と改められました。古くなった本殿をコンクリと石で造り変えたのは昭和44年と門柱に記載されています。

  
さて肝心のスダジイですが、三宅先生の写真のものがいくら探しても見つかりません。さんざん探してこれではないか?と見つけたのが上記の写真です。急坂と雑木に阻まれて近くに寄ることができず、写真もこれが精一杯でした。
本には3分岐していると書いてあり肉眼では(双眼鏡)確認してますので間違いないと思います。

  
その他にもモチノキ・タブノキ・ヤマモモの大きいのがあるそうです。


11-③毘沙門堂のイロハモミジ      2024.5.30
   市指定天然記念物  (美祢市美東町綾木四の瀬) 
   
国道435号線をバス停の近くから綾木四の瀬の集落の方へ降りていきます。四つ角になった所に「四の瀬のイロハモミジ」の石柱が立ってます。ああー辿り着いたんだとホッとしたのもつかの間、石柱をよく見てもどちらの方へ行けばよいのか分かりません。矢印も何にも無いんです。石柱があるぐらいだからこの近くに違いないと車を停めて女房とあちこち探し回りましたが分かりません。通りがかる人を待ってましたがこれもさっぱりです。仕方が無いので遠くで農作業をしている人を見つけて大声で聞いてみました。するとその方も「ああ、それはあそこに携帯の中継局が見えるじゃろー、そこの直ぐ近くじゃけ―」と指さし大声で返されました。指さした山裾に確かにそれらしき中継局が見えます。お礼をこれまた大声で言って車で真っ直ぐ山の方へ向かいます。いい加減山に近くなった適当な場所に車を停めて歩いて目指します。そしてやっと辿り着いたのが写真の鳥居です。

  
階段を上がり鳥居をくぐったのですが、樹々に囲まれてとても薄暗い場所で最初は何処にあるんだろーという感じでしたが、ふと奥を見るとなにやら巨樹が見えます。思わずオオこれかーと声が出ました。

  
これまでもイロハモミジの大きな樹を何本か見てきましたが、これほどの巨樹は初めてです。どうしてこれほどの巨樹がこんな所に?(失礼!)と、暫くはイロハモミジがこんなに大きくなるんだと呆然としていました。

  
毘沙門天は多聞天ともいい、夜叉を率いて仏界の北方を守護する神様で、仏法護持・財宝富貴・戦勝の神として信仰されてきました。この樹も江戸時代に毘沙門堂回りの環境整備の時に植えられたらしく、少なくとも樹齢は200年以上
とのことです。
ぜひ紅葉の時期に来てみたいものです。


11-②大田の往還松(クロマツ)      2024.5.30
           (美祢市美東町太田弁財)     
   
昔は山口市小郡から萩市への行き来はすぐ側を走っている県道28号線しかなかったので、ここの往還松(往時は大きなクロマツが3本あった)は必然的に車を運転していると目に入ったものでした。「弁財の3本松」と愛称されてたみたいですが、マツクイムシの害で今は1本が辛うじて残っているだけです。この残った1本も台風で上部が折損しており、往時の勢いは見る影もありません。
昔はどこにでも残っていた街道松としては、県内最後の1本となっています。

  
クロマツは樹皮が灰黒色で亀甲状に深く裂けて趣が出るため、古くから庭園や街道の並木として植栽されてきましたが、マツクイムシの害で殆どの巨樹・名樹が枯れてしまいました。ここのも側に行ってみるとその巨樹ぶりはなかなかのもので、3本あれば壮観だったろうにと残念でなりません。もっと早くに何らかの手を打っておけばと悔やまれます。近年ではマツ枯れからナラ枯れと続き少し前にはサクラ枯れが問題になってました。人間の手で早くに保護しなければ、いかな巨樹といえども簡単に枯れてしまうんだと今更ながらに思います。


11-①綾木八幡宮のシマモクセイ      2024.5.30
   市指定天然記念物  (美祢市美東町綾木宮の台) 
  
綾木八幡宮は平安時代の末期1181年(養和元年)に宇佐八幡宮から勧請されました。今の地に再建されたのは1635年(寛永12年)と言われています。

   
さてシマモクセイです。初めて見ましたが案内板のように別名「ナタオレノキ」と呼ばれるぐらい硬くて器具や農具の柄として使われることが多いみたいです。樹皮を見ると本当に堅そうです。ここのは2本あり、大きい方は根元から3分岐しており1m離れて小さい1本が独立してます。

   
ここの樹林にはクロガネモチが多いとのことですが、他にもツクバネガシ・シイ・ウラジロガシ等の巨樹が有ります。例によりどれがどれだか分かりません。
























巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol10( 10‐①~⑨ )

