誰だかが言っていた。
「一つの言語は一つの魂を持っている」ってね。
大人になるとそんなことなどどうでもよくて、
心惹かれる事もなくなった。
きっとそのころから言葉のすれ違いというか、
周囲と不要な接触を避け、無関心を選択するようになっていった。
こころに、砂漠化が添い寝をはじめたってことかも知れないね。
偉い人たちがこぞって言い。
言語は、その言語を使う人たちの文化(価値観)に影響して、
社会が構築されるってね。
私たちは、実際に存在しないモノについて、話ができ。
実際に存在しないモノについて、認識することができる。
つまり、存在しないものについての情報を伝達する能力、
五感では感じたことのないありとあらゆる種類の存在について
話すことが出来るってこと。
そしてそれはサピエンスだけの能力なのだそう。
こうしたサピエンスが持ち得た能力を、
「認知革命」だと、ハラリ氏は云っている。
「現実」は言語により認識されるものだから、
言語が違えば現実の認識も違うってことを意味する。
簡単に例えると「オレンジ色」という単語がない社会には
当たり前だけど「オレンジ色」は伝わらない。
最近驚いたことがあって、
それは世界にとてもたくさんの言語があると言うことだ。
その数はかなり消滅し、今も消滅し続けているようだけど、
それでも今でも7,000言語は下らないらしい。
言語の定義にもよるだろうけれどね。
でも、一つの言語が一つの魂(文化)を持つなら、
言語が消滅したということは魂(文化)が消滅したということで、
やがて世界は一つまた一つ文化が消えていけば、
単一化される時代が来るとしたハラリ氏の結論にピッタシだ。
でも単一化とはどんな状態なのだろう…?
言語が一つ一つなくなり、魂も一つ一つなくなるから、
けれど国際共通語が闊歩しても、魂が共有されることは無いような気がする。
原語は翻訳機が活躍するかもだけど、魂の翻訳は難しい。
なんだか一握りの選ばれた集団とその他(十派一絡げ)の檻の中の大衆、
という単一化なだとしたら寂しくあるし…。
その世界は無機質で悲しい共存の時代だろうな。
「多様性を受け入れる文化が大切」だなんて
物わかりの良い大人に説得されグローバル化が進み、
社会的・経済的に国を超え、
世界規模で結びつきを深めようとしたけれど…
人種や性差別をはじめに、
民族や宗教は侵食したり浸食されたり、
厳しく牽制し合うという出来事を経過して、
歴史は憎しみを増幅させた罅割れ状態だ。
そうして辿り着く近未来の世界。
いくつかの言語が消滅し、
伴ってささやかに存在した魂(価値観)が消滅していく…。
いつか一握りのホモデウスに統治され、
人種
諍いの種だった魂は姿を消し、揉め事もなくなるかも。
ああっ!本当にそうなるのかな。
思えば、同じ言語を使っていても、
『伝わってななぁ~~…』と思うことばかりだし。
そう、言葉が伝わらないことのなんて多いことかと、
あきらめ顔で暮らす日々なんだから。
人道的正義か何だか分からないけれど、
物わかりのよさそうな大人と、したたかな商人と、
トーテム・ポールの最上階に住む学者たちが描く夢には、
人間のジレンマなど問題ではないのだ。
すれば、揉め事の種、価値観の相違である魂が消滅して、
共有された言語でコミュニケーションが可能になっても、
魂は無いのですから、きっとそこはカラカラの砂漠なのだしね。
プラスして統一され創作された言語は、そもそも魂が無いから
伝わると伝わらないということの意味など問題にならないし。
そう、言葉は交わされても、それは必要最低限の情報交換。
やがてやって来る大きい転換点の先にあるのは
魂の無い孤独な人間社会ではないかとも思う。
けれど人間は慣れるんだね。
既にインターネットの世界で生きていくことにも、
どっぷりつかって、お付き合いのほとんどは仮想空間だし。
何れにしても、わたしは生きていないから安心しているけれど…