今日はAmazonファイアの調子が悪い。
押してもないのに切れるんだ笑。まあ機械の不調にまで心霊現象を持ちだす気はないけど、時々・・あるんだよね。このパターン。
来てるけど無視。人間なのに神霊のフリしてる。覗きは良くないぞ、呪う神主さん。
殺したい気持ちは分かるけど、簡単に殺されてなるものか。カラクリにやっと気づけたのに。
呼び戻されたんだよね・・・それほどの力があるとしたら、祖父さんとか父親なんだろう。確か父親はもう亡くなってる・・・。死んで終わるってことじゃないんだよね。こういう系の呪詛は。
まあ祖父さんがまだ健在で、あれこれやってる方が悪夢だけど。
護摩壇の前で幣を振る長髪の老いた神官のヴィジョン。
あれが・・・奴ん家の祈願なら、ちょっと怖いよね。密教では護摩供養はあるけど、地域性を考慮すると、神道+修験道の組み合わせが正しいのだと思う。
まあ修験の山で、ご神託も降りてるような場所だから。先日起こった不幸な交通事故もこの山の麓・・・。
そことは関係はないと思うけど、修験道とは(超)能力を開発するための修行である。山野を駈け、神仏と自然と一体化することや荒行を経て開眼する。悟りとは違うんだよね。禅宗で言うところの悟りとは、逆に修行の中で身に着ける超感覚的な能力を超えたところにある。開眼で終わるのは中途半端な段階だと思うんだよね。
超能力を身に着けても、何らおごることなく普通のことであると認識することが真の悟りなんだって。
あの驕り方や傲慢さは・・・悟りに至る手前な気がする。実際どれくらい由緒あり、どれくらい古い家系なのかは分からない。でも神道+修験道の祈祷祈願なら、歴史はそんなに古くない。
突然、閃いたヴィジョンではない。営業の子が愚痴ってた。”あの人、仕事出来ませんよね”
仕事しませんよね、ではないんですよ。仕事できないのが評判の男。ゆすられているのかは定かではないけど、社外からみたら大恥人事もいいところ。まあ、その頃は呪う神主ではなくて、怖い神社の息子であるサルの兄弟でしかなかったけど・・・。
その時の営業の背後に視えたヴィジョン・・・。
今思うと、その後まもなく・・・営業さんの会社と揉めごとが発生したなぁ。いかんせん、奴の保護者たる人物は愚痴る時に、信頼(?)してる呪う神主に話す。気の知れた友達感覚かなぁ?
その頃、重要なポストにいた同僚が、色にボケて欲に溺れて、クビになった。このお友達同士がもっとも嫌う人物であった。その頃に知ったんだな。その町にはヒエラルキーがあってカーストがあることに。口を開くと家柄がどうだの、名士だからああだの・・・そういう会話しか交わされてないことに気付いた。
まあ、ある人物が異例の出世をしたとしよう。
都合よく邪魔者が凋落したり、大病を患ったり、移動になったり、家庭の事情で退社したり・・・気がつけば社内での地位が飛躍的に上がってる。そういう人物の子飼いに名家である神主の息子がいる。
呪詛、呪詛と言うけれど、災い転じて福となすって言葉があるように、必要以上に「祝う」ことでその人物を除き、周囲に禍いが起こることもあるだろう。祝いと呪いは紙一重なんだと思う。
こんな話を訊いた事がある。ある会社で四、五名続けて連続ご懐妊し、それぞれ産休を希望し、一カ月ずつ休業に入り、大幅な人材不足になった。でも、新しく社員を雇うほどの余裕はない。忙しくて、もう会社を辞めたいと話していた・・・。
祝い事がまるで災いか、呪いみたいだよね。産休は当然の権利だとしても仲良しグループが揃ってご懐妊って・・・なんか不自然。その人が釈然としないは、その不自然さにあるようだった。
もちろん子供は授かりもの。中には不妊で悩んでた人もいたらしい・・・。それが揃ってご懐妊。まあ喜ばしいことだけど、会社や職場はてんてこ舞いだよね。表立って文句は言えないって愚痴っていた。
ちなみにその人らの名字を訊いてみた・・・ら、なんと五十音順で上から一カ月ごとにご懐妊。これは怪しいなと思った。
このグループと対立してる人っていた?と尋ねたら、「いる」と即答された。そんな状態なのに一人だけ伸び伸びしてる人がいる。
社員名簿見て祝ったんだろう。
憎いからっていつもいつも呪いに限ることはない。とりあえず目障りなグループは消えるんだ。
五十音順で連続するって偶然はないだろう。忙しさとは別に職場の空気も悪くなったので、話をしてくれた人ももうすぐ退社するって言っていた。「いる」と該当する人物が「気持ち悪いんですよ。時々小さな声でブツブツ呟いているんで・・・」とも言っていた。なんか呪ってるですかね。
そりゃあ祝ってるんだよ。
もしも5人続けて事故にあったらどうだろう?