2023-04-03 18:22:02 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



10-⑨正現寺のイヌマほか(美祢市美東町長田郷)
   市指定天然記念物         2024.5.30
  
臨済宗万勝寺という寺が衰退し、真宗の道場として再興され1640年(寛永17年)に正現寺となりました。江戸末期ごろ好んで富士を描いた画家の菅江嶺の菩提寺だそうです。山口県の先達ではありますが私は不勉強でこの人物を全く知りません。
正面右側の大きな石灯籠(多分)が特徴的です。

  
説明版によると、ここのイヌマキは雌株とのことなので果実が生るんだろうと思います。果実は紫黒色に熟すと食用になるみたいです。県内では”さるのみ”とか”さるのきんたま”とか言われて甘みがあり子供たちによく食べられていたそうです。私はまったく記憶がありませんので私より上の世代の話だと思います。
ここのイヌマキは県内有数の高さを誇りますが、幹がいろんな雑木に絡まれていて少し苦しそうです。

  
その他にも鐘楼の傍にそこそこ大きなイチョウと、これに這い上がって2分岐しているこれもそこそこ大きなフジが有ります。

    
 


10-⑧法香院のヤブツバキ(美祢市美東町絵堂)
   市指定天然記念物         2024.5.10
  
この寺は元々1184年頃に三隅に創建されたそうですが、何回かの転地のあと現在地に移転再建されたそうです。法然寺と称していたそうですが別名法香院とも呼ばれてました。現在は残念ながら廃寺となっていますが、お墓なんかがけっこう残ってますので、それなりに整備はされています。
本堂の前にはそこそこ大きなイチョウがあります。また、ヤブツバキのそばにはユズリハの大きなのがあります。

  
イチョウの近くの墓の一角に旧美東町の天然記念物に指定されたという標識が立つヤブツバキがあります。大きさ的には県内でも有数の巨樹です。まだまだ枝葉も元気で、大きな折損もなさそうです。
ツバキは日本海側は青森県深浦まで北上してますが、能登や越中では八百比丘尼(人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという伝説の人物)がツバキを植えたという伝承が残ってるそうです。
県内では萩市笠山がヤブツバキ群生林として整備されていて、花期には観光客が多く訪れます。

    
右奥の観音堂は長門16番霊場として1625年(寛永2年)に定められたそうですが、廃寺となった現在は少し寂れた感じで参拝客が来るとは思えませんでした。観音堂に上がる階段の両側にイロハモミジの巨樹があります。左側の方が大きいみたいですがなかなかの樹で秋の紅葉の見事さが想像できます。

 
10-⑦明林寺のハルニレ(美祢市美東町綾木九瀬原)
   市指定天然記念物(イヌマキのみ)  2024.5.10        
   
山門を入ってすぐの所にイチョウのまあまあ大きいのがあり、鐘撞堂の側には美祢市の天然記念物に指定されているイヌマキの巨樹があります。さらに奥には何とも言えず見事な巨樹が有り、三宅先生の本には記載がないのですが、樹皮や葉っぱの形状から多分トチノキではないかと思います。その堂々たる風格ある姿形にほれぼれと見とれてしまいます。

   
( 多分、トチノキ? )
さて肝心のハルニレは何処に?と、あちこち探しても見つかりません。ちょっと誰かに聞いてみようか・・ということになり、方丈(というより、一般住宅)を訪ねてみると運よく住職の息子さんと思しき方が出てこられ「あの樹は後ろの山側にあり、此処からは見えないし行けないので・・・」と、知らなければ絶対に行けないような道をわざわざ案内してくださいました。ぐるっと回って薄暗い山道を行き、やっと到着しました。

  
手前のが大きい方(1.93m)で、奥の方のやつが小さい方(1.76m)です。大きい方は根が板根状になってます。これが普通なのかな? 初めて見る樹なのでよく分かりません。枝葉は幹の中途と先端の方にあるだけで、特異な形状をしています。これも普通なのかなぁ―。
野生種は県内には少なく、近くでは秋吉台上に見られるそうです。
手前にはオニグルミの大きなのが有りましたが、台風で倒木してしまい幹が切られて直ぐ近くに並べられています。これを見ても大きかったんだなぁーと分かります。棕櫚の樹も周りに有りましたが、これも倒木してしまって少なくなってます。

   

明林寺は京都の銀閣寺が創建(1482年)されてからしばらく後の1489年創建の由緒ある古寺です。本堂裏にある日本式庭園・池が有名なお寺で、ハルニレはその後ろの借景の山裾にあります。


10-⑥大師堂のフジ(山口市下小鯖鯖地)  2024.4.18                    
 
大師原公園は鳴滝・泰雲寺の近くから山口ICへ抜ける旧道沿いにあります。階段から鳥居へ行く道ではなく、その右側の道を登って行くとすぐに荒れ果てた藤棚に行きつきます。藤棚を造っていた木が倒れていたり折れていたりしていてまるで廃墟のようです。台風か何かの強風でこうなったものと思いますが、その後の補修や修理が全く為されずに今に至ってるものと思われます。

