皆様も報道でご存じとは思いますが、宮崎空港で爆発がありました。
記事内文言に「不発弾」とあります。
しかし今回は爆発してるので何と書いていいか分からず・・・
そのまま不発弾としました。
詳細はこちらをご覧ください。
現在分かっているのは以下の通り
・陥没の現場から米国製の不発弾の破片が見つかった(自衛隊が現地で確認した)
・爆発の原因は不発弾とみてさらに調べる。
・不発弾は米国製で重さは500ポンド。
・穴は長径約7メートル、短径約4メートルで、深さは約1メートル。
・爆発音がした後、確認したところ誘導路が陥没していた。
・現在宮崎空港はすべての便の発着を見合わせ。
何故?って思われた方もいらっしゃるでしょう。
宮崎空港のある場所は、赤江ってとこなんだけど元々ここは「海軍赤江飛行場」だったんです。
周辺には今でも掩体壕が現存してるんですよ。
宮崎市ホームページより
掩体壕とは
掩体壕(えんたいごう)とは戦争における敵からの爆撃や砲撃・銃撃などの破壊行動から味方の飛行機・車両・物資・人員等を守るために、それらを覆う・囲う目的で造られたものです。コンクリートや土嚢・土塀・ドラム缶に土を詰めたもの等で造られ、旧海軍宮崎基地(現在の宮崎空港)周辺には、中型機用・小型機用あわせて50数基の掩体壕が造られました。
戦後、土を盛っただけの無蓋掩体壕は早々に取り壊されましたが、コンクリート製の有蓋掩体壕は、その堅固さから現在も6基(本郷地区の中型3基と赤江地区(空港西側)に残る小型3基)がほぼ完全な状態で残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1f/e2bcf0c84f6457fe0e19f8520390ea2c.jpg)
======================================
少し前までは、なんとなくここが旧滑走路だってのが分かる場所があったんですけど
今ではほとんど分からなくなってるのが残念でもありますね。
でね。戦争末期に特攻ってあったじゃないですか。
特攻の基地として知覧、鹿屋、大刀洗などがありますが実は宮崎もそうだったんですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/09/1ee4e6a43df1076861c0ed49b87b4dae.jpg)
訓練基地だった赤江飛行場(現:宮崎空港)は昭和19年特攻基地になりました。
遠くまで飛べる爆撃機が主に赤江飛行場から飛びたったそうです。(銀河特別攻撃隊)
飛び立ったのは一式陸攻、銀河で、海軍が344機、陸軍が200機、合計544機(715名)の人々が飛び立って、再び帰ることはなかったそうです
上の画像を含め2016年に見学させていただきました。
ほぼ宮崎空港の敷地と言っていい場所でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/8c/aed6f32c6fcfd3a151f4abfb677b471e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/12/8403e12cdf680196cd9f419c604aebae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d9/b8ef25ca1caebcab5846483c604bf4f0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/2a/79dc0ebd1f499c59b97103aef0cc5a58.jpg)
となると米軍の爆撃も当然あったでしょう。
相当数の爆弾を落とされていますね。
こちらを見て頂くと宮崎県にどのような規模の空襲があったのか分かります。
※詳細データの「宮崎市」の部分をクリックしてくみてださい。
今回は爆発の2分前に航空機が通ったってことで危なかったですが
被害が無く良かったです。
戦後80年近くになるのかな。。。それだけ経っても戦争の影響って続くんですね。
しかし、まだあるかもしれませんからしっかり調べてほしいのが正直なところ。
年末利用しますし・・・・推移を見守りたいと思います。