通教生

2010年01月30日 22時18分06秒 | 日記
土曜日


生傷が絶えません。
7ヶ月、腕白になって来た
孫の―画像―です。


グアム

竹久夢二画伯

発明家・磯崎眠亀(みんき) 

朝、3℃
5:15~
マクドナルドでコーヒー
スピーチ読む。
「青年のページ」、「声の欄」、
「名字の言」等に、目をとうす。

「声の欄」に
山陽新聞・1/12日付に先生の寄稿文の紹介。
タイトルは
「若き世代に希望、勇気を」
検索して、読んでみたい!。

抜粋
「近代日本に文化の新風を起こした竹久夢二画伯は、
岡山県の出身である。
オーストリアなど欧州と芸術交流を広げ、
ナチスの迫害からユダヤ人の人々を救う活動に
勇敢に奔走したという。

百年前の元日、夢二青年は日記に書き綴った。
『新しき時代の青年は勇ましく』と。
勇気で新時代を建設せんとの心である。
 
今秋には、国民文化祭も岡山で盛大に開催される。
仏法では『わが心に大宮殿あり』と説かれる。
『晴れの国』岡山の若き世代の心に、
希望と勇気の大宮殿が輝きゆくことを祈りたい。」

昼、冬の風が吹く、10℃

16:10~
マクドナルドでコーヒー
再度、スピーチを読む。
『成し遂げてみせる!との自覚』で取り組むべし。

婦人部3人とバッタリ。グルグル廻ってる。

43号線を渡り、メモ2件、ポストへ。

大楠公の歌

小説「新・人間革命」
 1月30日

山本伸一のメッセージは続いた。

 「人間の完成よりも知識が、知識よりも学歴、資格が優先され、教育目的の逆転現象を呈している今日の大学にあって、人間の道を究めんとする皆さんの存在は、教育のあるべき姿を世に問うものと確信してやみません」
 伸一の通教生に対する期待は、限りなく大きかった。彼は、そこに、真実の人間教育の道を見ていたのである。

 さらに、通信教育で学業を全うすることの困難さを語った。この当時、入学者に対する卒業生の割合は、一割にも及ばなかった。しかも、卒業までには、五、六年を費やすのが普通であった。
 だからこそ、伸一は、祈るような思いで訴えていった。
 「学識を深める道は、日々の粘り強い研鑽の積み重ねのなかにのみあることを銘記していただきたいのであります。仕事や家庭の事情等、さまざまな問題に直面するでありましょうが、五年かかろうが、十年かかろうが、断じて初志を貫き、全員が卒業の栄冠を勝ち得ていただきたいのであります」

 卒業は、一つの結果にすぎないかもしれない。しかし、その目標の踏破のなかに、人間完成への確かなる歩みがある。一歩一歩の前進なくして、栄光への走破はない。
 そして彼は、通教生は、一人も漏れなく、人生の勝者になってほしいと、強く、強く、念じながら、こう呼びかけたのである。
 「まずもって向学の走者は、自己を制覇し、試練の障壁に信念のバネで挑み、生涯の自己錬磨の飛躍台にされんことを念願するものであります。

 人間の真価は、ひとたび険難の峰にさしかかった時に、初めて明らかになるといわれております。前途に立ちはだかる困難をもって、挫折を自己正当化する手だてとするか、成長への好機と意義づけて進んでいくかで、将来の行路を決定づけてしまうといっても過言ではない。その選択は、ほかならぬ自己自身の腕にあるのであります」

報恩抄

像法(ぞうほう)に入つて五百年・
仏滅後・一千五百年と申せし時
漢土に一人の智人あり始は智(ちぎ)・後には智者大師とがうす、
法華経の義をありのままに弘通せんと思い給しに
天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども
詮(せん)して十流となりぬ
所謂(いわゆる)南三北七なり
298ページ


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