   
堂はすでに無く、長く放置されたままの祠みたいなのが一つあるだけです。
肝心のフジですが、少しだけ葉や花をつけているのを辿ってみると現在生きているのは一番奥の蔓だけみたいです。他の蔓には葉も花もついていないので、枯死したものと思われます。この藤棚の有様では仕方ないのかもしれません。

  
奥側に少しだけフジの花が咲いています。三宅先生が写真を撮った2002年の時とは比べものにならないくらい少なくなってます。これ以上藤棚の倒壊が進むと、フジの蔓が切れて全滅してしまうかもしれません。花房最長1m以上あったと言われ昔の「小鯖村史」にも載るぐらいの見事な藤棚を一目見たかったなぁ―とタメ息が出ます。


10-⑤泰雲寺の散りツバキほか(山口市下小鯖鳴滝)
                    2024.4.18
  
花が白色・八重咲きのなかなか立派な散りツバキです。普段目にするヤブツバキと違ってチリツバキは花弁が1枚づつ離生するもので、桜の花びらの様だと言えば分かりやすいでしょうか。もともとはヤブツバキが母種でその変種の八重ツバキの栽培変種とされてるそうです。奈良や京都などの寺院に古くから栽培され、花色は白色から紅色までいろいろ変化があり、多色のものは「五色散りツバキ」と呼ばれています。これの立派なやつは近くでは山口市鋳銭司の「両足寺」が有名です(樹齢300年・樹高5m、2-⑧参照)。我が家の隣家にも1.2m位の五色散りツバキがあり、毎年3月頃に色とりどりの花を咲かせ目を楽しませてくれてます。

  
泰雲寺は1404年に葦谷というところに「闢雲寺」という名で創建され、1423年に現在地に移遷されました。 有力な戦国大名の大内教弘もよく保護し没後本寺に葬られました。この頃は防長五刹に数えられ、大本山として傘下の寺は末寺~曾孫末寺まで含めると600余寺に達していたそうです。後に小早川隆景(毛利元就の三男)と室の菩提所となり、1609年(慶長14年)小早川隆景の十三回忌を機にその戒名からとり「泰雲寺」と改めたとのことです。隆景(供養塔)と室の墓があります。

   
 大内教弘の墓                小早川隆景の供養塔 

   
古いお寺なので寺域内にはイチョウの巨樹やイヌマキなどの樹々が残っています。


10-④笠山のムクノキほか(萩市越ケ浜)  2020.2.27
    
萩市笠山(かさやま)は東洋最小の火山として有名ですが、もう一つ「ヤブツバキの群生林」がある場所としても有名です。この笠山椿群生林 がある虎ヶ崎から群生林を抜けるように歩いて行くと笠山自然遊歩道が整備されていて頂上まで歩いて行けるようになっています。ムクノキはこの道の側に鎮座しています。

    
ムクノキは古来より神社仏閣では神仏の依り代として植栽され、村境の指標として植栽されたり街道の道標として植栽されてきました。笠山は毛利藩指月城の鬼門の方角にあり藩より保護されて立入りは制限されてきましたが、明治以降は一般に払い下げられたりして牛の放牧・植林・伐採がなされ人の往来が盛んになりました。このムクノキはそういった人々の分かりにくい山道の道標として親しまれてきたようです。

    
ムクノキの巨樹はどの樹も姿形が良いですね。ここのも幹周3.8mの堂々とした姿です。
笠山にはこの他にもクロマツ(3.7m)、4分岐したホルトノキ(3.3m)、あるいは麓の明神池そばの厳島神社付近にはクロマツ(4.2m)やイスノキ(3.7m、1-⑬参照)などの巨樹が残っています。



10-③快友寺のイヌマキほか(下関市菊川町吉賀)
    市指定天然記念物        2023.11.12
  
快友寺は1605年に現在地に移転され、勝善院という名から快友寺という寺名に改められました。現在は浄土宗のお寺になっています。イヌマキなどは風除けの為にその当時植栽されたものと思われ、それからすると樹齢は400年を超えなかなかの樹齢となります。

  
本堂と鐘楼             明版一切経を収蔵している八角輪蔵

     
観音堂の側にあるイヌマキ(表側)。近くに寄るとなかなかの大きさだと実感できます。

  
快友寺には大きなもので6本のイヌマキがありますが、うち5本は本堂の裏側にあります。一番大きなものは山口県でも有数の大きさとなっています。イヌマキ群としては下関市豊北町阿川の「阿川八幡宮」のもの(5‐⑧参照)が数的には群を抜いていますが、平地にこれだけのイヌマキ群があるのは珍しいと思います。

   
イヌマキの巨樹を見ていつも思うのは、近所の家のイヌマキの生垣(あちこちにあります)をしょっちゅう見てるんですが、それがこんなにも立派な巨樹になるのかーと感慨深いものがありますね。
またこの寺には以前コウヤマキの巨樹があったみたいですが、今は若木が植えられています。県内では主に東・北部にはコウヤマキがありますが、こんな西部にあるのは初めて見ました。巨樹の元気な姿を見たかったですね。
 


