はるの雨

2023-03-20 | あほらしきこと

3月下旬、桃花の便りが聞かれるようになると…、
春の雨が恋しい、山里は「穀雨」の季節。


かすかな花の香りを含み、大地を静かに潤していく春の雨。
芽吹きを見守る金剛石ってとこかな。。。

徳島地方では、この雨を『木の芽萌やし(このめもやし)』と呼ぶらしい。
とても素敵な呼び名だ。
時季は桃や李の花のころ、桃花が雨にぬれるさまは美しい。
恋しい木の芽萌やしの雨が降る。

 

春の雨のよびな、少し集めてみました。

 

雨香(うこう)
雨が降り出す前に、「あっ!雨かな…」って感じるとき。
そんな雨にかすかな花の匂いや芽吹きの匂いを含んでいる。

水神鳴(みずかみなり)
みずかみなり:春を告げる春雷。
雨を運んでくる雷は雨竜下ると言われ、激しい雨を伴う。
そう、冬の気配を全て流し去る季節の雨。

雨降り花
一輪草、コケリンドウ、ギボウシなどを指す。
その花が咲く(摘んだり)と雨が降ると言われている。
『春のエフェメラル』どこかはかなげで可憐な花たちだ。

花の雨
桜の花の時、そぼ降る雨を桜雨。
花の散花も美しい桜にこそ似合う。
花を散らしてしまう雨は「桜流し」と呼ぶそうだ。

来週お花見予定。
桜流しじゃなくて花筏ならいいなぁ!

木の芽萌やし(このめもやし)
春の芽吹きを母のように見守る雨。とても素敵な表現。

青葉雨(あおばあめ)
新緑を潤し、命を輝かせる雨の滴。青葉時雨は、
新緑の森に降る『十力の金剛石(宮沢賢治)』の雨。
勝手にそう思っている。

密雨散糸(みつうさんし)
白糸のように降る春の細雨。濡れて帰るのも苦にならない。
とてもやさしい雨なんだね。

 

 

 

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覚えておきたいこと

2023-03-07 | あほらしきこと
いつの日か私が眠るところが
武蔵野雑木林の中にあって、そこには四季がある。
薔薇が咲くころは、テラスでお茶を飲みながら望む墓苑が華やぐ
宗教の縛りはないし、法要も合同で勝手に執り行ってくれる…。
このご時世だから、もう長く訪れていない。
「所員一同で行わせていただきます」と言葉が添えられ、
修正会・彼岸のイベント等、中止の案内が今年も届いていた。
一葉のはがきは何だかそっけないものだ。
 
 
 
 
 
 
東北の地にマリアがいた。
彼女は結婚により「あべ」という姓を持った。
正真正銘、アベマリアだ。
何才だろうか、おしゃれで可愛いい人だからとても若く見えた。
彼女は三十歳半ばで伴侶を亡くした。
そのマリアが主催する『説法の会』に参加したことがある。
お寺の若住職と、場所を提供いていただく小料理屋の若女将、
そして十数名の仲間が集い、1時間ほどの説法が始まる。
話の内容が面白かった。
 
  法要も法事も必要ないんです。
  しかも戒名は仏門に入った人に対して与えられるもので、
  それは生きているうちに与えられるものなのです。
  そもそもお布施の額で戒名が変わるなんてあり得ません。
  法事や法要も戒名料も、坊さんが生活費や遊興費を稼ぐための
  彼らたちの方便です。
  亡き方を愛していればそれでいいのです。
  もちろん、憎き奴だったでもいいんです。
  あなたの心が穏やかなら^^
 
と、こんな具合だ。
説法の後は、酒宴が始まった。
隔月の会だったと思う。
 
私が二度目の結婚をした年に前後して、母が死んだ。
「あなたを愛しています」
母が父に伝えた最後の言葉だ。
色々あっての夫婦の時間だったとは思う。
当人同士しかわからないことも多いものだ。
欲目ではなく母はこころ可愛い人だった。
父は父で情に厚く、ましてイイ男だったからか
それが禍したと言えば言えなくもないが
娘としては、寂しかっただろう母を想う。
 
