たぶんこの150年は天皇が天皇として機能した時代だったと思うけど、中世から江戸時代まで、天皇の姿はどんなものだったのか、本当の歴史観を知りたいなぁ・・。
昨日BSで家康は二度死んだなど、影武者説を見ていたんだけど・・・ふいに思ったんだ。
家康は駿府に帰り、江戸で幕府を開く。京都には御所を塞ぐように二条城がある。
もうこの時点で江戸に遷都したようなモノだったんじゃないんだろうか。だって天皇家に権威があり権力が集中していた時代ならば京都付近に将軍は在中してんじゃないかと思うんだ。いつ裏切られるか分からないもん。
それに家康は神になろうとしてる。もちろん日本の歴史上、天皇すら神になったことはないけど、何故に神になろうとする家康を止めることさえ出来ないんだ・・・。
おいらね、霊能力者、超能力者が古事記や日本書紀の神話を持ち出して語る時点で、語るに落ちたと思うんだ。少なくとも正史とさせる日本書紀ですら一般人には知られていない書物だったし、古事記も偽書されていた。古事記が正史のような扱いになったのは江戸中期だ。
戦前は古事記を史実として教育現場に持ち込まれ、神話が歴史的事実だとそういう指導をしていた。中国や韓国の反日教育を日本人はバカにするけど72年よりも前は神話を現実に起こったことだと教えていたんだよ。
それはすべて天皇家の敬意づけのため。いや社会統治のためかなぁ?
キリスト教を持ち込んだのはザビエルと言われているけど、日本に仏教が伝来した時に景教という原始キリスト教が日本に持ち込まれてる。それは言われてるように秦氏が持ち込んだのかも知れないけど、その時からすでに現代人が「神道」と呼ぶものはすでに習合していて、神道ではないということなんだろうと思う。景教は仏教(仏法)の一つの流派として伝来してる。
別に秦氏がユダヤ人で、ユダヤ人である秦氏がネストリウス派(景教)の教義として中国に齎されたものを信仰していることが少しも不思議ではないんだけど。
そう考えるとすでに記紀神話が掛かれた時代には仏教が伝来し、その中に景教の教義も含まれているのだから、神話に類似性があっても全然不思議ではない。日本という国は中国の文化を習い基礎を整えたモノしかないのだから、日ユ道祖論などあって当たり前のことでしかないように思うんだ。
なのにいまだにオカルトの範疇に置かれてる。
現に京都御所の敷地内に白雲神社という景教の寺院があるではないか。何を今更って感じなんだよね。
ただ秦氏は一神教に相反する多神教の日本の宗教観になぜに介入せずにいたのかが不思議である。逆に多神教世界に改宗していったんだろうか。
おいらは縁あって太秦の広隆寺にある国宝第一号の弥勒菩薩をこの上なく愛している。だから何度もこの地を訪れているし、三柱鳥居の蚕の社も何度も行った。それが物語るのは神道ではない世界観なんだけど、それも神道や仏教の一部なのだと肯定してしまうと何だか安心する。
今の神道は国家が形成した新宗教であって、古神道やそれ以前の原始神道とは明らかに違う。求めたモノと違ったから、神社神道を諦めることにした。
偽物を受け入れても意味がない。こういう飛んだカラクリを信じたのが幕末の志士たち。平田篤胤が興したファンタジー溢れる神学を新しい学問として取り入れた。黄泉の神が死者を救済すると考えるのは、どっぷり仏教の思想と教義に漬かっているからこその発想なんだけどね。それも気が付かずに飛びついた。
