空に問う。

空に問うても果てがない

遺書を書こう

2015-07-23 13:10:37 | 日記
・・・結局、神さんに頼っても最終的に空海(弥勒菩薩)に戻ったように、一蹴したりただ遠回りしたり、何かを得られたわけじゃないことに気付く。今回もいつも通りに「自分を追い込む」方法論を取ったけど、もう若くないことに気付く。

人生は何度でもやり直しはきく。でも一人で何回もやり直しても同じ。孤独が増し絶望するだけ・・・・・。

この閉塞感が「呪い」なら本当にこれは呪いだ。ちょっとずつ前進してるようで、いつの間にか後退させられている。簡単なモノではないのだ。

元々、おいらは種としては弱いのだろう。幼いころから、生きることに疲れていたし、16歳で殺されかけてからは、希望に満ちた朝も、一日もやって来なかった。なんとか器用にみんなに紛れて生きること、そう言う気持ちがバレないように普通に暮らすことを考えていた。みんなと違う疎外感。20の頃にはもう希望や望みはなかった・・・・。

野生動物なら、もう死んでる。野生動物なら、呪いなんて言わないだろう。

まあ、人生を変えたり道を誤らせたり、それこそ呪いなんて無数にある。儀式や祈祷でなくても、人を羨む気持ち、憎しみ、そういうのに満ちている。だからそう言うモノが集まって、たまたま自分の近くで出現しても不思議ではない。けど、偶然にしては多すぎる。

東南の角に納屋を作ってから、本格的にオヤジの人生が崩れ、おいらの人生が壊れた。おいらは確か24歳だった。その時も死にきれなかった。勇気と言えばおかしいけど、勇気がないから死ねなかった。その当時にはすでに呪う神主の一族の計略にハマっていたな。16の頃にはすでに禁止されてるはずのいにしえの呪詛を仕掛けられていたんだろう。その時は父親、今回は兄。邪な神主は存在するのだ。M田市に訪れる際は気をつけられたし。そういう邪悪な神主が堂々と責任者をやってる店がある。そこでは氏名、住所、生年月日を訊かれるから、ちょっとでも怒らせるともれなく呪われます(笑)。

遺書を書いておこう。
たぶんおいらが死んでしまうときは、おいらがおいらという個から逃げ出したいときだ。家族の誰のせいでもない。

そう死ぬ気があればなんだって出来る。でもそれがただの詭弁だって知ってる・・・・・・。自分を誤魔化す言葉や励ます言葉がなくなった時、おいらという個は消失するのだ。

月並みだけど、寂しいのかな?誰かのためにって言う、大義名分が欲しいのかな?必要にされていたいと思いたいのかな?思えないのかな?

呪いでも祟りでもいい。ただ終わりが欲しい。

本当の終わりが欲しい。

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