10-②生木地蔵のヤブツバキ(山口市阿東徳佐下神角)
                    2023.4.24
   
山口市阿東の秀峰「十種ヶ峰」の麓、神角(こうづの)集落にあるヤブツバキです。元は樹の根元近くが二分岐していてそこに”お地蔵様”を祀っていたところ、樹がどんどん大きくなってそのお地蔵様を吞み込んでしまって現在の姿になったそうです。主幹の中にはお地蔵様がいらっしゃるんですね。それで「生木地蔵(いきぎじぞう)」と名付けられたようです。
その主幹の幹回りは2mを越えていて、ヤブツバキとしては県内でも有数の大きさです。

  
前の道は林道で、「十種ヶ峰」頂上への登山道の始まりとなっています。

  
ヤブツバキの手前には、かなり大きくて立派なシダレザクラがあり、これを観に来られる観光客もたくさんいらっしゃいます。

 
そして何といっても此処は、「十種ヶ峰のヤマシャクヤクの群生地」として有名になってきています。日本でも有数のヤマシャクヤクの群生地で、この季節になると連日大勢の登山客が押し寄せます。かくゆう私もその一人です。


10-①徳佐台のエドヒガン・イトザクラ(山口市阿東徳佐下台)
                    2023.3.28
 
ここのエドヒガン(手前)・イトザクラ(奥)は個人の住宅(旧藩時代の徳佐村御本陣三軒のひとつ河野家)にあります。そのため中に入って見ることはできませんが、外から見てもなかなかの大きさだと分かります。
エドヒガンは花期が早く俗に「彼岸桜」と言われてるそうです。またイトザクラはエドヒガンが下垂する品種で一般には「シダレザクラ」と言われてるものです。ちょうど満開の時期なので車で通りすぎるときに眺めても見応えがあります。

  

 

















巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol9( 9‐①~⑨ )

2023-02-25 18:08:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



9-⑨極楽寺のスギモクセイ(山口市阿東嘉年上堂免)
   市指定天然記念物         2023.3.28               
  
極楽寺の前身は「五穀寺」といい寛政6年(1465)の創建と伝わっています。駐車場からすぐ目につくのはシダレザクラで、ちょうど満開の様でした。けっこう見栄えのするシダレザクラでしたので古いものかと思ったのですが、ご住職の奥様の話では「昭和38年に植栽したのでまだそんなに経ってませんよ」とのことでした。

  
山門をくぐり抜けるとすぐ左側にウスギモクセイの巨樹があり、その奥には生目大明神の祠があります。ウスギモクセイは地際で3分岐していますが大きさはかなりのもので、奥様が「柳井市のウスギモクセイは倒木したと聞いているので、多分ここのが県内で一番大きなウスギモクセイではないか」と話されていました。また「樹齢は400年近くと聞いてます」とのことです。ウスギモクセイの花は見たことが無かったので花色を聞いたところ「キンモクセイとギンモクセイの中間ぐらいの色ですよ」とのことでした。

  



9-⑧須賀神社のスギほか(山口市阿東嘉年下)
                    2023.3.28
    
江戸時代の「風土注進案」にこの神社の由来が載ってるそうです。それによると「昔日(年代不詳)この里に疫病が流行した。その時山奥に二振りの太刀が天から降ってきた。里人はこれを大切にし、ご神体として崇敬した。太刀の降った所を”疫神ヶ迫”というようになった。これが当社の起源である」と。その後は「厄神社」と称していましたが、明治2年(1869)に「須賀社」、明治18年(1885)ごろから「須賀神社」と改称されました。
こういう話も伝説に彩られた「十種ヶ峰」(御食主命が十種の神宝を当山に埋めたという伝説から名づけられた )のすぐ近くに位置する当神社には有りかな・・と思うから不思議です。

 
最初の鳥居をくぐってすぐの両側に、高さ30mを超えるモミの巨樹が並んでいます。

 
直ぐの階段途中から幹周5m前後で高さ30mを超えるスギが現れます。

  
  
  
どうしてこんな狭い所に巨樹が何本もあるんだろう?と神社の空間の狭さに身を置いていると不思議な感覚になります。伝説のとおり特別な場所なんだろうか・・・。

  
神社の裏側にウラジロガシの巨樹があります。所々枝が折れていて(太い枝も)老木の雰囲気たっぷりです。カシ類は趣があって好きなんですが、長生きして欲しいですね。 


9-⑦田野神社のオオモミジ(山口市阿東生雲西分田野上)
                    2023.3.28
  
田野神社の創建は不詳です。元は王子社と称し明治2年(1869)に現社名に改められたそうです。こじんまりとした神社で、田舎のこじんまりとした集落の氏神的性格の神社として存続しているみたいです。
オオモミジは本殿に向かって左側にありました。三宅先生の写真とは少し違っていて最初はピンときませんでした。まだ葉っぱが全然ないし、それよりもなによりもあちこちの枝が折損しており、随分姿が変わっていました。

