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703 ~NAOMI’s Room~

何の決まりもない、好き勝手なNAOMIの部屋

WordPressへのブログ引っ越しをやめた理由

2022-01-25 00:43:27 | DIARY♪

2022年1月1日(元旦)、WordPressを立ち上げた。

長年、この「gooblog」をWordPressへ引っ越すことを考えていたけれど、いろいろ考えて、辞めた。

その代わり、自分のHPを兼ねた〈仕事特化型〉として別途WordPressを立ち上げて、試行錯誤して運用している。



なぜ引っ越しを踏みとどまったか。記録しておく。また気が変わるかもしれないけれど。

 


 

WordPressへの引っ越しをやめた理由

 

(1)gooblogを信じることにした
やはりこれが一番かもしれない。

そもそも、なぜブログの引っ越しを考えていたかというと、一番の理由は「失うことを恐れている(今も)」から。

2019年に「Yahoo!ブログ」が終了した時、震え上がった。あの時ほど怯えた瞬間はない。

そして先週、NECビッグローブが運営する「ウェブリブログ」の終了も知らされた。やはり、正味、運営会社の持ちものであるブログは、書き手にとって、いつブログを失うか分からないというリスクが伴う。

 

このブログは、15年間の喜怒哀楽の記憶と記録。大袈裟だけど、人生の半分近く連れ添った大切すぎる存在。
そして私は「記録の蓄積」を愛する人間。

二度と見れない、二度と振り返れない、積み上げたものが消え去る、などという状態になってしまったら、落ち込むどころの話では、ない。


けれど、gooblogを信じることにした。根拠のない信頼ではあるけれど。

約15年前にブログを始めた時、アメブロやSeesaaやYahoo!ブログなども一通り試して、結局gooblogに落ち着いた。

その理由は、良い意味で飾り気がないところと、必要最低限の機能を備えたシンプルなつくりに惹かれたから。

最近では、スマホ版アプリに力を入れていたり、SNSを考慮したつくりにリニューアルしたり、ハンドメイド関連の新サービス【マルシェル】を開始したり、様々なキャンペーンも活発だったり。

目立たないけれど、細々と、利用者のことを考えてくれてる。

穏やかなやさしい歩幅で、未来へ向かっている感じがする。

それにやっぱりNTTグループが運営している点でも信頼できる。

だから、これからもずっと、終了しないでくれる、と信じることにした。

 

 

 

(2)ブログを棲み分ける事にした
引っ越ししたかったことのもう一つの理由は、アフィリエイトをちゃんと始めたかったから。
gooblogでは、amazonアソシエイトしかできない(有料版)ので、映画関連商品をちょこっと紹介していたくらい。

でも色々と考えた結果、以下のようにブログの棲み分けをすることで、すべての考えは落ち着いた。


●gooblog・・・・

日記、映画や本の感想、旅行の記録などを記録する「雑記ブログ」


●WordPress・・・

仕事に関係があることを発信し、収益化も図る「お仕事ブログ」

 

 

(3)思いのまま綴れる場所を残したかった
コンセプトと言えるコンセプトがないこのブログ。唯一の決まり文句は「何の決まりもない、好き勝手な部屋」。

これまで、何も気にせず、何も考えず、思ったままを、思ったままに綴ってきた。

カテゴリだって(最近はほぼ旅行か映画だけど)、口調だって、ばらばら。なんも決まりもなし。

荒れ狂う筆圧が見える文章の日もあれば、嬉しさが溢れる文章の日もある。

 

それが、いい。

Wordpressは、常に読み手ありき。研ぎ澄まさないといけない。気を使って文章を記さないといけない。

そんな文章ばっか書いていると、たまにはありまのままを記せる場所へ帰りたくなる。

それが、ここ。

 

だから、私は当分、gooブログを引っ越ししない。

 

だから、たのみます。

 

今日の一言

「初対面のビビビは本物。」

 

 

 