けれど母はとうの昔に許していたのだ。
「あなたを愛しています」と母に言われ
父は救われただろうか、何かを背負ったかもしれない。
どちらかなのかを聞く術はもうない。
残された日々を生き、
命尽きる父の目じりに干乾びた涙の跡を
母は遠い宙から見ていたに違いない。
深い愛に遅すぎることはないのだ^^
最高の夫婦だったと思う。
 
  愛は深めていけばいくほど
  どこまでもどこまでも深まっていきます。
  そしてそれは純化されていきます。
  そのことを私たちは知っておきたいと思います。
        -糸賀一雄-
 
覚えておきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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本棚に眠る女

2023-03-01 | あほらしきこと

 

このごろ賢いのか、強かなのか、とぼけたおんなたちが多い気がする…。
比べて性差別が足り前だった時代錯誤のおんなたち。

そんな女が本棚に眠る。

彼女たちの、なんて時代遅れのこと。

けれど、こんな女、わたしは嫌いじゃない。

 

 

私の机の上に、しばしば彼のおすすめの本が置かれた。
「面白そうね」と言いつつ、パラパラ指先が活字を追う。
そうして数十冊が本棚の片隅に追いやられたまま眠った。

『三年ねたろう』どころではなく随分長い年月を眠り、
そうして二十年を過ぎた一冊が
もろさわようこ著「おんなの歴史」だった。

本書に紹介されたていたのは萬葉集/巻十三の歌。
旅あきうど (旅商人)の妻

つぎねふ 山城路(やましろぢ)を  
他夫(ひとせ)の 馬より行くに 
己夫(おのせ)の 歩(かち)より行けば 

見るごとに ねのみし泣かゆ 
そこ思ふに 心し痛し 
たらちねの 母が形見と 
吾(あ)が持たるまそみ鏡に 
あきつひれ負(お)ひ並め持ち手 
馬替えわが夫(せ) 

夫の応(こた)へてよめる

馬買はば 妹(いも)かちならむ 
よしゑやし 
石(いわ)は履(ふ)むとも我(あ)は二人行かむ 

 

歌を解釈すると、

  難儀な山城道を他人の夫は馬でゆくのに、
  私の夫は歩いてゆくので、
  どんなにつらいことだろうと思えば胸が痛く
  思わず泣けてしまいます。
  ここに母の形見の鏡と肩掛けの布があります。
  どうぞこれを馬と替えてください。
  切ない思いの妻の歌に反して夫は
  馬と替えてしまったらお前が困るだろう。
  困難な道でもいいではないか、
  私はお前と一緒に歩くことにするよ。


もろさわは、万葉相聞歌にある「馬替え わが夫(背)」と歌う妻と
かの有名な『一豊の妻』
戦国乱世に「馬買い給え」と持参金を用立てた妻を比較して
二人の女の違いを「馬替え」という動機の相違と、
それに対する夫の態度にあると言う。

万葉の女は、前後のみさかいのない、
ただひたすらな夫への愛の一念であり、
一豊の妻は、功利を見極めたまことに智恵深い行為で
当時の立身出世に必要な、
確かにみごとな「内助の功」であると評価しながらも、
一豊の妻の行為は愛の深さへの評価ではなく、
「内助の功」であることを、いささかさみしく思うとしていた。

比べて万葉の女とその夫の人間性豊かなやり取りは、
功利とは無縁であるけれが、
いたわり合う愛情の故郷ではないだろうかと、
女心を吐露している。

今の時代、万葉の女は顕微鏡で探しても見つからないだろうな…。

歴史で名声を得た男たちの裏には、
女の影があるとはよく言ったものだ。

今の世に存在しない女が本棚に眠る…。

 

 

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見えない次元

2023-02-28 | あほらしきこと


急に降り出した雨。
雨宿りに立ち寄った珈琲屋さんでの事。
恋人らしき二人の会話が聞こえてきた。
「だって、ちゃんと説明してくれなきゃ分かるわけないし」
「.............?」
「あんたの次元は高すぎて、私には見えないのよ!」