  
山口県でも有数のオオモミジの巨樹ですが、とても老木然としています。致し方ないとしても少し寂しいです。葉っぱが繁れば少しは大樹としての威厳が出てくるのかな・・?。紅葉の季節に確認してみたい気もします。

  
太い枝が折れていて、これだけでも樹の雰囲気が変わってしまったみたいです。


9-⑥法田寺のコウヤマキ(山口市阿東生雲西分)
                    2023.3.28
  
法田寺の創建は応永30年(1433)とのことですので590年の歴史があります。幕末の江戸幕府による長州征伐のおり、石州口の防備のため長州藩諸隊の駐屯地にもなったそうです。
コウヤマキは本堂に向かって左側奥にひと際高く聳えています。

  
コウヤマキの姿は綺麗な円錐形で、東京スカイツリーの姿はそれを模したものだと云われています。山口県では岩国市錦町の辺りにのみ野生の木が見られるとのことです。一度錦町宇佐の「玉蔵寺のコウヤマキ(4-⑥)」を見たことがありますが、そのコウヤマキは巨樹ではありましたが下部が折損しておりお世辞にも美しい姿とは言えないものでした。それに比べればここのは典型的なコウヤマキの姿をしており、幹や枝葉も元気でその存在感には思わずカッコイイーとつぶやきました。

    


9-⑤生雲八幡宮のスダジイほか(山口市阿東生雲中)
                    2023.3.28
  
生雲八幡宮の前身は貞和5年(1349年)に豊前国宇佐八幡宮の分霊を古宮に勧請し、その後元禄8年(1695)に現在地に奉遷されたみたいです。裏山は毘沙門山城跡で、堀の形や土塁が残っています。

  
本殿に向かって右側にはアスナロとイロハモミジが根元で合着したのが見れます(茶色っぽいのがアスナロ、白っぽいのがイロハモミジ)。「連理木」の状態になってる訳ではないみたいですが、ここまでくっついてるのは珍しい光景です。

  
スダジイは本殿に向かって右側(生雲小学校側)から山の方に少し登ったところに有ります。分かりにくい場所ですが、どうやら山城の土塁上にあるみたいです。上部は一部折損していますが、樹勢はまだまだ元気だと思います。

  
スギの巨樹も近くにありました。しかし根元で2分岐した中の1本は切られていてその大きさを実感できません。そのままであればかなりの大きさだったと思われ残念でなりません。右はウラジロガシかツクバネガシじゃないかと思いますが、残念ながら同定できません。その他にもモミがあったりイチョウがあったりします。由緒のある神社に相応しく、いろいろな巨樹があります。


9-④瑞雲寺のシラカシ(山口市阿東生雲中)2023.3.28
  
表示板によると、瑞雲寺の創建は文明年中(1469-87)とも慶安4年(1651)とも云われていますが、両者には200年近い差がありますので少し不思議な気もします。火事の焼失により現在地に移転してきたとのことですので、古文書類が一切残ってなく、正式には不明なのかもしれません。
お寺の本堂等一切が新しくなっていますので、ひょっとするとシラカシも切られてしまったかなと危惧しましたが、なんとか残っていました。

  
20年前の三宅先生の案内本(やまぐち祈りの108樹)にも「空洞があり相当傷んでいる」とありましたが、より酷くなっている感じです。着生植物が全体に纏わりついていて樹勢を弱めていて、さらに空洞部にはツバキが大きくなってきていて、そのうち木が二つに割れてしまうんじゃないかと心配です。
シラカシは此処の前の「細野神社」でも見ましたが、巨樹は萩市明木の「河内さまのシラカシ(1-⑦)」以来です。あのシラカシも古木然として風格はありましたが処々傷んでいてそう長くない寿命を感じました。
なんとか長生きして欲しいです。

  


9-③細野神社のモミほか(山口市阿東篠目)2023.3.28
   
細野神社は享禄3年(1530)に宇佐八幡宮の分霊を勧請したとのことですが、別の文献(風土注進案)には永仁3年(1295)に山城国北野より遷座とあるみたいです。どちらにしてもとても古く由緒のある神社です。その古さに見合う種々の樹木が繁茂し大きな社叢を形作っています。

    
ウラジロガシ(葉裏が粉白色なのでこの名前)     アラカシ(全体的に粗っぽく見えるのでこの名前)
     
モチノキ(樹皮からトリモチを造るのでこの名前)   ツクバネガシ(葉の先端部が羽子板で突く羽根「つくば
                          ね(衝羽根)」に似ているから からこの名前)                       
    
サカキ(人と神との境にある「境木」からの名前)   シラカシ(白っぽい木肌からの名前)

  
本殿手前の両側には高さ35mものモミの木があり、この神社の風格を保っていてなかなかの趣です。阿東地区にはモミの巨樹があちこちにあり、見る者を楽しませてくれます。

     
ここにもウラジロガシの巨樹があります        オオモミジ(イロハモミジの変種)

