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平和について

2020-08-06 11:34:00 | 日記
1945・8・6・8:15
此の数字の、悪夢を、この世の地獄絵図の風景を、覚えて居る者は、どれだけ居るのだろうか
ある者は、生きたまま、業火にその身を焼かれ、またある者は、家屋の、下敷きになった、あの日あの時、目の前にあった筈の、当たり前の、何でもない言葉何気ない幸せが、何も罪はないのに、理不尽に、奪われた、此の怒り此の憎しみ此の悲しみ、想像に難くないだろう。
業火が消えた、後も、地獄は終わらなかった、『放射能汚染』である、病院に担ぎ込まれた、殆どは、手遅れで、疑獄の苦しみから、皆一様に、とどめを、懇願したらしい、医者達は、自分の無力差を、どれだけ嘆いたのだろうか
あの日あの時の、瞬間から、復興を、考え始めるだけで、10年以上かかったらしい、それだけ、原爆の傷跡は、重いものだっただろう、風評被害に、広島差別、だが、広島県は、ヘコタレなかった、いつか幸せだった、取り戻す為、此の悲劇を、忘れないで、繰り返させないために、声を上げて、原爆廃絶訴えて居る
自分は、好奇心から、広島原爆について、調べてみた、真実については、定かでは無いが、参考の為、書いておく
原爆の名前は、「リトルボーイ」意味としては、チビとのことだ、因みに、長崎原爆は、「ファットマン」意味は、太っちょだそうだ、話を戻すが、原爆落とした、飛行機は、『Bー29エノラ・ゲイ』機長であり、原爆投下の最高責任者が、ポール・ティベッツ氏で有る、当時は12の搭乗員が居たそうだが、機長以外の、隊員は、全員放射能に被爆死したそうだ、広島からすれば、当然の報いと言った所だろう・そもそも、なぜ、日本原爆投下したのか、長崎に落としたにも関わらず、何故なのか、理由がある、本来なら、アメリカと、敵対していた、ドイツに落とすはずだったヒトラー政権で、ユダヤ迫害が、酷かった。ドイツは、スパイで、原爆投下を、知り先に降伏して、難を逃れたので有る、だが、当時の、アメリカには、原爆を、作る技術力は、有っても、安全に、破壊する技術は、無かったのである、そこで、要らなくなった、ゴミ処理候補として、選ばれたのが、敵対関係だった、日本だったと言うわけで有る、人の国で、ゴミ処理とは、良い身分で有る、そして、歴史が、代わって、日本が降伏して、昭和天皇が、ポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争の、無条件降伏を告げる、終戦詔書を、朗読され、ラジオで、流された、いわゆる、『玉音放送』で有る此の放送に関しては、放送を、止めるために、テロ事件が、有ったらしいそして、放送の、音源は、宮内庁あるそなので、尋ねて欲しい、
そして、日本の降伏から、マッカーサーが、来日して、日本国憲法の、設立を、指導したのである、日本は、アメリカに占領されると思い込んでいたので、大変驚いたそうだ、そして、戦争の焼け野原から、復興して、経済発展を、成し遂げって今の、日本があるのである、
今の、令和の時代を、生きる若者達は、今の時代が、昭和の、戦争時代の、犠牲の上に、成り立っている事を、考えてほし例年であれば、その一環として、日本武道館で、『全国戦没者追悼式』があるのだが、コロナの影響で、規模を縮小するそうだ残念だが仕方が無い
原爆投下の飛行機は、修復され、忘れてわいけない、歴史の遺物として、アメリカは、ワシントンの、バージニア州の、スミソニアン航空宇宙博物館に展示されて居るので、興味があれば、尋ねて欲しい
ポール・ティベッツ氏
出生 1915年2月23日  イリノイ州クインシー

死没 2007年11月1日  オハイオ州コロンバス「92歳没」

所属組織   アメリカ陸軍航空隊
       アメリカ空軍
軍歴     1937〜1966

最終階級   大佐「陸軍」
       准将「空軍」

除隊後    ジェット・アヴィエーション社長