「次元が見えないだなんて話に知的好奇心が刺激を受けたのね。
なんて高尚な話をしているのってね。
見えない次元って、偉い学者が言ってた超ひも理論の事に違いない。きっとね。
もちろん、間違っても女の人にたかる男の話じゃないからね。」

ちょっと茶化した。けれどあいつにはチンプンカンプンだった。

「ひもの話は君には早いかな…、まあいいや。
詰る所はこの理論って四次元では説明がつかないらしい。
だから『多次元をつくちゃいました』と言うわけじゃないのだろうけれど、
人間が体験することができない別の次元が必要だってこと」

「でも、誰も見ることが出来ない多次元なんて言われても、
見えなきゃ理解なんてできないし…」

あいつは納得できないようだった。

「でも、偉い学者がね、
『遠くにある送電線に蟻が螺旋を描きながら移動してるのを見ようとして、
性能の悪い顕微鏡を覗いても見えないのと同じなんだ』と言っていた」
「そうだよね。そんな蟻なんて見ることできないし。
可愛い彼女が涙声で抗議する気持ちよくわかるよ」
「当たり前じゃん。見えない次元なんか理解することできやしないよ」

「じゃあどうするの?」あいつが真顔で聞いてきた。

「じゃあどうするのって聞かれると困るのだけど…。
そりゃさ、人間の目で見ることのできる世界には限界があるし、
次元を超えて多次元をみる事なんかひっくり返ってもできるわけないし…」

そこまで話したとき、あいつはため息を吐いて考え込んだ。

そして、目を輝かせて言った。
「きっと顕微鏡とかじゃなくて、心で探すものなのじゃないかな…」
「心でさがすって‼‼‼」
何だかあいつの答えに、ちょっぴり心が震えた。
震えたのに、私は少し突っ張ってしまった。
「でもさ、やっぱり…、見えないものは見えるわけないんだから」

 

 

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朽ちていった命

2023-02-27 | あほらしきこと

 

忘れていた本を何冊か注文。
その中の一冊が『朽ちていった命』
ベッドに潜り込んで一気に読み終えたのは半年ほど前。
気が付けば深夜を回っていて
一杯の温かい珈琲を淹れ、そのまま朝を迎えた。


『朽ちていった命』
NHK「東海村臨界事故」取材班(著)
新潮社  平成23/4/31 11刷


豊かな経済への希求に目隠しされ
社会の雑踏に忙殺されていったもの
その一つひとつはこころが痛いと知覚されることなく
日々の喜怒哀楽に過ぎていく。
人間に忘却が許されていて
どのような惨事であろうとも
距離を置いた対岸の火事は風化していくいくものだ…。
そう思っていたのだが
先日、被爆事故のニュースが流れ
本を手にした時のショックがフラッシュバックする。

文化から科学からも遠い話だが、
一行の言葉のかけらに感動し。
本当にわずかな人が見せてくれる、
これまた気付く人も少なくなった皺皺の人間臭さに
思わずクスッと笑みが漏れる。
そして一人、目頭をチクチクさせるのだ。


この頃思う、
文化とは何だろう、ほんとうの豊かさとは何だろう。
私の自尊がこころの贅肉に言う。
このチクチク感がある、
それで、いいじゃないか。

 

 

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よその牛蒡 

2023-02-25 | あほらしきこと


いろいろ行き詰まるから
深夜をドライヴ(ボロボロの車dakedo)。。。

考え事をしていると
つい飛ばし過ぎてしまう。
田舎道の夜は、高速道路並みなのです・・・
そういえば、はじめて高速を走ったとき

突然けたたましいサイレンの音…
「何かあったのかな」と思い、車線を左に変更。
すると、後方から「前の車、停車しなさい」

おまわりさんに捕まる覚えなどなくて
すこし驚いたけれど、取り敢えず路肩に車を止めました。

後ろについたパトカーから男の人が降りてきて
「ごぼう抜きしましたね」

まったく身に覚えがないから
「私、ごぼうなど抜いたことありません」
真顔で答えていました。

・・・おまわりさんの目も点でした。

 

