去年、2019、全く久しぶりに津山で一番歩いてみたい処に行ってみた。
僕の脳裏に焼き付いていた田町は見付からなかった。
津山高校時代二年ほど下宿していた御宅がどうしても見付からなかったどころか、あの古い通りが何処かも判らなかった。
昔の家主夫婦はもうとっくに亡くなられているのは当然としても、息子さん、お嬢さんは僕よりは若かったので、
六十数年ぶりに会えないかと期待をしていたが、今回は無理。
それにしても古い津山、僕が覚えている津山はもうこの世の中には亡くなった。
津山人は良き津山を破壊してしまったと、言いたい。
一つ、二つ残って居たのが、津山駅に昔の姿を留める「ラウンド・ハウス」、これだけはよく壊さず昔のままであったのがせめての慰めだった。
もう一つは昔の成美高校時代の正面の校舎。
今の津山人は知らないと思うが、山下校舎の跡はどうなったのかもちょっと近くだった地区を歩いたが、さっぱりどこがどこだったかも判らず。
津山人は神社とかお寺まで移動させるとも聞くので、五十年、六十年の間に街並みが大変わりするのは当たり前でしょうね。
その点、欧米の田舎町は今でも百年以上も昔の姿を実際に残そうとし、残す。
残念ながら現在の津山の姿は僕の好みでは無い。
しかし出来たら一度津高の同窓会に参加して同級生はどうしているのか、どうなったのかを知りたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます