空に問う。

空に問うても果てがない

奇跡を望むなら・・・・

2015-10-30 15:15:56 | 日記
西石見にある小京都、津和野に奇跡の場所があります。ちゃんとカトリックが認めた奇跡で日本唯一の場所。

※注、カン違いしておりましたが、乙女峠はカトリック教会(バチカン)非公認だそうです。ごめんさない。


聖地っていうとルルドとかファティマとかそういう名前を訊けばお分りの方もいますね。そうマリア様出現の場所が津和野の乙女峠なのです。記念の聖堂も建っています。

秀吉がキリシタン禁止令を出し、江戸時代になって一揆という形でしたが島原の乱が起こりました。それから200年後に起きた日本宗教史に於ける悲劇の場所こそ乙女峠です。
長崎に外国人専用の教会が建てられました。もうその頃には日本にはキリスト教の信奉者はいないことになっていました。が、キリスト教の信者たちは仏教に身を隠しながら信仰を続けてきました。その信仰対象がマリア観音です。隠れキリシタンの人々はこの教会に訪れたそうです。教会には日本語で「天主堂」と書かれていたと言います。しかし明治時代の初頭はまだ幕藩の力が残り、禁止令もそのままでした。皮肉にも信徒発見という出来事が悲劇をもたらします。

隠れキリシタンは流罪となり改宗が行われました。信徒発見により再びキリスト教弾圧が始まりました。マリア像を一目拝みたかったのだと思いますが、その当時はまだ異端の宗教です。数千人の信徒が日本全国に流され過酷な拷問を受けます。まずは神道に教化するつもりだったようですが、改宗を受け入れるものは少なかったそうです。その気配に業を煮やした役人共は更なる拷問を加えるようになりました。きっと裁く側も怖かったんじゃあないのかと思います。神を捨てれば命は救われると言うのに、その神を捨てないのです。そこに恐怖を覚えたのかもしれません。信仰という言葉はキリスト教伝来の時期に入ってきた考え方です。それまでの日本人の多くは信じたいものを信じ、信じたくないものは受け入れなかったのです。まあ日本に伝わったカトリックの教えはとても厳しい方だったみたいです。

津和野の冬は寒いです。狭い檻の中に裸で信者を放り込んで昼夜とわずさらしました。その中の一人がとても熱心な信者であったために他よりもひどい拷問をしました。その男さえ改宗させることが出来れば皆が従うのではないかと愚かにも考えたからです。そして残虐性を増したのです。

そんな拷問の最中、深夜0時ころ、その男の元にマリア様が出現し、苦しみから解放したと言います。ざっくり書きましたが、陰惨な歴史的事実の中で起きた正真正銘の『奇跡』の場所なのです。それを知る人は少ないと思います。

オカルトマニアの間では秋田の血を流すマリア像の方が有名らしいですけど、こちらはマリア様の出現の場所です。日本で唯一のバチカン公認の聖地なのです。

でもその奇跡に目を向けないのは歴史的な暗い側面を担なわされてしまうからでしょう。でも聖地に明るいも暗いもないし、奇跡にキレイも醜いもない。神聖な場所とはそう言うものなのです。

乙女峠はとても美しい場所です。津和野城主の娘を葬った場所でもあります。渓谷の中にある開けた土地で日本っぽくもありませんし、牧歌的です。でもマリア像と対を成す檻に閉じ込められた像は悲しみを今も訴えてきます。

信仰の篤かったその安太郎と言う男の前にマリア様は現れました。ただ残念ながらマリア様から預言や秘術を授かったわけではありません。改宗を迫る責め苦にあえぎ苦しむ安太郎の前に現れ、心を癒したんでしょう。

しかしこのキリスト教弾圧は、明治時代に行った悲劇です。ただ、この強い信仰心が皮肉にも国家神道を作る際のベースになったのではないかと思うと悲しいですね。強い信仰心は愛国心を育てたり、また破壊する力を持っています。本当はそれくらいに強い気持ちを信仰と呼ぶのでしょう。

二三回ですが、おいらも乙女峠を訪ねたことがあります。子供のときと大人になってからですが、子供のときはすごく怖い場所に思えました。マリア像と檻に閉じ込められた安太郎の像があったからです。姉がミッション系の幼稚園に行っていたので小さな母子像が家にありましたから、それがマリアだと分かりましたけど、とても怖かったと記憶しています。

マリア信仰と言うのは他の信仰を持っている人でも関わってよいとされています。仏教徒でもマリア様を信仰してもいいんです。旧約聖書によると生者としてはじめて天国に召されたと言いますし、聖女の象徴でもあります。

まあルルドなら奇跡の水が湧いているし、ファティマなら大予言があります。そういう意味では乙女峠に現れたマリア様は地味なのですが、いちばん苦しい時に一番求める人の前にマリアが現れたのは慈悲そのものを与えにこられたからではないでしょうか。そういう優しさを感じてしまいます。