 

 

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纏わりついて存在する脳内時間

2023-02-23 | あほらしきこと

4~5年前だった.
差し込む朝の光を手の甲に受け豆をカリカリ、珈琲を淹れる。
近頃に騒々しいばかりの世の中に嫌気がさすときも増えた。
人や事物それぞれに纏わりついて存在する脳内時間というものだろうか。
珈琲の香り纏わりつく時間にホッとする私がいる。

珈琲を注ぎながらTVのスイッチを入れた時だった。
ディスプレイに映し出されたのは背丈と肩幅の比率がほぼ三対一、
前かがみの小さな身体を左右に揺らし、
扉から差込む光に消えていく老婆の姿だった。
逆光の中へと消えていく老婆に、ナレーションが演出っぽくかぶる。

「今日、彼女に出所の許可が下りた。
些細な犯罪で入所している高齢者たち、彼らの再犯率は高い…」

逆光でホワイトアウト状態になった場面で、扉は音もなく閉じられた。

全てが管理された秒刻みの刑務所暮らしは、限りなく退屈であり、
きっと鉄瓶ではなく電気ポットのお湯が沸くだけの
無機質な毎日が積み重なり過ぎていったに違いない。
そこに、待てど暮らせど珈琲が香ることはなかっただろう。
一言も発すること無く消えていった老婆の刑務所の時間だ。
しかしそう断定してしまうにはあまりに切ないものが残った。


きっと彼女にも相対的に纏わりつく時間の流れがあったに違いない。
私はカップを手にすると珈琲の香りを確かめ、
そう、例え時間の流れに従って管理される刑務所であっても、
そこに彼女が生きた時間の匂いが纏わりついたはずだと思った。
多くの人に待ち遠しい日や時というものがあるなら、
それは受刑者にもあるだろう。
それこそが刑を終える出所の日である可能性は高い。
彼らの一人一人のそうした不確実だが待ち遠しいという感覚の中で、
うらぶれ異土の乞食となった今、
故郷の匂い、それは朝食に出た糠漬けが、
子供の頃、台所にしゃがむ母を思い出させたかも知れない。
そしてそこにこそ「秒」という単位に計測される時間ではない
老婆だけの脳内時間が流れたのだ。


扉が閉じられた後のあの型通りなナレーションが耳障りに残っていた。
彼らを嫌悪する声が聞こえてきた。
「私たち納税者はあなた達を養ったけれど、
あなた達は何をしてくれたと言うのか」
例え至れり尽くせりであろうと刑務所暮らしは、
あなたが目くじら立てるようなものではないだろうと思うのだが。
所持品検査や身体検査の実体が現在もさして変わらないだろうし、
施設に足を踏み入れた瞬間から人権はないのだ。
食事や入浴、排便など生きる基本的動作も監視され、
人としての自負心などゴミ箱に捨てなければならない。
閉鎖的空間だから被収容者同士の陰湿ないじめは当然の事、
刑務官の嫌がらせもあるに違いない。
まして、無条件に身を置くことになる刑務所の、
刑務官らの不祥事も枚挙に暇がないのだ。
彼らの精神が安定した健全を保てる保証など全くないのだ。
些細な罪状であっても、
社会が高齢受刑者に対して決して甘くはない事を
彼ら本人が知ないはずはない。そう、例え認知症であってもだ。

きっと、纏わりつく脳内時間が存在する。
そう思いながら私はぬるくなった珈琲を啜った。

 

