フランスの文豪デュマ・『巌窟王』『三銃士』

2009年11月25日 00時48分22秒 | 日記
水曜日



「若くさえあれば」-どんな時代も「よい時代」になると、デュマは綴った (鈴木力衛訳『ダルタニャン物語』第11巻、ブッキング)。青年のバネを深く信じていたのだ。

「待て、しかして希望せよ!」とは『モンテ・クリスト伯』の結びの名句である(山内義雄訳、第7巻)。





『モンテ・クリスト伯』には、こうある。

「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げかえしてやるものです」(山内義雄訳、第5巻)

青年ならば、運命に泣き寝入りなどしてはならない。応戦である。反撃である。仇討ちである。この執念こそ、宿命を制覇する力なのだ。



デュマは「新聞小説の王者」と呼ばれた。連載小説を、次々と新聞に発表し、国民の圧倒的な人気を博したからだ。





『三銃士』を愛読する人々は、新聞の到着時間が近づくと、一団となって郵便配達員や運搬業者を迎えに行った。

1830年代以降、フランスの各紙は、何とか発行部数を拡大できないか、定期購読者を増やせないものかと、思案を重ねた。智慧の結晶として誕正したのが、波澗万丈の連載小説だったのである。



まさに、大いなる「新聞革命」であった。

日本でも、 明治のジャーナリスト黒岩涙香が創刊した新聞「万朗報」に、『モンテ・クリスト伯』を自ら翻案した『巌窟王』を連載し、一世を風靡した歴史が知られる。



「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども
仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり」
(御書988P)
この御境涯に連なる永遠の福徳の大長者こそ、
創価の友なのである。



戸田先生がお好きであられた『巌窟王』や『三銃士』などで
有名なフランスの文豪デュマの小説に、こうある。





「いつも勇敢に振る舞うと、どれほど威厳が出てくるか、
よく目にとめておくがいい」
(鈴木力衛訳『ダルタニャン物語第4巻』ブッキング)





″臆病は恥なり″との快男児の心意気を示した一言である。



威厳とは、人徳であり、生命の力であり、
勝利のための力でもあろう。きょう集い
合った男子部の諸君の中からも、必ずや
この力が出てくると私は思う。



さらにデュマの言(げん)。
「裏切ったという永遠の恥辱はかれらの上に落ちるのだ」(同)
 
その通りだ。
ましてや仏法の因果は厳しい。自らの信念を裏切り、
同志の信望を裏切った人間の末路は哀れだ。皆様が
よく知っている通りである。



戸田先生はおっしゃった。
「戦っているような格好をしていても、戦っていない人間は、
すぐわかる。十人前の信心の戦いをせよ」

大きな責任を担う幹部への戒めとして、心すべき指導である。
本部幹部会(衛星放映)より抜粋(聖教新聞)







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