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入鹿池のワカサギ釣り 

2024-11-18 14:46:19 | 日記
ぼちぼちと子どもの頃の魚釣りの思い出を書いています。まだ小学生だった頃私は友人と明治村裏手にある入鹿池に友人とワカサギ釣りに出かけておりました。今よりも釣りの道具には小学生ながらこだわり、釣具屋さんで穂先の材料を求めワカサギ竿を自作して出かけておりました。ガイドを糸?で縛り竿元に柄とリールの金具を取り付け自作ワカサギ竿の完成です。エサは赤虫もしくは食紅で染めたサシである。大根の切り口にエサを乗せ針を刺していく。小学生の時代にこんなことをしていた。釣りの好きな友人と二人で遠出をしていました。車でひょいと行けるところではない。免許ももちろんない。名鉄?を使ってあとは徒歩である。
入鹿池のほとりにある茶屋で手漕ぎのボートを借りポイントを教えてもらって出船である。ワカサギ釣りはポイントとタナが釣れるか釣れないかの分かれ目である。自作の釣り竿を用意しても釣れないものは釣れない。入鹿池に遠征したという記憶はあるが、残念ながらワカサギがたくさん釣れたという記憶は全くない。



鍋田川のカレイ釣り

2024-11-16 11:37:19 | 日記
とてつもなく久しぶりの投稿です。親父に連れられてよくいった鍋田川の河口のカレイ釣りを思い出して書いてみよう。自分が小学生くらいだったと思う。
親父によくカレイ釣りに連れていってもらった。記憶に残っているということは「よく釣れた」記憶が残っているからだろう。今はハゼ釣りの乗り合いが出る水門あたりから親父は、地元の漁師さんが使っていない和船を借り、手漕ぎで水門から出船していた。どうゆう訳で和船が借りられたか今となっては知る由もない。和船は、いわゆる木製の船でオールで漕ぐタイプではない。櫓をこいで進むタイプである。親父は鵜飼い船を操作する船頭さんのように櫓を上手に扱い漕いでいた。私と言えば、船から落っこちないように静かに座っているだけである。川幅はそんなに広くなかった。船溜まりの水門から木曽川に合流するまでの川だったように思う。その途中の汽水域でコンクリーの重しをアンカーにして釣りのスタートである。なぜかその頃は素人の私でも面白いようにカレイが釣れた。今風に言えばルアーロッドであるが、短い継ぎ目のない一本竿に安物のリールをつけ「カタカタカタ」とリールの音をさせながら天秤を少しづつ引いて誘いを入れるとカレイが本当によく釣れた。子どもの頃の懐かしい親父との思い出である。
そうそう前回投稿した集魚灯は「アーク」ではなく「アセチレンガス」に灯をともしての釣りで記憶違いでありました。



高潮防長提でアーク灯?で集魚して

2024-07-09 11:34:53 | 日記
名古屋の高潮防長提の夜釣りのお話から随分時間が流れてしまった。まあ、自分を振り返って書いているブログだからマイペースでいいのかなと勝手に自己弁護というか言い訳です。過去のお話を振り返る年齢になりました。歳を重ねると昔話のように子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきます。楽しかった事、辛かったことも。けどお昼に食べたものや、「昨日の午前中何やっとったけー。」とか、「さっきまでかけていた眼鏡どこやったけー。」といったことも日常のようになってきます。「まあこんなもんかな。」と思いながら過ごしております。だれか特定の人にに向けての発信ではないので気楽なものです。前置きが長くなりました。久しぶりのブログの更新です。今日は名古屋の知多提内側での夜釣りのお話を書こうかなと思います。やはり子どもの頃、親父と産業道路を南下して高潮防長提によく夜釣りに行っていました。今は海面をLEDのライトで照らして集魚灯にしますが、当時はアーク灯?というライト代わりのものがありまして、レンチン?にお水を垂らすとガスが発生します。それにマッチで火をともして海面すれすれまで下ろして集魚をします。すると小サバや小アジが寄ってくるわけであります。ランタンに火を灯すことにワクワクした記憶が蘇ってきました。次回は鍋田川のカレイ釣りの思い出を書こうかな。

名古屋港高潮防長堤 夜釣りの思い出

2024-04-08 10:57:50 | 日記
 親父とよく釣りに出かけていた。今回紹介する名古屋港の夜釣りにもよく連れて行ってもらった。今は立ち入り禁止になっているのかな?
海に向かって知多提、中央提、鍋田提と船舶の航路によって分けられた3つ堤防がある。今もそれは変わらないかな。陸続きの知多提が親父のホームグランドだった。スバルサンバーの小さなワゴン車に乗り夕方から父と出かけていた。知多提に繋がる基部にはテント張りのラーメン屋があった。釣れても釣れなくても、たまに食べるラーメンは子ども心に格別の味であった。
親父はこの高潮防長提の幅50~60センチの上を歩きながら堤防のへチをカニのエサで探っていた。いわゆる落とし込みのクロダイ釣りである。釣れることもツルツル坊主の日もあった。よく釣れたという記憶より釣れないことの方が多かったように思う。
親父にならって堤防に寝そべって上からたらし込んでいると、後にも先にも一度だけ、クロダイいやサイズ的にはチンタを釣ったことが懐かしい思い出である。堤防の上からと言ってもそこは高潮防長提 外側の海面からは4~5メーターあったと思う。よくぞそんな幅の狭くて落ちたら命の危険があるところで釣りをしていたものだ。ちょっと前は堤防上に上る階段もなく堤防を支えるコンクリートをはいあがって上っていた。夏の夜釣りにはつきものの天候の急変
遠くに雷雲、雷鳴を聞くこともあった。ピカッゴロゴロゴロとまだ小さな雷鳴であったが、雷鳴がするとそれは「帰るぞ!」の知らせでもある。懐かしい夜釣りの思い出である。次回は集魚灯を照らしながらの夜釣りを紹介しますね。




釣り堀の思い出

2024-04-06 13:40:21 | 日記
自己紹介を続けます。今日は私の釣りの歴史についてお話しますね。歴史というようなたいそうなものではありませんが。入口はやはり親父の影響でしょうね。私の親父は子どもをダシによく釣りに出かけていました。今は少なくなりましたが、親父と一緒によく「釣り堀」に行きました。プールのような野池が4つほどあり、右側3つがヘラブナ釣り場一番左側が鯉の釣り場だったかな。細かく切ったうどんに集魚剤を振りかけたものがエサっだったかな。連れた魚をビクにため帰る時、量りで計量して買い上げしてもらうシステムでした。もちろん針は魚を傷めないよう返しのないスレ針です。こうしてブログを書いていると幼いころの記憶が鮮明に蘇ってきます。昼飯はどんぶりの五目めしが定番でした。すぐ池の脇に瀬戸線の線路があり、列車が通るたびに「ガタンゴトン、ガタンゴトン、スー」といった音の響きまで蘇ってきました。五目飯というと今はスガキヤの五目ご飯を思い出しますが、釣り堀屋さん提供の「五目めし」です。お昼を食べる時は今も昔も変わりません。棒ウキがピクリともしない釣れないい時合になります。楽しい思い出です。高潮防長堤(知多提)の夜釣りのお話を綴りますね。