誰にとって都合がいいのか、おいらは考えてしまう。普通は対立していた、薄気味悪いブツブツ呪文を唱えてそうな人物が真っ先に疑われりるよね。その人にとってグループの消失は喜ばしいことだから。
逆転の発想だけど、嫌いな人間をあえて「祝った」んじゃないのかなぁと推測する。それでもやっぱり不信に思う人はいるよね・・・。出来過ぎた結末は後味が悪いモンだし、この場合残された他の社員は迷惑しか掛かっていないから、奇跡的な出来事とも言えない。
都合がいい偶然が、特定の人物の周囲で起こったら、呪詛を疑うべきだろう。
まあ思い当たる点はありそうだけど、あえて煙に巻いていたなぁ・・・。別に世間話で嫌いな人間を愚痴っただけだし、ある会社に対する不満を漏らしただけ・・・。罪の意識は薄いんだろうが、そういう人物も真っ黒の邪悪な人間で、いちばん卑怯な人間だと思う。失脚した人らも気の毒だなぁ・・・。そんな小ズルい人間の犠牲になったとしたら救われないよね。
おいらが唯一、自分の仕掛けたことで呪い返しを成功させたときは、取り調べされたしなぁ・・。まあ確実に呪詛された兆候があり、事故にあった相手にお守りをあげた。悪いモンが憑いてるからそばに来るなって、仕事の話もしてくれないと怒っていた。まあ、憑いてるけど笑。そういう事を無遠慮に云っていいのは一般人の自称霊能者くらいじゃないか。逆に憑き物が憑いていてどうすればいいか、アドバイスする側の人間でしょ?それくらいに肩書は権威を与える・・・。だから、お守りをあげた人間は非常に怖がっていた。
愚痴った日の夜に、事故・・・。「もう一生話しません」って言っていたけど、ちょっとした事故くらいで満足するような人間じゃない。まあ気休めであげた。
そしたらさりげなく取り調べ。よくおいらだってわかったもんだ。そういう意味では優秀だろう。
まあトリックがあるとしたら、何人かに謎かけしたんだろう。変わった意匠が刺繍されていたから、普通に訊いたら何のことだか分からない。とぼけたけど気づかれたと思う・・・。速攻でタイヤの空気を抜かれて反撃された・・・。
そういう偶然は信じない。悪いけど必然だ。誰かがやらなきゃ・・起こらないことは誰かがやったということだ。
おいらが困って嬉しい人物。呪詛の邪魔をした人物。
敵対の構図と、一家との因縁が再発した決定的な瞬間だった・・・。
まあ同じ血筋の人間に何度も呪われるって凄いよね。
正義感があったせいで、おいらはすべてを失った。
まあ、今までのどの時点でも味方はいなかったと思う。詐欺にあったものかなぁ。一向に完全の余地もないし、縋れども頼れども自体は好転するどころか、悪化するばかり。
たった一人の邪悪な人間のせいだと感がるのには最初から無理があり過ぎた。全部の神は動かせない。でも全部の神がおいらに味方しない状態なら、おいらは呪われっぱなし、やられっぱなしだ。
おいらでないはない人物が、コイツの名前で祈願すれば、勝てたんだ。ブラックリスト入りしていない人物で、呪詛された人間なら。条件にあうのは一人いて、お願いしたけど、さすがに最後の最後で気が引けたらしいので、相談しなかったらしい。
最後の切り札がこれだった。おいらではダメなことはすでに承知していたけど、何故ダメなのか、分からなかった。
罪人として、すでに神界に手配書が廻っていたんだよね。
あながち霊能者がおススメする生き霊返しの対処法である『相手の幸せを日々祈りなさい』というのも突き詰めれば・・・呪詛なんだろう。自分を呪った相手を赦せる人物なんて、そんな心の広い人物なんているのかねぇ。
この場合は、「せめて相手の不幸は祈らないことにした」という修道女の言葉の方が相応しいな。その人は父親を殺した人に対面した時にそう思ったそうだ・・・。
改心することはないだろう。おいらの件で逆に自身の能力に自信をもったと思う。