正確には「志士」と呼んでいいのは萩市の松下村塾で学んだものを言う。だからそれ以外の志士は偽物ということになるのかなぁ。そういうことすらキチンと教えてはくれない。
昔、神社好きを公言していたら右翼と思われたことがある。右翼って真実を認めないから嫌いなんだけど、あんな奴らと同じもんを信じられるかって気持ちにもなる。
蛇が脱皮することを目撃し、人はその姿に転生を見つけた。それは世界各地で目撃され起こったことだろう。だからその普遍性に対して聖なる不死性を例えようとした。命よりも大切なモノがなかったからだろう。昔は簡単に病や疫病で人は死んでる。不思議だっだろう。命はどこからきてどこへ行くのか・・・。この普遍的なテーマは今も変わらない。
でも天皇の存在や意義は本当に普遍なモノだったのかなぁ。別に明治天皇入れ替わり説もどうでもいい。その後の長州の天下を見ればひどくわかり易いから。おいらが知りたいのは戦国時代から江戸時代後期までの本当の天皇家の事。
今でも天皇家を神職の祖と言うけど、ある時代から天皇家は仏教の熱狂的な信者となり、常人と同じように死後の救済を求めだす。それは神道では救われないことを認めていたからだと思う。天皇家もある時期に神を諦めてる。
だから明治時代に大嘗祭をやろうとしたときに宮中にはその儀式すら知るものはいなかったんだって笑。
だから細々と神事を続けてきた物部神道系から拝借した。物部神道の復古は古神道の復古ではあるから、物部系の神社や神事だけは個人的に尊重してる。それ以外は大社、神宮クラスでも信用が出来ない。
天皇と神話を包括するのはいいけど、天皇と神話と神道を包括するのは別の問題じゃないのかと。
別に今生天皇が手を掲げても神がかり的な奇跡は起こらないからね。
神に何を思うのかも人それぞれ。
江戸時代に入っても天皇家が温存されたのは、天皇家が頓死すると怨霊になって禍いを呼ぶという、その祟り性の血筋にあったんじゃないのかと思う。本当に錦の御旗に恐れ成したのか知らないけど、それが事実なら天皇家は祟るということを武士は恐れていたことになる。
科学的じゃないね。
さすが呪術的国家。
いたるところに呪術が施されてる。道祖伸は結界を意味し、また道しるべでもあった。
おいらには道しるべがない。
だから本当のことを知りたい。
昨日BSで家康は二度死んだなど、影武者説を見ていたんだけど・・・ふいに思ったんだ。
家康は駿府に帰り、江戸で幕府を開く。京都には御所を塞ぐように二条城がある。
もうこの時点で江戸に遷都したようなモノだったんじゃないんだろうか。だって天皇家に権威があり権力が集中していた時代ならば京都付近に将軍は在中してんじゃないかと思うんだ。いつ裏切られるか分からないもん。
それに家康は神になろうとしてる。もちろん日本の歴史上、天皇すら神になったことはないけど、何故に神になろうとする家康を止めることさえ出来ないんだ・・・。
おいらね、霊能力者、超能力者が古事記や日本書紀の神話を持ち出して語る時点で、語るに落ちたと思うんだ。少なくとも正史とさせる日本書紀ですら一般人には知られていない書物だったし、古事記も偽書されていた。古事記が正史のような扱いになったのは江戸中期だ。
戦前は古事記を史実として教育現場に持ち込まれ、神話が歴史的事実だとそういう指導をしていた。中国や韓国の反日教育を日本人はバカにするけど72年よりも前は神話を現実に起こったことだと教えていたんだよ。
それはすべて天皇家の敬意づけのため。いや社会統治のためかなぁ?
