法華経

2009年12月19日 01時39分56秒 | 日記
土曜日




開目抄上 /文永九年(1272)二月 五十一歳御作 与門下一同 於佐渡塚原



夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、



在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし、



像法の中には天台一人法華経・一切経をよめり、南北これをあだみしかども陳隋・二代の聖主・眼前に是非を明めしかば敵ついに尽きぬ、



像の末に伝教一人・法華経一切経を仏説のごとく読み給へり、南都・七大寺蜂起せしかども桓武・乃至嵯峨等の賢主・我と明らめ給いしかば又事なし、



今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに非理を前として濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・をよばんと・するなり。



されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、



「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」









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