おいらは曲げたくない。
祝う気持ちは純粋に祝うものであって欲しいし、呪いはどこまでいっても卑怯者が使う手段だと思う。
赦すことは今もまだ出来ないけど、忘れることなら出来るかもしれない。
ただもう電波的な妨害とは家族を苦しめるのは辞めてほしいなぁ。
気がついているのに、何も出来ない無力な自分をこれだけけちょんけちょんに傷つけたんだから、もういい加減に誰がいちばんの罪人で悪人であるのか、気づいて欲しいなぁ。
正しい神が一柱くらいいてもいいんじゃない。別においらのことは嫌っても、他の犠牲者のために立ち上がってもいいんじゃないのかなぁ。まあそういう人が自主的にお願いに上がらないとダメなのかなぁ・・。
なんか神って公務員とか銀行の手続きみたいで嫌になるよね・・・。融通がまるで利かない。
改憲、改憲と騒ぐ神社本庁にも魔が忍んでいるのかも。オリジナルにこだわるあまりに、その実がないのであれば意味がない。教えのない神道の空っぽさを思う。
日本独自の憲法をと言いながらも大日本帝国憲法のオリジナルはドイツ憲章だよね。
一族の繁栄など願わずに個人主義になったからこそ、日本という国は飛躍的に成長したんであって、家長制度に拘るあまりに封建的な支配意識があったんじゃないのかなぁ。今の時代の恩恵を知る者は、単純に神や仏を語ってはいけない気がする。日本の神が万能でないことを例えば証明しているのも記紀神話なんだよね。数いりゃあ言いわけじゃないし、争いと殺戮の話だから、学ぶべきことも少ない。神とは是であり、子孫である天皇さえ祟り殺す。
天皇が発する詔があればいいんじゃなかったっけ。昭和天皇が認めた昭和憲法も詔じゃないのかなぁ。戦後70年も経つと、本質が失せるのかなぁ。今は何もかも張りぼてで空っぽ。そういう意味では実に有効に神の威を借りて人を狩る呪う神主の方が気概があるのかもしれない。
しかし地元でしか有効じゃないから、地元を離れるとボコボコにされるけど・・・。これまた万能ではない。神道に万能性を求めたのが、おいらの間違い。
でも天皇が直々に祭祀を行うようになった歴史も、また数百年と短い。それまでは天皇の代わりに祭祀を行う一族が担っていた。中臣氏とか忌部氏とか。浜田市は忌部氏が穢れた場所に社を建てている。
天皇が祭祀を行う神国である我が国の歴史だけは比較的浅いんだよ。まあ記紀神話を史実だと思うような深い信仰は根付かなかったから、神道はやがて仏法と陰陽道に取り込まれてしまった。それを無理矢理引き離したから、こんなに歪になったんだろう。
陛下のお気持ちなど置き去りに、政治結社と政権が暴走を始めてる。祟り神でも目覚めさす気なんだろうか。建国記念日を祝う会が、呪いみたいに思えたのは、気のせいかなぁ・・・。
まあもうすぐ場面が変わる。未来永劫人間は君臨できない。上が変われば下も変わる。普遍なものなどこの世にはないのだから。
人を呪うことを許すくらいなら、そんな神様や神道にもはや意味はないだろう。だから改憲などあり得ない。
押してもないのに切れるんだ笑。まあ機械の不調にまで心霊現象を持ちだす気はないけど、時々・・あるんだよね。このパターン。
来てるけど無視。人間なのに神霊のフリしてる。覗きは良くないぞ、呪う神主さん。
殺したい気持ちは分かるけど、簡単に殺されてなるものか。カラクリにやっと気づけたのに。
呼び戻されたんだよね・・・それほどの力があるとしたら、祖父さんとか父親なんだろう。確か父親はもう亡くなってる・・・。死んで終わるってことじゃないんだよね。こういう系の呪詛は。
まあ祖父さんがまだ健在で、あれこれやってる方が悪夢だけど。
護摩壇の前で幣を振る長髪の老いた神官のヴィジョン。
あれが・・・奴ん家の祈願なら、ちょっと怖いよね。密教では護摩供養はあるけど、地域性を考慮すると、神道+修験道の組み合わせが正しいのだと思う。