ブログを引越ししようかと思う

2021-11-23 18:23:43 | DIARY♪

現在、本格的にワードプレスへの移行を検討中。

これまで約15年にわたって残してきたこのブログを、最近また愛おしく感じるようになってきた。
一時はnoteに手を出してみたりもしたけれど、ここに残してきたことに意味がある。
と同時に、これまで残してきた言葉たちの価値も感じ始めている。

長年お世話になり、支えてくれたgoo blogに対して
愛着と感謝の気持ちと、これからもずっと離れたくない気持ちもあるけれど、

ここで与えてくれた気持ちと思い出と、かけがえのない記録を、
これからも大切に残して、さらに好きになるために。

引越しをしようかと考えている。

5年ごとくらいに訪れていたこの気持ち。
今回は、けっこう本気で考えている。

記録は記憶。たいせつに。

「日々の記録を大切に。 」


変わった2021年

2021-03-20 19:00:10 | DIARY♪

前回の記事から、約10か月がたつ。
その間、驚くほど環境が変わった。
当時は想像さえしていなかったこと。

①住む場所が変わった。
②働き方が変わった。

それぞれの備忘録。

ーーー​

住む場所が変わった

2020年6月初旬の金曜日。
前触れもなく知った、旦那の転勤。

その頃の私は、職場内での異動があったばかりで、まさに新しい仕事に向けて頑張ろう!という時。
しかもその仕事は、私が密かに望んでいた仕事だった。

そんな中、異動一週間後に知った事実。
旦那は、数週間後には、新たな土地への引っ越しがすでに決まっている。

あまりに急なことでしばらく落ちこんだ。
職場を離れなければならないということは、

仕事とも、さよなら。
知り合った大切な人たちとも、さよなら。
私は、あまりに、さびしかった。

けれどいろいろな話し合いの末、夏までは仕事を続けられることに。
そしてその期間は少しずつ伸びて、結局、年末まで働かせてもらった。


6月から12月までの半年間は、せいいっぱい、やり残すことのないよう、努力した。

残業も増え、労働時間は増えたけれど、とてつもなく充実した日々だった。

理解ある旦那には感謝しているし、
やりたいことをやらせてくださった職場の方たちにも、本当に感謝している。



働き方が変わった

そんなこんなで、年末に旦那を追う形で引っ越しをした私。
当然仕事は、やめた。のだけれど、これもまた感謝すべきことに。

なんと、今までしていた仕事を、「業務委託」という新たな形で、
自宅で進めさせていただけることになった。

私が主に担当していた仕事は、よく言えばいまの時代に合っていて、
パソコンとネット環境さえあれば進められる仕事だったことと、
コロナによってリモートワークが定着していたことも、きっと関係がある。


