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空に問う。

空に問うても果てがない

裏事情

2017-09-10 10:21:44 | 日記
民進党を離党した山尾さん・・・もう一枚裏がありそう。噂では旦那さん。不倫相手とされる人物が弁護士と言うことは?

にしても、「日本死ね」の印象しかないんだけど、そんなに注目な政治家だったんだろうか。「文春砲」はもういいや。不倫はあくまでも個人的な問題。政治家だから倫理観は問われると思うけど。本当に女性だけはチマチマ責めるなァ。そんなことよりも日本を傾倒させてる政治家がうじゃうじゃいるんだから、そっちを本気で潰せ文春砲。

元外務省の宮家さんの「+圧力」の発言は少しだけ説得力があった。経済的圧力、対話による圧力、軍事的圧力・・・。平和的解決は将来において建設的でもないのかもしれない。

ただそれはアメリカがかつて作り出した世界秩序に矛盾や狂いが生じた結果でもある。成熟した国家だけが核兵器が持ってる訳じゃない。そんな幻想はどこにもない。おいらだけかもしれないが、アメリカが核兵器や物凄い軍事力を持っていることをあまり警戒も恐れてもいないことにビックリするくらいに鈍くなってる。もうあんなに攻撃されて反省したんだから、もう何もしないよねと勝手に思っている。ほかの人はどうか分からないけど、アメリカに対する感覚は確かに狂っているのかも。

おいらが抵抗するのを辞めてる抑えてる感情を、抑える必要のない国から見たら、その抑えてる感情を持っていることが不思議なんだろうね。軍事力の一点で世界を制圧してきたアメリカに心なしか温情を感じてる。

また井沢さん批判になっちゃうけど、植民地支配には悪い面もあるが、良い面もあると言うのはどうなんだろう。同じ中国でってイギリスがアヘン戦争で略奪した香港には民主主義や差別に対する意識がちゃんとあると云うが、そもそも中国にいつか返還されるのであれば香港の人は困ってしまうんではないのかなぁ?あくまでも民主主義の立場から見ると、香港人は我々により近く、中国人は我々よりも遠いということになるし、遅れてるということになるけど、その国で暮らす以上、余計な知恵や知識は無駄であり、何も知らなかった方が幸福と言う場合もあると思うんだ。

真実を知っていることが幸福ではない。知らない方が幸福なんだと思う。下関の彦島と香港島を比べて意見していたけど、確かに香港ではその地を足掛かりにしてイギリスは武力を行使して交易を有利に進めた。日本側の拒否で彦島を取られずにまた下関も略奪はされなかったけど、その後イギリスは薩長同盟を利用して、日本でクーデターを起こしてんだからもっとヒドイじゃないか。まあ判官びいきの国だから、殺人を犯してる坂本龍馬を幕末に必要な人材だったと仮定したがるけど、殺人をおこしてるからこそ殺されたのであって、それが「暗殺」であるかはフィクションだよね。正当な理由があって、殺されたっていう意見は少ない。

おいらは明治維新を必要以上に持ち上げる歴史史観が嫌である。徳川幕府からしたら大政奉還したのに朝敵とされ、執拗に攻撃を受ける理由がない。なのに薩長同盟は無血開城により江戸が戦禍に巻き込まれなかったのちも、攻撃を緩めなかった。非道の限りを尽くした。まるで仇敵が一人でも存在していたら、自分たちに反旗を翻しかねないと民族を殲滅するみたいに。

教育勅語もいろいろ解釈があるし、日教組は悪いと決めつける意見もある。しかし国旗掲揚と国家斉唱を拒むことがそれほどの悪だとは思えない。少なくとも教育現場から戦争へ行きやすい子供を教育したのは確かなことだろうし、それを反省してる。同じような役割を国家直属機関として行った神道の神官や宮司は、戦地に兵隊を送り出すことに神道が利用されたことを反省も後悔もしているのかなぁ?

