ある方の北村英三さんの楽しい、お話聞いて、
私が「燃えよ剣」にはまった頃のことをみなさんに聞いてもらいたいと思いました。
古いネット仲間には、あちこちで書いたり、しゃべったことがあるのですが
現在、お付き合いなさっている方には、余りしゃべったり、書いたことがないと思います。
ちょっとした思い出話です。
☆ ☆
「燃えよ剣」の再放送は、火曜日の深夜でした。
大学時代クラブ活動していました、文化系のクラブでありながら、体育系のクラブののりのクラブでした。
何のクラブかは、また時がくればお話します(笑)。
クラブはいりたての頃は、いつ辞めてもおかしくない状態だったと、先輩や同輩たちに思われていました。
しかし2回生になると、なにかわからないが燃える物があって、先輩や同輩たちにこの変化を怪訝に思われていました。
私のクラブは、2回生の秋頃から、幹部の学年として、動き始めるのです。役職名関係なく、
幹部会議でクラブの運営をまかせられられるのです。その頃出会ったのが「燃えよ剣」でした。
山南の切腹に関しての土方と沖田の会話にしびれたのです。
組織には、悪役の存在が必要でそれがあってこそ、組織は強くなるという趣旨の会話でした。
よし、自分が悪役になってクラブを強くしてやるという野望を抱いたのでした。
自己分析すると、どうでもいい細かいことに気づくのです。それをネタにして後輩を叱ると、
後輩たちは、自然、私を憎い先輩と思うわけです。
見事に成功して、同輩の部長から「お前、すごくみんなに嫌われているぞ。」と心配されました。
部長は、鶴田浩二型の部長でなんでも自分でやるタイプでした。
幹部会では、私は部長の意見にいつも異議をとなえておりました。
最終的には部長の意見がとおるのですが(笑)。
前にも書きましたが私はクラブを途中でやめました。
しかしこの部長は、私の幹部会での異議の意見がクラブを愛するがゆえの行動であることを
知っていましたので、辞めてからも私の意見を聞きにきてくれていました。
他の同輩たちも、私のクラブへの愛情を理解してたので、卒業後30年以上たつのに、
みんな一緒に2年に1回ぐらい会っています。
「燃えよ剣」が好きだったこと、みんな知っていたので、私のシンボルマークは「誠」でした。
北村さんの生徒への、きつさもきっと情熱と生徒への深い愛情からのことだと思います。
私の細かいことに気づく性格は直りようもありません。
今、私はそれを善い部分のみをとりあげ、
後輩たちや他の人の励ましに使用しています(笑)。
☆ ☆
前限定メール「半三郎版新選組」と同時に、2009年5月4日限定メールとして発送
その後の5月のイベント「土方歳三の愛した京都」で、ファミリーの
みなさんとの会話の話題として限定メール化したもの。
一部の方には、その時の限定メール2本送らずに1本だけ送った場合も
あります。
私が「燃えよ剣」にはまった頃のことをみなさんに聞いてもらいたいと思いました。
古いネット仲間には、あちこちで書いたり、しゃべったことがあるのですが
現在、お付き合いなさっている方には、余りしゃべったり、書いたことがないと思います。
ちょっとした思い出話です。
☆ ☆
「燃えよ剣」の再放送は、火曜日の深夜でした。
大学時代クラブ活動していました、文化系のクラブでありながら、体育系のクラブののりのクラブでした。
何のクラブかは、また時がくればお話します(笑)。
クラブはいりたての頃は、いつ辞めてもおかしくない状態だったと、先輩や同輩たちに思われていました。
しかし2回生になると、なにかわからないが燃える物があって、先輩や同輩たちにこの変化を怪訝に思われていました。
私のクラブは、2回生の秋頃から、幹部の学年として、動き始めるのです。役職名関係なく、
幹部会議でクラブの運営をまかせられられるのです。その頃出会ったのが「燃えよ剣」でした。
山南の切腹に関しての土方と沖田の会話にしびれたのです。
組織には、悪役の存在が必要でそれがあってこそ、組織は強くなるという趣旨の会話でした。
よし、自分が悪役になってクラブを強くしてやるという野望を抱いたのでした。
自己分析すると、どうでもいい細かいことに気づくのです。それをネタにして後輩を叱ると、
後輩たちは、自然、私を憎い先輩と思うわけです。
見事に成功して、同輩の部長から「お前、すごくみんなに嫌われているぞ。」と心配されました。
部長は、鶴田浩二型の部長でなんでも自分でやるタイプでした。
幹部会では、私は部長の意見にいつも異議をとなえておりました。
最終的には部長の意見がとおるのですが(笑)。
前にも書きましたが私はクラブを途中でやめました。
しかしこの部長は、私の幹部会での異議の意見がクラブを愛するがゆえの行動であることを
知っていましたので、辞めてからも私の意見を聞きにきてくれていました。
他の同輩たちも、私のクラブへの愛情を理解してたので、卒業後30年以上たつのに、
みんな一緒に2年に1回ぐらい会っています。
「燃えよ剣」が好きだったこと、みんな知っていたので、私のシンボルマークは「誠」でした。
北村さんの生徒への、きつさもきっと情熱と生徒への深い愛情からのことだと思います。
私の細かいことに気づく性格は直りようもありません。
今、私はそれを善い部分のみをとりあげ、
後輩たちや他の人の励ましに使用しています(笑)。
☆ ☆
前限定メール「半三郎版新選組」と同時に、2009年5月4日限定メールとして発送
その後の5月のイベント「土方歳三の愛した京都」で、ファミリーの
みなさんとの会話の話題として限定メール化したもの。
一部の方には、その時の限定メール2本送らずに1本だけ送った場合も
あります。
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