いろはにほへと

2022-07-04 | あほらしきこと

 

小町の歴史に触れたのは銀座で仕事をしていた時だ。
企画のイメージに使えるだろうかと伝説を調べ始めると、

誕生と終焉の地で260を優に超える小野小町にであった。

当時、若過ぎた私には
小町の壮絶な人生を正面から捉えることが出来ず
途中で調べる事をやめてしまった。

一つひとつ諦めを積み重ねる人生のタイミングに、
開発の手に見事寂れた鄙の地で、小町伝説にであった。

その日、

「門前にあるでんがくのお店に行きましょ」友人からのメールが入る。
場所をネット検索すると、今のねぐら、鐘楼の生活圏に
260余りの物語に漏れることなく、小町伝説が眠るのを見つけた。
目的が「花よりだんご」であってもなぜか懐かしい。

弘法大師により創建されたと云われるお寺の本坊と東院は500m程離れていて
その東院に小野小町の分身が祀られているらしい。

皮膚病(かさ:今の天然痘)になった小野小町が
お寺に篭もり治癒を祈願したところ
夢のお告げで薬水(美濃の国にある霊泉)を授かり完治。
その後、薬水の出るほとりに分身を祀り
東院は「かさ神薬師」と呼ばれるようになった。
傍らには小町の歌が刻まれた碑がある。

  人ごとに汲めば薬と岩清水湧きて恵みを松の下蔭

小町は平安時代に活躍した女流歌人で絶世の美女
しかしその一生はけして平安なものではなかったのだ。

  花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに


美女つながりにもう一人のゆかりの女性。
大正三美人の1人とされる柳原白蓮が1952年
かさ神薬師を訪れ歌を詠んでいた事を知った。

碑に刻まれていた白蓮が読んだ歌。

   やまかげの清水にとへばいにしえの女のおもひかたりいずらく

白蓮がどの様な契機でこの地を訪れたのかはしらない。
歌われている『いにしえの女のおもい』は小野小町の思いだろう…(?
その「おもい」を鑑みるに、衰えていく容姿を受け入れて行く切なさを
共有するもののように思えてもくる。

白蓮がこの歌を詠んだのは60歳代らしい
男の視線を一身に集め、一世風靡した身であれば
小町の病の悲しみは察して余りあるものだっただろう。
移りゆく花の色に白蓮自身も同じ切なさを重ねたかもしれない。

ここに残る小町伝説は治癒を語るけれのだが、
他の伝説では治癒の結末を伝えてはいない。
小町の辞世の句との説。
   我死なば 焼くな埋ずむな 野にさらせ 痩せたる犬の腹を肥やせよ
   あはれなり わが身の果てや あさみどり つひには野べの 霞と思へば

霊泉が語り伝えるのは、切ないいにしえの女(小町)の思いであり
白蓮の、そして男のこころを捉えた女たちの
「いろはにほへと」かもしれない。

花の色は切ない…、そう思う。

 

 

 

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