続・シーガイア100倍!!

富谷食堂


暑いね~  飲み物くだされ~



知覧茶。冷たくて美味しかった~


さらに・・・


紫芋のソフトクリーム


もう一つの見学先


富谷食堂に来ました。


ウィキペディアより
●1942年(昭和17年)、富屋食堂が陸軍の指定食堂になったため、陸軍知覧飛行場の飛行隊員が訪れるようになった。
●1945年(昭和20年)、特攻作戦が始まると、知覧から出撃する特攻機の見送りを続け、隊員が憲兵の検閲を避けるためにトメに託した手紙を代理で投函したほか、個々の隊員の出撃の様子を自ら綴った手紙を全国の家族のもとへと送り続けた。
●1945年(昭和20年)、終戦後、警察署長から進駐軍の富屋食堂への出入りを懇願されるが、トメはそれを固辞する。しかし、町が主催する進駐軍の歓迎会が富屋で開かれたことをきっかけに米軍兵士が富屋に出入りするようになり、生来の面倒見の良さから[1]米軍兵士からも「ママさん」と親しまれた[2]。
●1952年(昭和27年)、「基地跡を訪れる遺族のために」、旅館として改装開業。
●1955年(昭和30年)、かつて自身の担任教師でもあった当時の知覧町長に再三働きかけたことにより、旧飛行場の一角に特攻平和観音堂の建立が実現し、その観音堂参りがその後のトメのライフワークとなる。後に隣接して知覧特攻平和会館などが観音堂の周辺に建設されることとなる。
●1992年(平成4年)死去。享年89
●2001年(平成13年)、かつての食堂が「ホタル館」として復元され、特攻隊員の記念館となっている。現在の経営者はトメの孫である鳥濱明久。


この事実は映画にもなっています。







内部は史料館になっています(撮影は出来ません)


時間が止まっているように感じました。


若者ばかりが特攻に行ったという理不尽。


計画した者は後方にいて平気だったのでしょうか。


トメさんの年表や


映画撮影ロケ地の記念碑もありました。



この先に武家屋敷があります。


さて、帰りましょう。


出発!


桜島が見えた。


錦江湾公園のH2ロケット


無事レンタカー営業所に戻ってきました。


今日の宿に行きましょう。


駅の反対側になります。
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