無飛車流のすすめ

将棋のことをつぶやきます。

厨二病の恥ずかしい過去

2024-05-27 12:43:00 | 日記
 もともとは父から教えられた将棋でした。ネット将棋などなかった時代です。父も自分の対局相手が欲しかったのかもしれません。しかし私に勝てないようになると、父は私との対局を避けるようになりました。
 私が、父の代わりに対局するようになったのが祖父です。祖父は段違いに強かったです。祖父は私を鍛えるために、ある指令を出しました。新聞の将棋欄を見て勉強しなさいというのです。
 私は言われた通り、将棋欄を見るようになりました。しかし祖父の思いとは全く違う方向に進んでいってしまいます。私が見ていた新聞の将棋欄は、だいたい一週間くらいかけて、一局が掲載されていました。一局が6〜7つに分割されて、毎日少しずつ解説されていました。2日目くらいまでは、まだ戦いが始まらないので、両対局者の紹介に当てられていました。私にはそれを読むのがとても興味深く、楽しかったのです。肝心の棋譜には見向きもせず、つまり将棋そのものの勉強はせず、どんな棋士がいるのか、どんな棋戦があるのか、ということばかりをどんどん覚えていきました。
 そのうち、見るだけでは物足りなくなり、私はノートにいろんな棋戦のトーナメントやリーグの表を書き込むようになりました。異質だったのは、現実に行われている組み合わせを書いていたのではなかったことです。棋王戦に敗者復活戦があったり、王位戦が紅白のリーグに分かれていたりと、棋戦の名前やシステムはそのままでしたが、誰と誰が対局するかという組み合わせは自分で決めて、ノートに書き込んでいました。実在の棋士の名前を◯◯八段などと記入していたのです。
 そんなことをして何が楽しいのか?と聞かれても、今の私では答えることができません。ただ、当時の私はものすごく楽しかったのです。現実の将棋界とは別の、自分だけのもう一つの将棋界、いわゆるパラレルワールドをトーナメント表やリーグ表を作ることで展開させていったのです。
 組み合わせが決まると、結果を知りたくなるのが人情というもの。しかしどういうこだわりか、どちらが勝つかを私の気持ちで決めてはいけないと感じていました。
 そこで持ち出したのがサイコロ。サイコロ2つを振って、出た目が大きいほうを勝者にしました。棋士が心血を注いで指すその神聖な対局結果を、あろうことかサイコロで決めていたのです。何という冒涜か、謝罪のしようもありませんが、厨二病の恥ずかしい過去として、どうか広い心で見てやっていただきたいと思います。
 私は、サイコロの目でランダムに勝敗が決まってしまうのは味気なく思われ、どうにかしてサイコロの目に強さを反映できないかと頭をしぼりました。そしてサイコロ2つの目に段位の数字を足すことにしました。つまり九段と四段が対局した場合、九段に+5の追加点が与えられることにしたのです。
 ところが現実の将棋界では、四段が高段者を負かすこともよくありました。厳しい奨励会を抜けたばかりの新四段が強いのは当たり前で、言ってみれば大学受験を終えたばかりの若者に年配の人が勉強で太刀打ちできないのに似ているでしょう。
 そこで四段の棋士は、サイコロの目が1か2か3だった場合、もう一度サイコロを振って、全部の目を合計させることにしました。結果、四段は強くなりましたが、これには問題もあって、五段になるとそのルールが適用されなくなるので急に弱くなってしまうのでした。
 このように、なかなかうまい具合にいきませんでしたがその都度調整。タイトル保持者はタイトル一つにつき+2の補正を受けることにしていました。これは仮に五冠王がいた場合、+10という大きな追加点を受けるので誰も勝てなくなってしまい、後に、タイトル一つにつき+1に改めました。
 恥ずかしいといえば極めつけのものがあります。自分の頭の中だけの空想の世界。そこで行われているタイトル戦に、自分で観戦記を書いていたのです。
「⬜︎⬜︎九段は対局開始の30分前に入室し、盤の前でひとり、そっと目を閉じて瞑想した」などと、まるで見てきたかのようにその様子を綴っていました。こうして書いていても恥ずかしいかぎりです。
 厨二病とは中2病とも呼ばれ、中学2年生くらいの思春期の少年が、大人になって思い出すととても恥ずかしいようなことをしてしまうという現象のことを指します。


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