確かに仏法は仏敵がいれば闘うことを良しとして、それが政治や国家守護の妨げになったのは知ってる。仏敵を倒すためなら殺生もやむを得ずという武装した僧兵がいた。殺生を禁じているはずの仏教の矛盾した側面だね。キリスト教なら十字軍である。西洋列強をキリスト教圏とみなし、仏教の見地からみたら仏敵でしょう。だから国家的な非宗教、超宗教として明治政府は仏教国である日本のありのままで軍事国家になれば良かった。確かにどんな形でも殺生を禁じていた初期の仏教は発祥地のインドで消滅してしまったけど、日本の仏教は日本のみで進化した仏教でしかないと思うんだよよね。

信長、秀吉、家康は確かに巨大仏教勢力から僧兵を失くし禁じたけど、明治政府がやったことは信長、秀吉の夢の続きだよね。古い思想は持ち出せないが明治の指針なら、半島支配も古い思想のひとつではないんだろうか。いろんな宗教と学問を統合して多様性を持った神仏習合は結果として平穏しか呼ばなかったから、戦う政府としては邪魔だったということでしょう。神道がたぶんいちばん白紙に近かったし、儀礼しかなかったから、国をあげて信仰をねつ造したのは確かなことだと思う。それは平田神学に浮かされた当時の志士たちの愚考だと思う。信じたいものがやっと見つかった訳だよね。

神道とは宗教ではなく祭祀儀礼だ。それは今の神社神道を見ても同じ。

幕末のころの平田神学とは新興宗教的な者で、それまでなかった新しい宗教の一つになりえるものだったんだよね。西洋にかぶれたバカ者たちは古来からの伝統や階級社会を嫌っていた。古く新しいから採用したのではなく、新しい宗教観だったから受け入れたんと違うかなぁ・・・。

記紀神話とは神がどれだけ残酷で、残忍非道であるか書いた物語だから、読み込めば読み込むほど、天皇家の祟るルーツはこの物語にあるとしか思えなくなる。

明治憲法にも「信仰の自由」はあったし、国家元首が信仰するものが、国家の基盤や法律に影響する。なら仏教こそ非宗教で超宗教であるべきじゃなかったのかなぁ。歴史書のどこを見ても祟る天皇以外は神格化されていないし、供養は寺が行っていたと思うけど。どれか一つを採択するよりも、まったく新しいものを据えた方が楽だよね。

明治政府って楽なことばかり採用し登用し、真似しかせずに近代国家、軍事国家を目指した愚かな政治だとしか思えない。神仏分離も廃仏毀釈も宗教形態の解体と云うよりも、国民自らの手でそれまでの宗教観らしいものを悉く破壊させただけだと思う。

一番愚かなのは否定した者らの考え方を昭和の政治家や軍人は盲目的に掲げたことかなぁ。

「八紘一宇」とは神武天皇が柏原を遷都するときの神勅だと言われているが、その言葉のもとになる解釈をしたのは日蓮宗の行者だった。仏教による神道的なアプローチだよね。そもそもそれは戦後国家神道された非宗教、超宗教観とはまったく関係がない。やっぱり最終的に日本人がしたことは、宗教のいいとこどりをして神に肉付けをして天皇を現人神にした。多様性に多教性を重ねてしまったことになる。悪い形で最習合したんだよね・・・。国の最高位である元首(王様)が、国体(宗教)の頂点となり、祖神と同一化してしまった。

ほんのひと時。四年間と言う長き地獄の入り口で、政府は天皇を神格化した。生神とした。借り物でつくられた社会や法律や宗教基盤が最も最悪な形で具現化した。たぶん陛下ですら、その現象を止めることは出来なかったんだと思う。一握りの狂信的な思想が日本を支配した。それは圧倒的であがらえるものではなかったんだろう。

熱病に浮かされたように寺を破壊し、仏像を焼く。熱が過ぎたら、最期に希望ではなく、バチが残ったんだと思うよ。この宗教革命には希望などなかった。だからどんどん政治も社会も秩序も狂いだした。

