ゲーテ

2009年12月20日 00時50分41秒 | 日記
日曜日



13;30~本部幹部会(衛星放映)尼崎平和文化会館に参加。
「ゲーテ」を論じながらの指導。
明日の聖教新聞が楽しみ。
心に刻むべし。



ゲーテ
1749年8月28日 - 1832年3月22日)は
ドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。



休暇にゲーテは「励ましの旅」へ

ゲーテの旅の工ピソードを、少々、ご紹介したい。それは一七七七年の冬のことである。二十八歳の若さで、すでに国家の中枢の仕事を担い、多忙を極めていた大詩人ゲーテは、久方ぶりに、休暇で自分の時間をとることができた。
君主たちは、廷臣と狩りに出かけた。今でいえば、高級なレジャーと言えよう。
しかしゲーテは、静養や娯楽などには目もくれず、悩める一人の若者に会って励ますために、決然と旅に出たのである。



じつは、その青年は、手紙で何度もゲーテに悩みを訴えてきていた。人間への深刻な不信や憎悪に悩み、人生を絶望している青年。時間ができたら、彼と直接、会って話し、立ち直らせたい ― 
ゲーテは、そう心に期していたのである。行き先は、ドイツ中部のハールツ山脈の近くの町。ワイマールから遠い道のりであった。
道すがら、雹まで降ってきた。しかし、「一人の人間のために!」。若きゲーテの歩みは誇り高かった。ゲーテは真心を込めて青年と語り合った。
しかし、残念ながら、青年の頑なな、閉ざされた心には、ゲーテの励ましやアドバイスも、受け入れられなかったようである。



ゲーテはその後、青年のための祈りを、詩にこめて残している。

「愛の父よ、おんみの竪琴に
 彼の耳に聞える音が
 ひとつなりとあるならば、それをかき鳴らし
 彼の心を慰めたまえ。
 その曇れる目を晴らし、
 沙漠にありて
 渇ける者の傍らに
 千の泉湧き出ずることに気づかせたまえ」
 (『ゲーテ―その生涯と作品』高橋義孝・佐藤正樹訳、岩波書店)



はるばる足を運んだゲーテの激励行は、徒労に終わったかのように見えた。しかし、この励ましの旅は、二百年の時を経た今もなお、『冬のハールツの旅』として歌いつがれ、世界の良識の人々を励まし続けている。アフリカで医療に尽くした有名なシュヴァイツァー博士も、この『冬のハールツの旅』から、自らを励ます力を得ていた一人である。  
池田先生のスピーチより




開目抄上 /文永九年(1272)二月 五十一歳御作 与門下一同 於佐渡塚原



季札といひし者は心のやくそくを・たがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく・王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ・公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る・此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、



四大声聞の領解の文に云く
「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に阿羅漢なり諸の世間天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし、世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教化して我等を利益し給う、無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん手足をもつて供給し頭頂をもつて礼敬し一切をもつて供養すとも皆報ずること能わじ、若しは以て頂戴し両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽して恭敬し又美膳・無量の宝衣及び諸の臥具・種種の湯薬を以てし、牛頭栴檀及び諸の珍宝を以て塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如き等の事を以用て供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云。



今諸の大声聞は本と外道・婆羅門の家より出でたり、
又諸の外道の長者なりしかば
諸王に帰依せられ諸檀那にたつとまる、
或は種姓・高貴の人もあり或は富福・充満のやからもあり、
而るに彼彼の栄官等をうちすて慢心の幢を倒して
俗服を脱ぎ壊色の糞衣を身にまとひ
白払・弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり
貧人・乞丐なんどの・ごとくして世尊につき奉り
風雨を防ぐ宅もなく
身命をつぐ衣食乏少なりし・ありさまなるに・・・









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