みやこわすれという花を戴いた時のことだ。
「綺麗な江戸紫ですね」っと声を掛けると、
「好きならあげるよ」といって、さっさと花を引き抜いて渡してきた。
「頂いていいのですか?」
「好きなんだろ」
「えっ!ハイ好きです、ありがとう」
本当は、みやこわすれの花が好きなわけではなく、
縦縞模様という江戸の粋さが好きと言うのと同じで…
「江戸紫」と言う言葉と色が好きで、
「みやこわすれ」の名の由来が好きで…と、いうだけのことだ。
些細なことだが私は嘘をついた分けだ。
人間は生まれながらにして、嘘をつく才能を持ち合わせている。
適度な嘘は平和に生きるために必要な場合があるっていいながらね^^
ドストエフスキー曰く、
本当の真実というものは
いつでも真実らしくないものだ。
真実をより真実らしく見せるためには、
どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。
だから人間はつねにそうしてきたものだ。
らしい。
そう、そんな嘘もあるってことだ。
思えば父にも母にも嘘をついたかな、そう彼にもね。
「みやこわすれ」のような単純ことではなく、
重い嘘をおもいだす。
そんな重い嘘は大切な人との関係ばかりだ…
しかも切なく思い出す。
きっと嘘にはそんな側面があるのかも知れない。
そう、なんとなく大切にしたい嘘ってあると思う…
「嘘のない歴史ほど面白くないものはない」と
誰かが言っていたけど、
こころの潤滑油みたいな笑ってしまう嘘もあるしね。
そして、辛くてもつき通さなきゃならない嘘。
映画「ライフ イズ ビューティフル」かな、
主人公は笑いながら、子どものために嘘をついた。
悲しいけれど、強い父の愛がついた、
私のレベルじゃ到底吐けない大きな嘘だ。
そして、
独りよがりで、なんだか切ない片思いのような、
ほんとうは嘘だと分かってほしい嘘もある。
そして嘘を吐かれた側から言えば、
嘘と分かっていても信じたい、信じてあげたい嘘。
ほんと、
いろいろな嘘がいっぱいの人間社会だけど、
それでもきっと、ついちゃいけない嘘も…、あるのだろうな