この他にもいろんな樹木があり楽しませてくれます。100%ではないですが名札も掛かっていて分かりやすかったのは有難かったです。境内もそこそこ綺麗にされてて、地元の方々に大事にされているのが分かります。
                   
  
9-②神功皇后神社のイチイガシ(美祢市西厚保町本郷)
   県指定天然記念物樹林市指定天然記念物
                    2023.2.23                     
  
神功皇后神社は応永32年(1425)に下関市長府の長門二の宮の忌宮神社より勧請し建立されました。このイチイガシは創建当時からのものだと伝わっており、樹齢はおよそ600年ぐらいと云われてます。
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その丈夫さから古くは船の櫓としても利用されてたみたいです。

 
このイチイガシは山口県内最大の樹と云われてますが、近寄ってみるとなかなかの大きさでさすがだなと思わされます。今まで県内のイチイガシの巨樹を何本か見てきましたが、どの樹もとても古色蒼然たる佇まいで何時倒れてしまうんだろうと思ってしまいます。ここのも樹齢数百年の古木に有りがちな大きな樹洞や板根もあり、行く末が少し心配ではあります。

  
裏側に廻ると大きな樹洞が有りかなり傷んでいます。また崖に近い所に立っているので崖ごと崩れないかと心配です。

  
 


9-①原八幡宮のムクノキ(美祢市西厚保町原)
   市指定天然記念物         2023.2.23
  
応永33年(1426)に福岡市の筥崎宮から勧請されて建立された神社です。このムクノキもその時に植樹されたものみたいでおよそ600年の樹齢を誇ります。
ムクノキは日本では古よりエノキと共に一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹として、また神社では「神の依り代」として保護され植樹されてきました。
このムクノキは大きさとしては山口県内でも有数のものです。

 
案内板にもあるように、樹齢数百年の古木にはたいていの木に腐朽部や樹洞が有りますが、このムクノキにはそういったものは無く極めて健康的?な樹勢を保っています。今は落葉してますが、葉が繁ってくるとほれぼれするような姿・形だと想像できます。

  










巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol8( 8‐①~⑨ )

2022-05-11 19:30:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



8-⑨本庄の大クス(【番外編】、福岡県築上町)
   国指定天然記念物         2023.2.23
 
今年のNHK BSの「神様の木に会う」で放送された “本庄の大楠” です。
割と近い所にこんな巨樹があるんだ・・と思いつつ、いつか時間があれば行ってみたいねと女房と話す程度でした。ところがひょんな事からぜひ会ってパワーを貰ってこようと話が決まり急遽行って来ました。
日本三大楠の一つに数えられてるとのことでしたが(鹿児島県蒲生町「蒲生の大楠」、静岡県熱海市「来宮神社の大楠」と「本庄の大楠」)、現地に行って大楠の前に立つとその存在感に「おおーっ凄い・・」と口の中で言ったきり、ただただ茫然自失の体で佇むだけでした。一本の木がこんなに大きく育つものなのか・・?と一つの奇跡を目の当たりにしているような荘厳で厳粛な気持ちになりました。畏怖の念を覚えると言えば良いでしょうか。
およそ1,900年前、景行天皇が九州平定のための戦勝祈願のために植えさせたとの伝説が残っており、樹齢はそれぐらいということになっています。
大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定されています。環境省が行っている巨樹・巨木調査では全国4番目(あるいは5番目)の大きさの巨樹となっており、福岡県内では一番の巨樹です。

 
クスには良い芳香があり「臭し(くすし)」がクスの語源となったという説や、香り高く寿命が長い「奇(くす)しい 木」から名前が付いた等所説あるみたいです。日本では古よりこの樹から樟脳を取ってましたので「樟」の字を当てることもありますが、樟脳が殆ど使われなくなった現在「楠(本来は中国大陸に分布するタブノキ科の樹木)」の字を当てるのが一般的になってます。
また、英語名ではCamphor  tree(カンファ―ツリー)とも言い、カンフル剤の語源だそうです。面白いですね。

 
木芯部は大きな空洞になってますが、明治34年にこの中の焚火が木に燃え移り大半が焼失したそうです。その後奇跡的に第一枝がよみがえり現在の姿まで復活したそうですが、ただ写真のように100年以上経った現在でも焼け焦げた跡が生々しく残っています。

  
樹齢が1,900年を超えてるのかどうかは分かりませんが、そこかしこに古木の何とも言えない風格を感じます。
また枝なんかもまだまだ元気で、葉も良く繁らせています。

 

   


8-⑧西八幡宮のイチイガシ下関市豊田町矢田) 
   市指定天然記念物         2022.6.2
  
西八幡宮は鎌倉時代の建久2年(1191年)に豊田氏により豊前国の宇佐八幡宮を勧請して創建されました。西市小学校の直ぐ裏手である現在地に奉遷されたのが1657年のことです。その時に宇佐八幡宮より賜った苗を植栽したとのことですので、樹齢は今年で365年となります。
今まで見てきたイチイガシの巨樹はみんな老木でしたが、ここのもいかにも老木然とした巨樹です。幹の一つの上部が折損しているのも痛々しいです。