まあ修験の山で、ご神託も降りてるような場所だから。先日起こった不幸な交通事故もこの山の麓・・・。
そことは関係はないと思うけど、修験道とは(超)能力を開発するための修行である。山野を駈け、神仏と自然と一体化することや荒行を経て開眼する。悟りとは違うんだよね。禅宗で言うところの悟りとは、逆に修行の中で身に着ける超感覚的な能力を超えたところにある。開眼で終わるのは中途半端な段階だと思うんだよね。
超能力を身に着けても、何らおごることなく普通のことであると認識することが真の悟りなんだって。
あの驕り方や傲慢さは・・・悟りに至る手前な気がする。実際どれくらい由緒あり、どれくらい古い家系なのかは分からない。でも神道+修験道の祈祷祈願なら、歴史はそんなに古くない。
突然、閃いたヴィジョンではない。営業の子が愚痴ってた。”あの人、仕事出来ませんよね”
仕事しませんよね、ではないんですよ。仕事できないのが評判の男。ゆすられているのかは定かではないけど、社外からみたら大恥人事もいいところ。まあ、その頃は呪う神主ではなくて、怖い神社の息子であるサルの兄弟でしかなかったけど・・・。
その時の営業の背後に視えたヴィジョン・・・。
今思うと、その後まもなく・・・営業さんの会社と揉めごとが発生したなぁ。いかんせん、奴の保護者たる人物は愚痴る時に、信頼(?)してる呪う神主に話す。気の知れた友達感覚かなぁ?
その頃、重要なポストにいた同僚が、色にボケて欲に溺れて、クビになった。このお友達同士がもっとも嫌う人物であった。その頃に知ったんだな。その町にはヒエラルキーがあってカーストがあることに。口を開くと家柄がどうだの、名士だからああだの・・・そういう会話しか交わされてないことに気付いた。
まあ、ある人物が異例の出世をしたとしよう。
都合よく邪魔者が凋落したり、大病を患ったり、移動になったり、家庭の事情で退社したり・・・気がつけば社内での地位が飛躍的に上がってる。そういう人物の子飼いに名家である神主の息子がいる。
呪詛、呪詛と言うけれど、災い転じて福となすって言葉があるように、必要以上に「祝う」ことでその人物を除き、周囲に禍いが起こることもあるだろう。祝いと呪いは紙一重なんだと思う。
こんな話を訊いた事がある。ある会社で四、五名続けて連続ご懐妊し、それぞれ産休を希望し、一カ月ずつ休業に入り、大幅な人材不足になった。でも、新しく社員を雇うほどの余裕はない。忙しくて、もう会社を辞めたいと話していた・・・。
祝い事がまるで災いか、呪いみたいだよね。産休は当然の権利だとしても仲良しグループが揃ってご懐妊って・・・なんか不自然。その人が釈然としないは、その不自然さにあるようだった。
もちろん子供は授かりもの。中には不妊で悩んでた人もいたらしい・・・。それが揃ってご懐妊。まあ喜ばしいことだけど、会社や職場はてんてこ舞いだよね。表立って文句は言えないって愚痴っていた。
ちなみにその人らの名字を訊いてみた・・・ら、なんと五十音順で上から一カ月ごとにご懐妊。これは怪しいなと思った。
このグループと対立してる人っていた?と尋ねたら、「いる」と即答された。そんな状態なのに一人だけ伸び伸びしてる人がいる。
社員名簿見て祝ったんだろう。
憎いからっていつもいつも呪いに限ることはない。とりあえず目障りなグループは消えるんだ。
五十音順で連続するって偶然はないだろう。忙しさとは別に職場の空気も悪くなったので、話をしてくれた人ももうすぐ退社するって言っていた。「いる」と該当する人物が「気持ち悪いんですよ。時々小さな声でブツブツ呟いているんで・・・」とも言っていた。なんか呪ってるですかね。
そりゃあ祝ってるんだよ。
もしも5人続けて事故にあったらどうだろう?