キリスト教を持ち込んだのはザビエルと言われているけど、日本に仏教が伝来した時に景教という原始キリスト教が日本に持ち込まれてる。それは言われてるように秦氏が持ち込んだのかも知れないけど、その時からすでに現代人が「神道」と呼ぶものはすでに習合していて、神道ではないということなんだろうと思う。景教は仏教(仏法)の一つの流派として伝来してる。
別に秦氏がユダヤ人で、ユダヤ人である秦氏がネストリウス派(景教)の教義として中国に齎されたものを信仰していることが少しも不思議ではないんだけど。
そう考えるとすでに記紀神話が掛かれた時代には仏教が伝来し、その中に景教の教義も含まれているのだから、神話に類似性があっても全然不思議ではない。日本という国は中国の文化を習い基礎を整えたモノしかないのだから、日ユ道祖論などあって当たり前のことでしかないように思うんだ。
なのにいまだにオカルトの範疇に置かれてる。
現に京都御所の敷地内に白雲神社という景教の寺院があるではないか。何を今更って感じなんだよね。
ただ秦氏は一神教に相反する多神教の日本の宗教観になぜに介入せずにいたのかが不思議である。逆に多神教世界に改宗していったんだろうか。
おいらは縁あって太秦の広隆寺にある国宝第一号の弥勒菩薩をこの上なく愛している。だから何度もこの地を訪れているし、三柱鳥居の蚕の社も何度も行った。それが物語るのは神道ではない世界観なんだけど、それも神道や仏教の一部なのだと肯定してしまうと何だか安心する。
今の神道は国家が形成した新宗教であって、古神道やそれ以前の原始神道とは明らかに違う。求めたモノと違ったから、神社神道を諦めることにした。
偽物を受け入れても意味がない。こういう飛んだカラクリを信じたのが幕末の志士たち。平田篤胤が興したファンタジー溢れる神学を新しい学問として取り入れた。黄泉の神が死者を救済すると考えるのは、どっぷり仏教の思想と教義に漬かっているからこその発想なんだけどね。それも気が付かずに飛びついた。
正確には「志士」と呼んでいいのは萩市の松下村塾で学んだものを言う。だからそれ以外の志士は偽物ということになるのかなぁ。そういうことすらキチンと教えてはくれない。
昔、神社好きを公言していたら右翼と思われたことがある。右翼って真実を認めないから嫌いなんだけど、あんな奴らと同じもんを信じられるかって気持ちにもなる。
蛇が脱皮することを目撃し、人はその姿に転生を見つけた。それは世界各地で目撃され起こったことだろう。だからその普遍性に対して聖なる不死性を例えようとした。命よりも大切なモノがなかったからだろう。昔は簡単に病や疫病で人は死んでる。不思議だっだろう。命はどこからきてどこへ行くのか・・・。この普遍的なテーマは今も変わらない。
でも天皇の存在や意義は本当に普遍なモノだったのかなぁ。別に明治天皇入れ替わり説もどうでもいい。その後の長州の天下を見ればひどくわかり易いから。おいらが知りたいのは戦国時代から江戸時代後期までの本当の天皇家の事。
今でも天皇家を神職の祖と言うけど、ある時代から天皇家は仏教の熱狂的な信者となり、常人と同じように死後の救済を求めだす。それは神道では救われないことを認めていたからだと思う。天皇家もある時期に神を諦めてる。
だから明治時代に大嘗祭をやろうとしたときに宮中にはその儀式すら知るものはいなかったんだって笑。
だから細々と神事を続けてきた物部神道系から拝借した。物部神道の復古は古神道の復古ではあるから、物部系の神社や神事だけは個人的に尊重してる。それ以外は大社、神宮クラスでも信用が出来ない。
天皇と神話を包括するのはいいけど、天皇と神話と神道を包括するのは別の問題じゃないのかと。
別に今生天皇が手を掲げても神がかり的な奇跡は起こらないからね。
神に何を思うのかも人それぞれ。
江戸時代に入っても天皇家が温存されたのは、天皇家が頓死すると怨霊になって禍いを呼ぶという、その祟り性の血筋にあったんじゃないのかと思う。本当に錦の御旗に恐れ成したのか知らないけど、それが事実なら天皇家は祟るということを武士は恐れていたことになる。
科学的じゃないね。
さすが呪術的国家。
いたるところに呪術が施されてる。道祖伸は結界を意味し、また道しるべでもあった。
おいらには道しるべがない。
だから本当のことを知りたい。
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