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おちおち眠れやしない

2023-02-16 | あほらしきこと

やっとかな、それとも早い方なのかな、

マイナンバーカード申請を済ませた。

昔はプライバシーの保護が声高に叫ばれていたものだけど…

今や守るプライバシーなど無くなってきたし。

IT社会の構築はその前兆だったし、仕方ない。

多くの諸国はほぼ完全な管理社会を構築しているようで、

どうやらITは独裁的管理社会にはもってこいのツールのようだし。

某国国民にはナンバーがふられ、

顔認証でその生活の全てが管理されている。

管理の内容は半端じゃなく、

ナンバーを調べれば生活レベルから学歴、職歴はもちろん、

犯罪歴、病歴も、どのような人間関係を持っているか、

今どこで何をしているのかすら、全てが管理されているのだ。

プライバシーなど全くない無い社会だ。

カメラの目は至る所で国民を守る。あ~っ!そうじゃない、

守るのは支配者の未来永劫の権力だ。

そんな某国で女達ははしゃぐ。

「プライバシーとハイクラスの結婚相手のキャッチを天秤にかければ、

プライバシーの侵害など問題ではない」ってね。

「結婚相手を探す時、ナンバーだけで、全ての情報が分かるから、

結婚相手の生活レベルが保証されるのだから、問題などありません」だって。

なんとも嬉しそうにインタビューに答えていたのだ。

なんだかこの打算は恐いくらいだ。

女はそもそも現実的だと思えばなるほどと納得やむなし…?

『天の網』は、か弱き(?)…、女の味方なのだ。

しかし、世界中に『天の網』が広がるのだけは勘弁してほしい。

ただでさえ、ネットサイバー攻撃に加え、

世界中で、国家の安全保障という大義名分の諜報活動が盛んだ。

 


▲これは情報収集しません。

 

おちおち眠れやしない。

 

 

 

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ホーキング氏の予測

2023-02-15 | あほらしきこと

亡きホーキング博士によれば

『完全なAIの開発は人類の終焉を意味するかもしれない…』

 

やがてやって来るシンギュラリティの時代、

その後を人類はどの様に生きるのかは予想もつかない。

神を頼りに良くも悪くも歴史を編んできた人類にとって、

次世代の人類が頼る神は一握りのホモ・デウスだと

イスラエルの歴史学者(ユヴァル・ノア・ハラリ)が言う。

そしていつの日か、ホモ・デウスもAIに

その全てを任せるようになれば、

それは地球が一つの単一文化になる時かもしれない…。

次々失われてゆく言語や文化の現状は簡単に止められなくて、

となると、デウスじゃなくてデビルだ。

いや、デウスだって好き勝手なことをしてきたのだから、

デウスだろうがデビルだろうがサタンであろうが同じだ。

 

このままじゃなくても、ホーキング氏の予測は的中するだろうな。

 

 

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あきしぐれ

2022-12-15 | あほらしきこと

 

男と女

魅力的な男と女の関係というのがある。
そこに一つの哲理を思う。

拾い読みの、ページをめくる手が止まった。
女性の死に際し、おくる言葉が綴られていた。
そこからヘルダーリンの三篇の詩をピックアップ、
たった三編の詩だけれど…。

 

 

しばらく、何も考えないで綴るから、
傍で聞いていてください。

   
●   
遠くからわたくしの姿が
あのお別れのおりに まだあなたにわかるとき
過去が
おお わたくしの悩みにかかわりをもつものよ


いくたびも探しもとめ
そしていくたびも諦めました
それでもせめて
その面影を大切にもっていたいと思っていました


林のなかで精霊たちがざわめくとき
月のあかりをほのかにあびて
静かな池に皺ひとつふるえぬとき
わたしは あなたの姿を見て会釈する

 

枕辺をたずねてこいとあきしぐれ  あきのの

 

 

 

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3つの夜想曲より:愛の夢

2022-12-10 | あほらしきこと

 

久し振りにリストを聴いた。

ショパンは我々の中で常に異邦人だったと言ったリストは
ショパンの作品を愛し、ショパンに対し最高の賛辞を惜しまなかった。
「ショパンは魔術的な天才でした。誰とて彼に比肩するものはない」
                          (リストの手紙)

 

ショパンは肩を怒らせることなく聴ける。
リストは構えて聴いてしまうことがある。
平面アート(絵画など)や立体(彫刻など)と
音楽一般の鑑賞の仕方が私の中では異なる。
イルミネーションなどや3Dアートの世界も異なる。
これらの好みのレベルでの価値観は
特に日本の評価とはかなり乖離することが多いように思う…?