ということで、2021年1月から、フリーランスとして働きだした。

本当に、まったく想像していなかった。


新しい街、新しい働き方について、
感じていることは、また次回に。



考え抜いて出した答えは、正解。

2020-05-18 22:58:40 | DIARY♪
新しい暮らしを初めて、早4年が経とうとしている。

関西から関東へ。名字が変わり、職業も変わり。

初めは不安だらけだったけれど、意外にも、ほどよく馴染んできた。

ような気がする。


一番の変化は、
「生活」を、一つひとつ
丁寧に送るようになったことだろうか。


新しい環境や、新しい生活は、
身をもって体験するまでは、とても不安。
手放さないといけないモノもたくさんある。

けれど、いざそこに足を踏み入れると、
もうずっと昔から、その地に立っていたような感覚になる。


この4年で、たくさんの「新しい」を経験した。

衣食住を行う家はもちろん、
乗る電車やバス、買い物するスーパー、
呑んだり遊んだりする街も変わり、

新しい環境に身を投じる感覚。

そんな暮らしの中で、心のゆとりを保つためには、

自分なりの「変わらない」をつくることが大切だと、
これまでの経験から分かった。

「継続」が与えてくれる 心強さを実感している。

環境や暮らしが変わっても、
好きなモノやコトは変わらない。

変える必要なんてないし、変えようもない。




あらためて。

カタチは違っても、「続ける」ことはできる。

それは、どんなコトにも言える。

そんな当たり前のことが、

ようやく、なんとなく、わかった。


そしてそれは、自分が思っている以上に、

自然で、たやすいことかもしれない。





人は「正解」が分からないとき、

発言力や発信力がある人の判断に委ねがち。


そうしてまで、正解の正体をしりたがる。


正体をしっているような感覚でいる方が、
なんとなく安心するし、すっきりするし
納得もしやすい。



正解を定めるのは、難しい。

一番の理由は、結局、

正解とは、個人だけの考えでは、
決めにくいモノだから。

どのような答えを出しても、

それを表面的には出さなくても、

身近な人のことを考えたり
外部から見たあるべき自分を想像してみたり、

自分一人の意志や感情だけでは解決しにくいモノ。



けれど、そんなことをぼんやり考えながら

今日、好きな道を
いつも通り歩いている時に、



「いま、出した答えが、正解」



こう考えて、すっと心が軽くなった。



高校の担任教師が言った「人生は選択の連続」。

選択の機会が訪れる度に、答えを出さないといけない。

その度に「正解」は何か、考える必要がある。



そうであれば、


それは、その時その時に

考え抜いて出した答え。



そうであれば、



それは、いま、考えている、それ。




悩んで、導きだした、自分の答え。

それがきっと、「正解」。


のちのち
正解ではなかった、だなんて、

自分にも、誰にも言う権利はない。




当たり前のような話だけど、







ここまで心を整理するまでには、時間がかかった。





今日の一言。
「考えて出したのなら、正解。」


人として惹かれる人

2020-05-13 16:55:16 | DIARY♪
先日、久しぶりに美容院へ行った。

その美容院は家の近所にあるため、店の前を通る度に気にはなっていたのだけれど、
1年前にたまたま時間ができて初めて訪れて以来、今回で3度目の訪問だった。

毎回担当してもらうのは、20代半ばくらいの女の子。

見た目はいかにも今風という感じ。

その日も、古着風のワンピースを自分らしく着こなし、
髪はピンク色に染めていて、若い美容師さんならではのおしゃれでこなれた雰囲気を醸し出していた。

本来、私はこういう感じの女性を指名することは、まずない。

理由は、自分でもうまく言葉にできないのだけれど、
年下の女性と関わる機会があまりないため単純に接し方がわからないというのと、
いま一番、日本の文化や流行を引っ張っている若い世代を、少し恐れて?いるのだと思う。

たかが10歳ほどしか歳は離れていないのに、自分とは違う人種に見てしまうというか。


よくわからないのだけれど、とにかく苦手意識をもっている。

彼女の印象

そんな私が、敢えて彼女に髪と時間を委ねる理由。

それは、紛れもなく彼女に魅力?を感じているからだと思う。
(美容師としての技術面に満足しているのは大前提)

ただし、どこが魅力かと問われたら、これまで自分でもよくわからなかった。


私から見た彼女の印象は、

見た目に反して話し方や受け答えが驚くほど落ち着いていて、
会話でも大きなリアクションをすることなく、とにかく「淡々」としている。

クールといえば聞こえはいいけれど、悪く言えばどこか冷めているような印象さえ受ける。

かと思えば、全然おもしろおかしい話をしたつもりがない時に大笑いをしたり、
あるキーワードに対して食いついて突然饒舌になったりする。

私としては不意をつかれて新鮮な感覚になり、へ〜この人はここで笑うんだとか、
意外なテーマに興味があるんだと、冷静に観察してしまう。

彼女に“ハマる”となぜか嬉しくなる。でも私には、彼女に“ハマる”モノコトは、全くわからない。



惹かれる正体

こういう感じの人は、他にもいる。

こういう感じの人に出会った時、私はいつも、興味や関心を抱く。
その感覚は、人としての魅力、人としての好意につながる。
ではこういう感じの人ってどういう人なんだろうか。

最近になって、ようやくひとつの答えが出た。

私が惹かれるのは、自分の感情や感覚に正直で、嘘なく純粋な気持ちで過ごしている人。

つまり「自分軸がぶれない」人。他人に対しても、自分に対しても。
私はこういう人に強く惹かれる。

考えてみれば、なんとなく好きだなとか、魅力的だなと思う人は、みんなこのタイプ。

美容師の彼女も、たとえ私がお客さんであろうと、
会話を盛り上げるために無理に話を広げたり、大げさなリアクションをすることはない。

逆に言えば、そういうことをする必要がないくらい、自分が確率されている。

常に自分のペースで自分の感覚で接することができる人。そんな人に、とても惹かれる。

きっと、私はこれがうまくできていない。
だからこそ、余計に惹かれるのだと思う。潜在的にそうなりたいと感じている。

自分にない部分をもっている人に、強く、惹かれる。

そういう人と出会ったら、今回のように、自分のことを考えるきっかけを与えてもらえる。

だから恐れず、自分から近づいていく。

文を書くということ

2020-05-07 18:53:51 | DIARY♪
文を書くということは、気持ちを表すこと。
それ以外にずっともっと、価値がある。
だけど時として書けない気持ちだからこそ。
書こうと思えば思うほど、書けないことがある。

今みたいに、少し自分自身に集中して
好きな曲を聴いていても、何も意味のない言葉ばかり。

けれどこれに意味がある。

そう信じているから、私はこうしてきたんだと思う。

私はこうしないと、生きられないんだろうな。

29.8.25.FRI

2017-08-25 17:58:33 | DIARY♪

あるネット記事を読んで、深く共感した。
WEB版AERAの記事。

それは、私と同じように「一般企業」から「教育機関」へ転職した人への取材を通じて構成されている記事だった。

私がいま抱えているモヤモヤとした想い。
それは、やっぱり【畑違い】な転職によって、もたらされているのだと改めて実感した。
もちろん、最初から解っていた。悩んで、悩んで、それでも、その時に自分が出した答えが正解だと信じていた。いまでも、少し、しぶとく信じているが。

その記事の内容の一部
(抜粋)
よく言えば世間の影響をあまり受けず、悪く言えば閉鎖的な空間だった。
明確な評価基準は存在せず、昇給は年功序列。
技量にかかわらず、管理職が大きな権力を持っていた。

やってきたことを否定されたくないからなのか、
慣習と前例に固執して、分析や意見は結局握りつぶされてしまう
働き盛りの転職者たちの表情が徐々に暗くなり、やる気をそぎ落とされていく

「もはや自分の仕事を探すのが仕事です。以前の職場は明らかに過重労働でしたが、現場の意見を吸い上げる社風で風通しはよく、やりがいはあった。前職より収入も上がり、休日出勤すれば代休は必ず取り、有休は月1回取得しています。けれど、ものを言えない環境が、こんなにつらいとは思いませんでした」
https://dot.asahi.com/aera/2016121200217.html?page=2



これらに加え、私の転職は、〝異業種″そのもの。【180°の転職】。
さらに、転職先の文化・社風が、あまりにも特殊な環境だったら。

日々、感じて自問している。
どう仕事と付き合うか。
どう自分を奮い立たせて仕事をするか。
どこに、何にやりがいを見出すか。

それらは、どう頑張っても、
どう自分を“納得”させるか。に過ぎない。


規律。統制。風紀。制服。
堅苦しい風習。
アイデアを出すこと、変えること・変わることが嫌われる風習。

クリエイティブ業界とは真逆の環境。気の持ち方。
生きる世界が違うと、自分に正直に生きられない。
自分の適性を生かせず、個性そのものを殺される感覚は、
わかっていたけれど、非常に苦しい。

