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Edge Of Street
個人事務所「アイソトープ」を設立した尾崎豊が、1991年3月に開設したファンクラブが発行していた会報。
『エッジ・オブ・ストリート』という名称はファンクラブ名でもあり、尾崎の「浜田省吾が“ROAD”なら、自分は“EDGE”だ」という発言が由来だといいます。
尾崎は、「号数が人間の体温になるまで続ける」と宣言していたそうです――。
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0℃~30℃
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会報は、0℃から始まっています。
尾崎が存命の頃は、尾崎が書いた散文や描いた絵画、撮影した写真、ディスコグラフィ、ツアーグッズの紹介ページなどで構成されていました。
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EDGE OF STREET TIMESというペーパーも同封されており、会員からのお便りやイラストの紹介、文通相手募集のメッセージなどが掲載されていました。
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3℃発行後に尾崎が逝去した後もファンクラブは継続し、会報の発行も続けられ、内容は尾崎豊についての特集がメインとなっていきました。
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また、会員からのお便りやイラストの紹介、文通相手募集のメッセージなどは、冊子に掲載されるようになりました。
その関係でEDGE OF STREET TIMESは無くなりましたが、1994年に1度だけ復刻しました。
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31℃~36.5℃
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31℃からは、会報の形態が冊子版からタブロイド版に変更になっています。
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「FC会報の号数が人間の体温になるまで続けたい」という尾崎の遺志に基づき、36℃の次は36.5℃になっています。
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37℃ (BOOK 37TH ISSUE~BOOK 57TH ISSUE)
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37℃からは冊子版に戻りましたが、3/4サイズになりました。また、これ以降は37℃のままとなりました。(37℃版は計21冊発行)
そして、2005年末のファンクラブの休会とともに、57号(BOOK 57TH ISSUE)をもってFC会報の最終号となりました。
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編集後記
1994年初頭、「この世の果て」というテレビドラマに尾崎豊の『OH MY LITTLE GIRL』が採用されて、尾崎豊ブームが起こっていました。
そして同年、家族で東京旅行をする機会があったので、代官山にあった尾崎豊公式カフェ「Cafe Artery & Vein」を訪れる計画を立てました。
しかし、当時はグーグルマップがなく、CDシングルに書かれていた簡易的な地図では辿り着けず、道行く人にも聞いてもわからず、泣く泣く断念した思い出があります。
また、“十代の教祖”と呼ばれた尾崎豊の十代最後のライブは1985年に釧路市民会館で行われましたが、当時釧路に住んでいたにも関わらず、尾崎豊の存在を知らず行けずじまい。
そして、ファンになった時にはすでにこの世にいなかったということで、“尾崎豊ニアミス人生”といっても過言ではないです。
しかし、そのことが尾崎豊への執着を生み、今や検索トップになっている「ゆかりの地まとめ記事」などを作ることに繋がっているので、何かしらの計画だったと思うようにします・・・。
【出典】 「Edge Of Street」