ざぁよす!あこ

重度障がいのあこと視線入力に取り組み始めたあことオバタリアンの記録

津波のこと

2018-12-03 12:28:21 | 日記
パソコンで書き込もうとして、ファイルを見ていたら、写真が出てきた。
あの頃のことを思い出してしまった。

東日本大震災が起きた一か月前 2月2日
私はお父ちゃんとあこと先代犬ラムと山田町の実家へ行った。
弟に母の車の冬タイヤを頼まれ、持って行った。

国道45線から見える山田湾
湾になっているので湖のように穏やか
水面がキラキラしている。




中央にはオランダ島と小島




オランダ島 由来 支援


私が今住む奥州市は岩手県の内陸で南側
そこから沿岸の中央部山田町までは車で2時間半かかる。
遠野を通り、仙人峠を超え釜石に出たら、国道45号線を北へ
国道45線に出ると、空気が一変する。潮の香り。

実家は震災以前に火事になり、作業場の2階を改築して母とばあやんと、弟の彼女(現在の奥さん)が住んでいた。
おばあやんは寝たきりになってしまい、ベット生活。

「よぐ来たぁなぁ。」

あこをばあやんの足元に寝かせ
ばあやんと歌っこを歌い
束の間の

ばあやんの好きな歌
「十九の春」朝崎郁恵





ばあやん、津波で天国に逝った。

数日前の地震の時は、避難したの。
福祉の人が来て2階から降ろして避難所まで避難したの。
でも、3月11日は誰も助けにきてくれなかった。
それぞれ、みんなが自分が助かるのでいっ

しょうがない。
母が覚悟を決めて、ばあやんのそばにいました。

家は国道45線を隔ててすぐ海
その海が盛り上がるのを見ながら


母、すごいです。
私の母はすごいです。
ばあやんは逝ってしまったけれど、
あの津波の洗濯機のようになった中で、生きました。
ちゃんとばあやんの最後を看取りました。


津波後の家の写真















二階部分で折れ、自宅が有った場所から後ろの方へ流れ




こんなこと、もうありませんように。

どうして、写真出てきたんだろう、、、



平穏無事で平穏無事で平穏無事ですごせますように。