誰にとって都合がいいのか、おいらは考えてしまう。普通は対立していた、薄気味悪いブツブツ呪文を唱えてそうな人物が真っ先に疑われりるよね。その人にとってグループの消失は喜ばしいことだから。
逆転の発想だけど、嫌いな人間をあえて「祝った」んじゃないのかなぁと推測する。それでもやっぱり不信に思う人はいるよね・・・。出来過ぎた結末は後味が悪いモンだし、この場合残された他の社員は迷惑しか掛かっていないから、奇跡的な出来事とも言えない。
都合がいい偶然が、特定の人物の周囲で起こったら、呪詛を疑うべきだろう。
まあ思い当たる点はありそうだけど、あえて煙に巻いていたなぁ・・・。別に世間話で嫌いな人間を愚痴っただけだし、ある会社に対する不満を漏らしただけ・・・。罪の意識は薄いんだろうが、そういう人物も真っ黒の邪悪な人間で、いちばん卑怯な人間だと思う。失脚した人らも気の毒だなぁ・・・。そんな小ズルい人間の犠牲になったとしたら救われないよね。
おいらが唯一、自分の仕掛けたことで呪い返しを成功させたときは、取り調べされたしなぁ・・。まあ確実に呪詛された兆候があり、事故にあった相手にお守りをあげた。悪いモンが憑いてるからそばに来るなって、仕事の話もしてくれないと怒っていた。まあ、憑いてるけど笑。そういう事を無遠慮に云っていいのは一般人の自称霊能者くらいじゃないか。逆に憑き物が憑いていてどうすればいいか、アドバイスする側の人間でしょ?それくらいに肩書は権威を与える・・・。だから、お守りをあげた人間は非常に怖がっていた。
愚痴った日の夜に、事故・・・。「もう一生話しません」って言っていたけど、ちょっとした事故くらいで満足するような人間じゃない。まあ気休めであげた。
そしたらさりげなく取り調べ。よくおいらだってわかったもんだ。そういう意味では優秀だろう。
まあトリックがあるとしたら、何人かに謎かけしたんだろう。変わった意匠が刺繍されていたから、普通に訊いたら何のことだか分からない。とぼけたけど気づかれたと思う・・・。速攻でタイヤの空気を抜かれて反撃された・・・。
そういう偶然は信じない。悪いけど必然だ。誰かがやらなきゃ・・起こらないことは誰かがやったということだ。
おいらが困って嬉しい人物。呪詛の邪魔をした人物。
敵対の構図と、一家との因縁が再発した決定的な瞬間だった・・・。
まあ同じ血筋の人間に何度も呪われるって凄いよね。
正義感があったせいで、おいらはすべてを失った。
まあ、今までのどの時点でも味方はいなかったと思う。詐欺にあったものかなぁ。一向に完全の余地もないし、縋れども頼れども自体は好転するどころか、悪化するばかり。
たった一人の邪悪な人間のせいだと感がるのには最初から無理があり過ぎた。全部の神は動かせない。でも全部の神がおいらに味方しない状態なら、おいらは呪われっぱなし、やられっぱなしだ。
おいらでないはない人物が、コイツの名前で祈願すれば、勝てたんだ。ブラックリスト入りしていない人物で、呪詛された人間なら。条件にあうのは一人いて、お願いしたけど、さすがに最後の最後で気が引けたらしいので、相談しなかったらしい。
最後の切り札がこれだった。おいらではダメなことはすでに承知していたけど、何故ダメなのか、分からなかった。
罪人として、すでに神界に手配書が廻っていたんだよね。
あながち霊能者がおススメする生き霊返しの対処法である『相手の幸せを日々祈りなさい』というのも突き詰めれば・・・呪詛なんだろう。自分を呪った相手を赦せる人物なんて、そんな心の広い人物なんているのかねぇ。
