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空に問う。

空に問うても果てがない

石見王

2017-09-21 17:16:25 | 日記
怨霊の一人である長屋王の子が石見王と呼ばれかつて石見地方の中心に集落を開いていたという。今はもう伝説に過ぎないけど。

長屋王は自害してしまうけど、それを企んだのは不比等の子である藤原四兄弟と言われてる。まあ本当にこの四人とも疱瘡に掛かって呪いのように死ぬのだけれど。

この藤原四兄弟の北家の子孫が益田市の益田氏のことで、なんか因縁を感じるなァ?物部氏系の民族が既にいたから東へは登れずに西に下ったのだと思うが、もしも石見王の集落が現存していたら、戦ったのかなぁ。時代的には400年以上ズレてるけど。

都から見て出雲は敵であり、黄泉の国なんだと思うけど、石見の方はどんな感じだったんだろう?浜田市には国府が置かれていたというからまんざら僻地でもなかったと思うけどね。人魚を食ろうた比丘尼の話もあるし、まんざら都と無縁であった訳ではないだろう。

戦前に日本で唯一空襲にあってない県でもある。まあ重要な軍事施設はないけれども有名な歩兵団はあったから???に思う。まあ広島にも近いから原爆投下の候補地であったのかも知れない。そのために広島、長崎も空襲を受けていない。

まあ空襲もなかったから、古い土地の性格や習俗が残ってていいはずなのに習俗の部分に関しては特記事項は何もないかな。くだらなさ過ぎる。

まあ空襲にでもあって焦土と化した方が戦後の発展を考えると、そこに利点があったような気はする。幕末も殿さまが城を焼いて逃げたから大惨事にはなっていない。浜田知って、人は死んでいないのにまるで土地が死んでるような活気のない町なんだよね。むしろ日本の多くの都市は血塗られた場所こそ反映してる。

島根県が保守的であるというのは空襲にあっていない事と関係があるんだろうね。二万人近く兵隊さんが戦死しているのに、もうほとんど戦時中の話を訊いたこともない。

怨霊もいないんだよね。

石見王の伝説はあるときに突然消えてる・・・。たぶん万寿の大地震の津波で全部流されちゃったんだろうね。萩みたいに天皇の末裔を匿って大事に育てたって話もないけど、かつて石見王という長屋王の子供がいたことは記録に残ってる。

おいらの中の黒い焔や渦って、どこかにちゃんと返すべきものなのかなぁ?黒い焔って業火過ぎて黄泉の黒い力の一つかと思うけど。伊勢とか熱田神宮とか行って結果切の能力を発揮するべきなのかなぁ。自信はあるぞ、出雲大社は切ったから笑。

出自的に不釣り合いな憑き物なんだよね。霊能者さんは憑き物とさえも呼ばなかったけど(笑)

死んだらどうなるんだろう?一緒に連れてくこと出来るんだろうか。

波切不動がちゃんと斬ってくれたはずなんだけど。

人に取り憑かないもんが取り憑いてる言われるとショックだよね。それも神でもないし仏でもない訳だし。黒いってだけでケガレていそう・・・。

渦は取り込んでしまうと云うよりも、そこから出てくるって感じかなぁ。二年前にはアナコングみたいな青大将が飛び出してきた。どうもそれが父とおいらとの懸け橋になっていて、おいらが生きるチカラを奪われるキッカケになったけど。たぶん父に宿るはずだった蛇が遅れてこの世に出現するために、おいらというものは生まれた人間のスペアみたいなものなのかなぁ。あそこで死んで終わるはずだったのに死にそびれてる。

こういうのは三つ揃わないと意味がないんだろうけど、もう一つの黒い武器って何かなぁ?


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