夜想曲(愛の夢)は詩から入って聴くようになった作品だ。
詩への思い入れの方が強い。
そう言えば『千の風』という詩が重なる。


"O lieb so lang du lieben kannst"
フェルディナント・フライリヒラート/詩人・ドイツ

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる

なんびとか 愛のまごころを
あたたかくおまえのためにそそぐとき
おまえは 胸に愛をいだいてあたため
ひたぶるにその炎をもやすがいい

胸を おまえのためにひらくひとを
できるかぎり愛せよ
いかなるときもそのひとを悦ばし
いかなるときも そのひとを嘆かすな

わが舌をよくつつしめよ
あしざまの言葉をふと口にしたら
ああ それは けっして悪意からではなかったのに
けれど そのひとは去り そして悲しむ

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる

その時おまえは墓のほとりにひざまづき
うれいに濡れた まなざしを おとす
もはやそのひとの影もない
ほそい しめった 墓場の草ばかり

「あなたの墓に涙をながしている
このわたくしをごらんください
わたくしが あなたをののしったのも
ああ それはけっして悪意からではなかったのです」

が そういってもその人は聞きもしないし見もしない
喜んでおまえをいだきにもこない
しばしばおまえに接吻したその人のくちびるは
ふたたび「とうに許しているよ」とも語らない

あの人は 許したのだ とうにおまえをゆるしているのだ
おまえのおかげで おまえのきたない言葉のために
あつい涙をとめどなく流していたけれど
今は しずかに眠っている もうふたたび目をさましはしない

愛しうるかぎり愛せよ
愛したいとおもうかぎり愛せよ
墓場にたたずみ なげきかなしむ
ときがくる ときがくる

 

 

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あるまじや

2022-11-08 | あほらしきこと

年末だから増える記事でもないだろうが、
毎年、刑務所での惨事が耳に入ってくる。
中でも昨年2022年11月末頃のニュースには少し驚いた。


「大罪を犯した死刑囚3人が
絞首刑による死刑執行は憲法や国際人権規約に違反するとして
国に対し刑の執行の差し止めや、死刑が執行される日を待ち続けることの
苦痛に対する慰謝料などを求め訴えを起こした。…」


欧米っぽい思考の死刑囚だ、一瞬そう思った。
ではなく、名声を得たい弁護士や
話題を作りたい週刊誌が仕掛けたかもしれない。
どちらにせよとても考えさせられた。


そう言えば5~6年前だ。
差し込む朝の光を手の甲に受け、豆をカリカリ、珈琲を淹れる。
色々あっても、この時間帯にホッとする私がいる。
「時に人生はカップ一杯のコーヒーがもたらす暖かさの問題だ」
どこかで読んだコピーの一文に癒し心をくすぐられた気分で時を過ごす。
TVのスイッチを入れると、海外のニュース番組が放映されていた。
フランスのTV局が日本の刑務所をレポしたドキュメンタリーだ。
特に目新しい題材ではなく、
どこの局でもよくある、ニュースが無い時の埋め草なのだろう…
くらいに思っていた。フランス人記者の中途半端なレポだった。

ドキュメントの趣旨を要約すると、
世界有数な安全な国である日本。
囚人の人数は約5万、フランスは7万だ。
しかし、囚人の高齢者の比率は日本が高い。
しかもその9割が万引きとか些細な犯罪で入所している高齢者だ。
そして、彼らの再犯率は高いというのだ。
老女たちは生活の困窮の末に起こした軽犯罪で刑務所に入所するのだが、
出所してからの再犯率が高い。
彼女たちの刑務所での暮らしは、病気がちだった日々から解放であり、
三度の食事や寝る場所を心配する必要がないことが要因らしい。
刑務所側も監視員を置くのではなく、
介護員を増やしているとドキュメンタリーは結んでいた。