 

 

 

 


17.5.21.SUN

2017-06-06 20:21:59 | DIARY♪

2017年5月21日(日)晴天 
【N家 結婚式 神前式&お披露目PARTY


神戸北野天満神社で神前式を、
北野のヒラキヒミテラスで、1.5次会を挙げた。

終わってみれば、本当にあっという間の一日だったなぁという印象。

「家族」とのつながりや、「人」との出会いに改めて感謝をした、
とにかく素晴らしい一日だったけれど、
当日と同じくらい記憶に残っているのが、準備のアレコレ。

終わった今は、
ここ半年間くらいずっと心にスミにあった緊張感がなくなってスッキリしたのと同時に、
お世話になったスタッフの皆さんに会えなくなってしまったことが、ちょっぴり寂しい。


実際、この日を迎えるまで、何度も神戸に帰って準備をしていた。

結婚式の準備は大変だということは、度々話には聞いていたけれど、
身を持って経験してみて、ようやくその大変さを実感!

ただし、私たちの場合は大々的に披露宴などを行わず、また招待客も少なかったため、
大変さ具合は、世間一般的には全然大したことなかったのだと思う。




すべての発端は昨年の夏。2人で神戸へ帰省。
カンカン照りの中、北野天満神社に相談に行ったことが全ての始まり。

準備、と一言で言っても沢山のことがあって、
「決めないといけない」ことが多かった。

その分、こだわればこだわるほど、時間も手間もかかる、といった感じ。



準備の内容を、記録として残しておこう。

<神前式>
・招待ゲストの決定
・挨拶状の内容決定
・席次表・席札の内容決定
・当日の進行内容の決定
・白無垢/紋付き袴の試着・デザイン決定
・引き出物の決定
・写真やアルバム内容の決定
・装花の決定


<1.5次会>
・招待ゲストの決定・メールでの案内
・挨拶状の作成・手配(ネットにて)
・席次表・席札の作成手配(ネットにて)
・当日の進行内容の決定・司会者との打ち合わせ
・音源(BGM)の決定
・ドレス/タキシードの試着(3回)デザイン決定
・プチギフトの決定・手配(ネットにて)
・写真やアルバム内容の決定
・プロフィールムービーの作成・郵送
・装花やブーケの決定
・装花用の小物(ガラス瓶)の手配・郵送
・受付で使う名簿の作成

 


覚えてるだけで、ざっと、こんなところか。

こんな風に列挙してしまうと、そんなに大変ではなさそうだけれど、

実際は仕事をしながら、晩御飯の後にデータをつくったり、
その都度プランナーさんと電話やメールで連絡をとったりするのは、なかなか大変だった。



白無垢は、一目見て気に入った、「ハナエモリ」デザインのモノにした。
真っ白も素敵だったけれど、母の意見も聞いて、
ワンポイントカラーが入った「赤ふき」にした。

ドレスは、全部で6着くらい試着した。

最初はふんわり目のデザインのエンパイアラインのものにしようかと思っていたけれど、
何度目かの試着の際、袖や首元部分が総レースになった
袖があるドレスを着たとき、なんだかとてもスッと腑に落ちて、コレがイイと直感で思った。

母も最初は、長袖のウエディングドレスが見慣れないから微妙そうな表情だったけれど、
見慣れてくると、絶対それがイイ!と言ってくれた。



作成関連で、特に苦労したのは、やはりプロフィールムービー。

GWの帰省時に、実家のアルバムを片っ端から開いて写真の選定をして、
スキャナでデータを取り込んで・・・。

また今回は、iMovieではなく、
初めて使う「VideoPad(ビデオパッド)」というソフトで作ったため
(年代物のMacbookが今にも死にそうでiMovieの容量に耐えられない)、作業要領に慣れるまで苦労した。