 
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その堅果(どんぐり)は渋みが少ないため食用に供したのか、縄文の遺跡からよく出土するみたいです。
幹の一つに大きな空洞があり、また大きな枝も切られてるようなので三宅先生の写真よりもさらに元気が無いように見えます。枝葉も一部しおれているように見える部分があり、いつどうなってもおかしくないのかなぁ―と心配になります。今まで見てきた巨樹の老木の中で幹が分かれている内の大きな1本が根元の辺りから倒れてしまって、大きさが随分小さくなってしまったのがありましたが、このイチイガシもそんな風になるんじゃないかと想像してしまいます。なんとか元気を取り戻してほしいのですが・・。

  

  
 

8-⑦長正司公園のフジ下関市豊田町矢田2022.6.2
  
長正司公園は豊田町西市の中心部(と言っても、田舎ですので人も車も少ないです)から直ぐ山際に見える所にあります。1か所しかない狭い階段を登って行くとすぐに辿り着きます。花の時期からは1カ月遅く、咲き誇っている藤棚は見れませんでしたが、ヤブツバキに巻き付いているフジはさすがの大きさです。
ここには元々長正寺という禅寺があったそうですが、江戸時代の初期に東市に移転したそうです。どうして西市から東市に移転したんですかね? 西市の方が格段に栄えてたと思うのですが・・。
ここの裏山には豊田氏の山城があり、大内氏の時代には攻める大内氏と守る豊田氏の間でバトルがあったとか無かったとか云われています。その頃の山口県は大内氏、厚東氏、豊田氏の3豪族が割拠してましたが、尼子氏の重臣の名前も出てきて、ここ西市というのは古の時代から要衝の地であったのが分かります。

 
ちょっと白黄色っぽいのがヤブツバキですが、よく耐えてます。フジも生かさず殺さずの塩梅で締め付けてるのかな?
フジは別名ノダフジとも言い、蔓は根元左から右へ巻き上がります(左巻き)。ちなみに近似種のヤマフジの蔓は反対に右巻きだそうです。

  

  
公園からの降り口にモミジの立派なのが2本あります。2本とも葉っぱが小さいのでイロハモミジではないかと思います。8-⑥厳島神社のオオモミジを見たばかりなので違いがよく分かりましたが、果たして当たってるかどうか?


8-⑥厳島神社のオオモミジ山口市徳地上村
                    2022.5.9
  
国道376号線から徳地上村の有名な「月輪寺薬師堂」(国指定重要文化財)方面に向かって行き、手前を右折すると厳島神社に辿り着きます。
天禄3年(972年)に広島の厳島大明神を勧請し創建されました。ちょうど1050年経っていることになります。現在の地には1677年に移設されました。急な階段を登って行くと目の前に本殿が現れます。

  
本殿に向かって右後ろにオオモミジがありました。今は若葉が美しい季節です。オオモミジはイロハモミジの変種とのことですが、ぱっと見は区別はつきません。近づいて葉っぱを見るとイロハモミジよりも大きいのが分かります。正直言うと私は区別がつかなかったのですが、女房は明らかに葉っぱが大きいと言います。言われてみればそうかなぁーと思うから不思議です。

    
モミジの大きいのは美祢市の南原寺のオオモミジを見たことがあります。ここよりも少し幹回りが大きかったのですが、あのモミジはとにかく背が高かったなぁーと思い出されます。ここのもなかなかの姿形なので、紅葉の時期はカッコいいんじゃないかと思います。

  
階段横にオオモミジの    帰りに階段下で、こんな石の賽銭箱を見つ
小ぶりなやつを見つけ    けました。平成4年に奉納されたみたいです
葉っぱを観察しました。    が、これなら泥棒も手が出せないでしょう。                                       


8-⑤花尾八幡宮のムクノキ山口市徳地島地)   
    残念! 伐採されてました    2022.5.9  
   県自然記念物(ツクバネガシ・他樹林)
   
国道376号線から島地川を渡って島地の街中に花尾八幡宮はあります。
和銅4年(711年)に宇佐八幡宮より勧請され創建されました。この地に移ってきたのは天正2年(1574年)のことです。和銅なんて年号が出てくるなんてビックリです。創建から1300年以上経ていることになります。どうしてこんな田舎に・・と思ってしまいますが、その頃は重要な地だったんでしょうか?