アカデミー賞で日本の『万引き家族』がノミネートされていたから
話題として過去に取材したのを放映したのかもしれない。
囚人たちの服装は夏だった。

もう何年も前だった、刑務所の老人ホーム化が問題になっていたことがある。
国の社会制度や法制度の問題、そして希薄になった家族関係が絡む。

背中をまあるく屈ませて、食堂を出ていく老女の背丈と横幅が3対1だ。
曲がった足が身体を右左に傾かせ、ドアの向こうに消えて行く。
出所を許された老婆はどんな時間を待ったのだろうか。
達観したような彼女たちが見つけた安堵は切ない選択だったのだろう。
高齢受刑者に嫌悪する納税者が嘯く声が聞こえてきた。
「私たちは貴方達を養ったけれど、あなたたちは何をしてくれたというの」
高齢受刑者たち自身、社会から疎まれている事を充分知っている。
それは彼女たちが、例え認知症であってもだ。

あの時の老婆の時間は、既にどこにもないのだろう。

  うふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
 /犀星


あの時、扉の向こうに消えた老婆の残像が揺らぐ。
三人の死刑囚の基本的人権と慰謝料を求めた結末はどうなるだろう。
あらゆることを待って、彼らの帰る場所は今の日本にあるといえるだろうか…。

 

あるまじやなのだ。

 

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2022-11-03 | あほらしきこと


みやこわすれという花を戴いた時のことだ。
「綺麗な江戸紫ですね」っと声を掛けると、
「好きならあげるよ」といって、さっさと花を引き抜いて渡してきた。
「頂いていいのですか?」
「好きなんだろ」
「えっ!ハイ好きです、ありがとう」
本当は、みやこわすれの花が好きなわけではなく、
縦縞模様という江戸の粋さが好きと言うのと同じで…
「江戸紫」と言う言葉と色が好きで、

「みやこわすれ」の名の由来が好きで…と、いうだけのことだ。

些細なことだが私は嘘をついた分けだ。

人間は生まれながらにして、嘘をつく才能を持ち合わせている。 
適度な嘘は平和に生きるために必要な場合があるっていいながらね^^


ドストエフスキー曰く、

  本当の真実というものは
  いつでも真実らしくないものだ。
  真実をより真実らしく見せるためには、
  どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。
  だから人間はつねにそうしてきたものだ。

らしい。
そう、そんな嘘もあるってことだ。
思えば父にも母にも嘘をついたかな、そう彼にもね。
「みやこわすれ」のような単純ことではなく、
重い嘘をおもいだす。
そんな重い嘘は大切な人との関係ばかりだ…
しかも切なく思い出す。
きっと嘘にはそんな側面があるのかも知れない。

そう、なんとなく大切にしたい嘘ってあると思う… 
「嘘のない歴史ほど面白くないものはない」と 
誰かが言っていたけど、
こころの潤滑油みたいな笑ってしまう嘘もあるしね。

そして、辛くてもつき通さなきゃならない嘘。
映画「ライフ イズ ビューティフル」かな、
主人公は笑いながら、子どものために嘘をついた。 
悲しいけれど、強い父の愛がついた、
私のレベルじゃ到底吐けない大きな嘘だ。 

そして、
独りよがりで、なんだか切ない片思いのような、
ほんとうは嘘だと分かってほしい嘘もある。

そして嘘を吐かれた側から言えば、
嘘と分かっていても信じたい、信じてあげたい嘘。

ほんと、
いろいろな嘘がいっぱいの人間社会だけど、
それでもきっと、ついちゃいけない嘘も…、あるのだろうな

 

 

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おんなともだち

2022-10-01 | あほらしきこと

 

きみはまだ覚えているだろうか
やがて巡りくる春は匂をちらつかせ
6m道路を隔てるだけなのに


 

なんと遠い夢かと思っていた頃を

三人三様の時間は足早に過ぎ
それぞれが選んだ道から
少し距離を置いた互いのプライドが
古い窓ガラスに歪んで映る
道を隔てた遠い夢は 
みごとな嘘をついた

 

 