この場合は、「せめて相手の不幸は祈らないことにした」という修道女の言葉の方が相応しいな。その人は父親を殺した人に対面した時にそう思ったそうだ・・・。
改心することはないだろう。おいらの件で逆に自身の能力に自信をもったと思う。
おいらは曲げたくない。
祝う気持ちは純粋に祝うものであって欲しいし、呪いはどこまでいっても卑怯者が使う手段だと思う。
赦すことは今もまだ出来ないけど、忘れることなら出来るかもしれない。
ただもう電波的な妨害とは家族を苦しめるのは辞めてほしいなぁ。
気がついているのに、何も出来ない無力な自分をこれだけけちょんけちょんに傷つけたんだから、もういい加減に誰がいちばんの罪人で悪人であるのか、気づいて欲しいなぁ。
正しい神が一柱くらいいてもいいんじゃない。別においらのことは嫌っても、他の犠牲者のために立ち上がってもいいんじゃないのかなぁ。まあそういう人が自主的にお願いに上がらないとダメなのかなぁ・・。
なんか神って公務員とか銀行の手続きみたいで嫌になるよね・・・。融通がまるで利かない。
改憲、改憲と騒ぐ神社本庁にも魔が忍んでいるのかも。オリジナルにこだわるあまりに、その実がないのであれば意味がない。教えのない神道の空っぽさを思う。
日本独自の憲法をと言いながらも大日本帝国憲法のオリジナルはドイツ憲章だよね。
一族の繁栄など願わずに個人主義になったからこそ、日本という国は飛躍的に成長したんであって、家長制度に拘るあまりに封建的な支配意識があったんじゃないのかなぁ。今の時代の恩恵を知る者は、単純に神や仏を語ってはいけない気がする。日本の神が万能でないことを例えば証明しているのも記紀神話なんだよね。数いりゃあ言いわけじゃないし、争いと殺戮の話だから、学ぶべきことも少ない。神とは是であり、子孫である天皇さえ祟り殺す。
天皇が発する詔があればいいんじゃなかったっけ。昭和天皇が認めた昭和憲法も詔じゃないのかなぁ。戦後70年も経つと、本質が失せるのかなぁ。今は何もかも張りぼてで空っぽ。そういう意味では実に有効に神の威を借りて人を狩る呪う神主の方が気概があるのかもしれない。
しかし地元でしか有効じゃないから、地元を離れるとボコボコにされるけど・・・。これまた万能ではない。神道に万能性を求めたのが、おいらの間違い。
でも天皇が直々に祭祀を行うようになった歴史も、また数百年と短い。それまでは天皇の代わりに祭祀を行う一族が担っていた。中臣氏とか忌部氏とか。浜田市は忌部氏が穢れた場所に社を建てている。
天皇が祭祀を行う神国である我が国の歴史だけは比較的浅いんだよ。まあ記紀神話を史実だと思うような深い信仰は根付かなかったから、神道はやがて仏法と陰陽道に取り込まれてしまった。それを無理矢理引き離したから、こんなに歪になったんだろう。
陛下のお気持ちなど置き去りに、政治結社と政権が暴走を始めてる。祟り神でも目覚めさす気なんだろうか。建国記念日を祝う会が、呪いみたいに思えたのは、気のせいかなぁ・・・。
まあもうすぐ場面が変わる。未来永劫人間は君臨できない。上が変われば下も変わる。普遍なものなどこの世にはないのだから。
人を呪うことを許すくらいなら、そんな神様や神道にもはや意味はないだろう。だから改憲などあり得ない。
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