富を生むのは農民だから本来戦に駆り出されることはなかった。平等だから等しく徴兵される。それだけでも農民は新政府に唾をはいたと思うなァ。でも新政府のために土着信仰を捨ててしまった彼らには、”バチの概念”が残ったんじゃないんだろうか。こういう悪ふざけをしたばかりに神仏を怒らせてしまったのではないか。バチの概念は仏教の戒律違反を犯したときに下される正しい制裁である。だから神道に傾倒してしまう。神を信じれば救われると思いたかったんだろうかねぇ・・・。

まあそれでも明治・大正時代はそれなりの戦果もあげているし、まあまあ明治新政府が考案した政策、法令はうまく機能したのかも知れないけど、昭和になって国際連合を離脱したり、世界のルールに従わなくなったころから、内外から両圧をかけられて、昭和16年にすべてが結実してしまう。天皇は現人神なのだからこの戦争に負けるはずはない。

こういう結実の仕方しか、軍隊が信仰した非宗教で超宗教である神道は開花しなかった。神を信じさえすれば勝てる。まるでそれはキリスト教の十字軍みたいな発想だよね。古事記では民を草と書いている。創生とは草の事だ。草のために神が祈ると思うんだろうか。古事記をバイブルみたいに読み解くバカがいるけど、あんな物語が生きる役に立つと思うか。どこに日本人の心があるのか説明して欲しい。そんなものはない。もしくは日本人が神の姿を似せた創造物であるのなら、神に匹敵するほどの残虐性を我々は持っていることを認めてしまうことになるぞ。あれは天皇の経緯付けに利用された物語であると、きっぱりと、日本の精神性と切り離して考えるべきだと思う。日本人は真面目過ぎて疑うことすら排除して、ひたすら一つになろうとした。

教育勅語の最後に、一旦緩急になれば国民は天皇にために戦うと書いてある。それはある意味正しいし、それでも正しいことではない。国民は国民のために戦うのが本意だと思うぞ。

違うよな・・・、天皇の戦いのために国民を守るのが憲法なんだぞ。国が国民を巻き込んで暴走しないように、国が国民の権利権限を侵害しないように、国民のためにこそあるのが憲法なんだぞ。

西洋に習うなら、どうして同じ信仰形態にある者同士や国が戦争をするんだ。同じ神のためにそれぞれが戦うのか。そこには人種差別があったり、複雑化する宗教や揺るぎのない絶体的な問題が関わってる。それを未だに日本人は理解できていないじゃないか。だからこそ明治時代にそれが理解できたとは思わない。借り物で作った国体だったからこそ、脆く崩れ去ったんだと思う。

今までの習俗価値観を捨て、西洋のまねごとをして新しい秩序と社会を作る。憲法はドイツに借りてきて、過大解釈が出来るように法制を曲げる。自分たちのしたいような世界を創造するために違う意見をねじ伏せる。それを行ったのがすべて長州人ではないと思うけど、太平洋の大海原を見て志を逞しくした者たちの希望や夢よりも、ちまちました日本海に望み半島や大陸に野望と古の夢を見た萩藩士らのいじましい、みっともない思想がやがて日本を焦土と化したんだと思うとやりきれない。同じ日本海を見ても鎖国時代に韓国と交易をし、藩の財政を立て直そうとした浜田藩士が目指した志の方が美しいと思うよ。

だから龍馬が想いを馳せ外洋へ託した希望と、萩藩士が日本海に託した野望はぜんぜん違うぞ。

龍馬は犯罪者でもあったから、犯罪者として裁かれた。

とにかく司馬遼太郎さんはファンタジー作家であって、歴史家ではないんだから、この人の話をもとに偉人を美化するのはいい加減に辞めた方がいい。奥方もそのファンタジー性は認めてらっしゃるんだから。

裏の裏はきっと表じゃないし、裏事情に隠された表の真実もあるんだろう。

毎日、海を見てるけど、見飽きてる。

希望や野望はどこへ行った。

2001年の悪夢再びが、どうか起こりませんように。

十六とは死が四回繰り返すから、不吉とされてる。

16年後の悲劇を再開したら、北は魔物化するぞ。








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