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言語と魂

2022-09-28 | あほらしきこと

誰だかが言っていた。

「一つの言語は一つの魂を持っている」ってね。
大人になるとそんなことなどどうでもよくて、
心惹かれる事もなくなった。

きっとそのころから言葉のすれ違いというか、
周囲と不要な接触を避け、無関心を選択するようになっていった。
こころに、砂漠化が添い寝をはじめたってことかも知れないね。

偉い人たちがこぞって言い。
言語は、その言語を使う人たちの文化(価値観)に影響して、
社会が構築されるってね。
私たちは、実際に存在しないモノについて、話ができ。
実際に存在しないモノについて、認識することができる。
つまり、存在しないものについての情報を伝達する能力、
五感では感じたことのないありとあらゆる種類の存在について
話すことが出来るってこと。
そしてそれはサピエンスだけの能力なのだそう。
こうしたサピエンスが持ち得た能力を、
「認知革命」だと、ハラリ氏は云っている。

「現実」は言語により認識されるものだから、
言語が違えば現実の認識も違うってことを意味する。
簡単に例えると「オレンジ色」という単語がない社会には
当たり前だけど「オレンジ色」は伝わらない。


最近驚いたことがあって、
それは世界にとてもたくさんの言語があると言うことだ。
その数はかなり消滅し、今も消滅し続けているようだけど、
それでも今でも7,000言語は下らないらしい。
言語の定義にもよるだろうけれどね。

でも、一つの言語が一つの魂(文化)を持つなら、
言語が消滅したということは魂(文化)が消滅したということで、
やがて世界は一つまた一つ文化が消えていけば、
単一化される時代が来るとしたハラリ氏の結論にピッタシだ。

でも単一化とはどんな状態なのだろう…?
言語が一つ一つなくなり、魂も一つ一つなくなるから、
けれど国際共通語が闊歩しても、魂が共有されることは無いような気がする。
原語は翻訳機が活躍するかもだけど、魂の翻訳は難しい。

なんだか一握りの選ばれた集団とその他(十派一絡げ)の檻の中の大衆、
という単一化なだとしたら寂しくあるし…。
その世界は無機質で悲しい共存の時代だろうな。

「多様性を受け入れる文化が大切」だなんて
物わかりの良い大人に説得されグローバル化が進み、
社会的・経済的に国を超え、
世界規模で結びつきを深めようとしたけれど…
人種や性差別をはじめに、
民族や宗教は侵食したり浸食されたり、
厳しく牽制し合うという出来事を経過して、
歴史は憎しみを増幅させた罅割れ状態だ。


そうして辿り着く近未来の世界。
いくつかの言語が消滅し、
伴ってささやかに存在した魂(価値観)が消滅していく…。
いつか一握りのホモデウスに統治され、
人種
諍いの種だった魂は姿を消し、揉め事もなくなるかも。
ああっ!本当にそうなるのかな。

思えば、同じ言語を使っていても、
『伝わってななぁ~~…』と思うことばかりだし。
そう、言葉が伝わらないことのなんて多いことかと、
あきらめ顔で暮らす日々なんだから。

人道的正義か何だか分からないけれど、
物わかりのよさそうな大人と、したたかな商人と、
トーテム・ポールの最上階に住む学者たちが描く夢には、
人間のジレンマなど問題ではないのだ。
すれば、揉め事の種、価値観の相違である魂が消滅して、
共有された言語でコミュニケーションが可能になっても、
魂は無いのですから、きっとそこはカラカラの砂漠なのだしね。


プラスして統一され創作された言語は、そもそも魂が無いから
伝わると伝わらないということの意味など問題にならないし。
そう、言葉は交わされても、それは必要最低限の情報交換。
やがてやって来る大きい転換点の先にあるのは
魂の無い孤独な人間社会ではないかとも思う。
けれど人間は慣れるんだね。
既にインターネットの世界で生きていくことにも、
どっぷりつかって、お付き合いのほとんどは仮想空間だし。
何れにしても、わたしは生きていないから安心しているけれど…

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