  
肝心のムクノキですが、三宅先生の写真と照らし合わせてもそれらしい巨樹は見当たりません。やっと見つけたのが上の写真のような巨樹の伐採跡です。
神社の関係者の方にいろいろお話をお聞きしたのですが、要は老木になりすぎて強風のたびに上部の枝が折れて周りの建物に傷をつけるもんですから、最終的に伐採やむを得ずとなったようです。樹木医の先生に手を尽くしてもらっても樹勢は回復しなくて、これ以上そのままだと樹木本体が倒れて甚大な被害が発生しかねないということで、泣く泣く伐採ということになったそうです。建物近くにある巨樹の運命かもしれません。
県内でも大きい方のムクノキだったんですが、またしても間に合わなかったと無念さがこみ上げてきます。 

  
本殿前にイチョウの樹がありますが、これも同様な理由で上部が伐採されています。また後部の斜面にあった木々は土砂くずれがあり伐採したとのことです。


8-④須賀神社のムクノキ・山口市徳地小古祖)   
                    2022.5.9
  
国道489号線を「重源の郷」方面へ曲がり、120~130m行くと須賀神社があります。出雲大社を勧請し延喜年間(901~922年)に創建した祇園社は1865年に須賀神社と改称され現在に至ります。およそ1100年の歴史ある神社です。
境内にはその歴史に相応しくあちこちに大木があります。
神社ですからムクノキは神の依り代として植栽されたものだと思います。

  
地上1.5mのところに空洞がありますが樹勢としてはまだまだ元気です。県内ではそこそこの大きさのムクノキですが、須賀神社を見守りながらますます大きくなっていってほしいです。

   
根元で2分岐してるツクバネガシ        大きなカゴノキが2本


    
その他の巨樹いろいろ。 小さな神社ですが、本当に面白い場所です。

 
   


8-③石鎚山神社のカツラ山口市徳地船路) 2022.5.9
    市指定天然記念物
  
船路の集落から石鎚山神社を目指して行きます。途中から道が細くなり対向車が来ればアウトだなとビクビクしながら林間の道を徐々に登って行きます。やっと「船路の大カツラ」の看板を見つけその前に駐車します。対向車の事を考えたらもう少し先の石鎚山神社に駐車した方が良いでしょう。
しかし本当に辿りつけるのかビクビクものでした。

  
傍の小川に木製の橋が架かってるので(半分ぐらい板が無くなっている)それをコワゴワと慎重に渡って行き、雑草とクモの巣を払いながら少し行くとカツラの巨樹に辿り着きます。
日本で自生するカツラの樹は冷温帯の渓流などに多く見られ、カツラの大木の下には必ず水脈があるとも言われています。
また寿命は長く成長すると主幹が折れ、根元からたくさんの「ひこばえ(萌芽)」を伸ばして株立ちするものが多いそうです。そういえば久住に山登りに行った時、「男池園地」でひこばえが株立ちしてる巨大なカツラの樹を見たのを思い出しました。その時はカツラの樹というのはケッタイな樹だなぁーと思ったのですが、あれは長命なカツラの樹の最終形態だったんですね。此処のはひこばえも無いようですので、まだまだ壮年ぐらいでしょうか。それともその状態に近づいているのかな?
材質が良いということでカツラの樹から家具や碁盤、将棋盤などが作られてるそうです。

   
葉は丸っこい可愛い葉っぱです。地上2m付近で3分岐していますが、その内の1枝は折損しています。


8-②船路八幡宮のスギ山口市徳地船路) 2022.5.9
    
船路の広々とした田園地に鎮座する八幡宮です。スギの巨樹は本殿を正面に見て階段の右側にあります。少し前に見た出雲神社のスギよりは小ぶりですし出雲神社のスギのような荒々しさもありません。立地の良さや育ちの良さが現れているスギです。

  
イロハモミジの少し大きいのが本殿の右前に   ネズミサシという樹は残念
あります。                  ながら伐採されてました。

 
8-①妙見社のイチョウ山口市徳地八坂) 2022.5.9
    県指定天然記念物
  
この妙見社は1244年に山口市氷上の妙見社を勧請したものですが、すぐ後に火災により焼失してしまいそのときにイチョウを植えたそうです。ですからイチョウの樹齢は七百数十年だと云われていますが、場所は妙見社の境内ではなく参道脇に植えられています。

  
イチョウは中国原産と言われており、日本には古の時代に中国から入ったようです。日本では社寺に植栽されることが多く巨樹も多く見られます。このイチョウは目通り幹囲で県内一位と言われており堂々とした巨樹です。やはり以前見た山口市龍蔵寺のイチョウ(2-④龍蔵寺のイチョウ 参照)より太いような気がします。

  
幹も枝葉も元気で樹勢はまだまだ衰え知らずな感じです。 江戸時代に編纂された「風土注進案」にもこの樹の記述があるみたいですので、昔から巨樹として有名だったのでしょう。乳状突起も何か所かにあり老木としての貫禄があふれてます。また県内で天然記念物に指定されているような大きなイチョウのうち「雄株」なのはこのイチョウだけだということで学術的にも貴重なものです。

  
裏側に洞ができていますが、まだまだ大丈夫でしょう。樹齢1000年ぐらいまで長生きして欲しいものです。