に、しても新政府になったんだから幕府の負の遺産を引き継がなきゃいいのに・・・・。本当に残念な話です。でも役人どもは怖かったでしょうね。一言「辞める」と言えば済むものを信仰を捨てない人たちを見て驚愕したのだと思います。そういう時代の事ですから、誰にも双方を責めることは出来ませんね。

津和野では37人のカトッリック教徒が亡くなりました。その中には3,4歳の子供もいたそうです。今は津和野の中心部である殿町にも教会があります。畳敷きの教会は珍しいのではないでしょうかね。

他の地でもキリシタン弾圧や拷問がありました。近い場所では萩にも流刑者が送られています。まあ西石見と言う土地は霊的感応が起きやすい場所なんでしょうか。だからこそマリア様が出現したのではないかと思います。え、姫様を葬った場所だから、姫の霊ではないの?と思わななくもないんですけど白く輝いたのならばマリア様でしょう。そう思いたいです。

こうした暗く重い歴史も抱えてる西石見。仏さまを神さまにした津和野藩主の考えは本当に分かりかねます。もしかすると家康のように神になりたくて下地を成らしたんでしょうか。残念ながら神にはなられていませんけどね。津和野には日本五大稲荷の一つである太鼓谷稲荷神社もあります。伏見稲荷から勧請されましたが、歴史的には旧い稲荷神社ではありません。

また藩主絡みですが、生誕から1300年経っている人物が正式な神となったのは約350年前のことです。仙人を神扱いしたらそれはもう道教ですぞ(苦笑)。霊的にとても不安定なのは昔からなのでしょうか・・・・。森神信仰も盛んな土地です。なんでもありありです。


--山陰地方の陰の部分が最も色濃いのは西石見とも言えるような気がします。東石見や出雲の方は一貫した系統がありますしね。マリア様の奇跡もないですから(苦笑)。

あはは、あくまで私見ですよ(苦笑)。だから純粋な仏教徒(?)であるおいらは居心地が悪いのかもしれません。

ちなみですが、家が浄土宗ですけど、それ以外に個人的な信心はあっても神道でもないし、他の宗教に属してはおりません。誰が何を信じていようといいんですが、成りすましをやるのが嫌いなだけです。キリスト教徒が靖国神社を参拝してはダメでしょう。そうしたパフォーマンスを国会議員がやるのが気に食わないだけです。信仰上の理由で神社に参拝してはいけない仏教の宗派もあります。まあそこの方々は詣られてはいませんけど・・・・・。 

無信心で無宗教と言い張る、おいらもマジョリティの中の一人です。だから分け隔てなくいろんな宗教を信仰以外の理由で見聞出来る。そういう稀有な種族は日本人だけだと言います。まあ他国の方に信仰を訊かれたら、ブッデストと答えることにしていますけど(苦笑)。何も信じていないと言うと驚かれますよ。

UFOがいてもいいし、宇宙人がいてもいいし、天狗がいてもツチノコがいてもいいと思います。だから創作に限りなく近いと思いますが、記紀神話の神々もいてもいいと思います。宗教的なコスモポリタンです。と言いたいところですがISの信仰心だけは分かろうにも分かりません。先日も世界遺産であるパルミラ遺跡の柱に人質を縛りつけて爆破をしたと言います。ああいう考え方には歩み寄れません。理解しても役には立たないものは知恵にはなりませんしね。

イスラム教で有名な”目には目を 歯には歯を”と言うのは目をえぐられたら反撃や復讐は目までとするした掟です。その禁を破れば当然罰せられます。なんかそれを悪い例えのように感じてしまう日本人は少なくない。例えばなぜ人型の埴輪が作られたのか考えてみると良い。

風土が人を育てるところがあります。おいらは今でも田舎に馴染めない。ダメなんですね、この気質・・・。まあ私的な理由で悪さを繰り返す邪道な宗教家Nに比べたら、まだ地元の方が良いと思えますが、ああいう底なし沼のような人間を育てたのが実は風土ではなどと思いませんよ。ああいう魔的な人間は魔的な人間しか育てることは出来ないでしょう。おいらみたいに教えをくれない両親の元で本に育てられた訳じゃないでしょうから。

霊的干渉が起こり易い場所か・・・・・・。いい得て妙ですね(苦笑)。なんでもありです。

余談ですが、前に読んだ本の中で、そもそも藩という領地を示す言葉はなかったとありました。廃藩置県を行う際に短期間採用された領地のことを藩と言ったみたいです。間違っていたらごめんなさい。

ああダルさ1200%。

※バテレン禁止令など書いてました。キリシタン禁制ですね。すみません。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