そして、式直前はこんな感じで予定をこなした。

5月19日(金)・・・有休。朝から横浜でフェイシャルエステ&シェービング&ネイル
5月20日(土)・・・11時頃の新幹線で新神戸へ。
ANAクラウンプラザホテル神戸にチェックイン後、爆睡し、居酒屋「えびす屋」で晩御飯。
ここでまさかの、両親宛の手紙を忘れて帰るというハプニングも。


5月21日(日)当日・・・
朝8時頃ホテルを出て、コンビニで朝食後、神社に向かう。
早速、神前式に向けてヘアメイク。メイクをされている最中も、まだ実感がなかった。
メイクと着付けが終わったら、外に出て写真撮影。
白無垢&紋付き袴姿が珍しかったらしく、海外からの参拝客にたくさん写メを撮られた。



両家の自己紹介を終えて、神前式。
事前に少し説明はされたものの、ほぼぶっつけ本番。

印象に残っているのは、「三献の儀(さんこんのぎ)」。
小・中・大の盃で神酒を飲み交わすのだけれど、
順番は、一盃目は新郎→新婦。二盃目は新婦→新郎。
三盃は新郎→新婦の順。最初の2口は飲むような所作だけで、3口目でいただく。

その他も「誓いの言葉」を新郎が読んだりお浄めをしたり、なかなか貴重で神聖な儀式だった。






式の後は、神社内の会場で会食。



家系ごとに2つの長テーブルに別れて座ったのだけど、
うちの家系と旦那の家系の性格や人柄の違いが顕著に表れていて、
高砂席から見ていて、なんだかほっこりした笑。
うちの家系のテーブルは酒飲みばっかりで、徐々に大声でワイワイガヤガヤしてるのに対し、
旦那の家系はお酒が弱い方が圧倒的に多く、あくまでお淑やかな雰囲気で食事。
私の父が、旦那の方のテーブルにビールを注ぎに行っても断られ、「さみしい」と言っていた笑


個人的には、久ぶりに親族に会えて、とてもうれしかった。

出席は、母の方の親族だけだったのだけど、
母の兄2人と姉1人、従妹、叔母に会えた。
たぶん20年ぶりとかの方もいたかもしれない。
みんな歳をとっていたけれど、とにかく会えてうれしかった。
遠方から来てくれて感謝しかなかった。


 

 




その後は、慌ただしく着替えてメイクを直して、1.5次会会場へタクシーで移動。

エレベーターを降りてすぐ、ゲストが待っているテラスへ入場。
なんか、暗い室内からパーッと視界が開けたのと同時に、みんなの歓声が響いた気がする。

・・が、実際はほぼ何も聞こえないくらい、
キンチョーなのか興奮なのか、よく分からない感覚になっていた。
後で友達に言われたのが、“見たことない表情”をしていたらしい。笑 
とにかく表情がこわばっていたらしい。



1.5次会の内容は、催しを極力省いた、極力シンプルなパーティ。

・始まりのあいさつ(新郎)
・乾杯のあいさつ(バイト時代の先輩)
・プロフィールムービー
・友人からの手紙(私の心友)
・各テーブルでの写真撮影
・神前式のムービー上映
・謝辞(新婦)



ケーキカットをしながらファーストバイトはしない。
誓いのキスも指輪交換もなし。
余興もゲームもなし。

きわめてシンプルなパーティだったけど、そもそものコンセプトが、
「同窓会気分でゆるりと気ままに楽しむ会」だったので、
とても等身大で心地よい楽しい会になった。


最後の謝辞でも話したけれど、
もともと私は結婚願望がなく、結婚式に対する憧れもなかったけれど、
神前式では、親族に会えたし、こんな機会がなかったら会えていたかな?と思うし、

何より両親の表情を見て、本当に挙げてよかったと思う。


それに、1.5次会も、プロフィールムービーをつくる過程で、昔のアルバムをペラペラめくっていると、
私も旦那も人生の各過程(幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・社会人)それぞれで
素敵な出会いがあったんだなぁと改めて思うと同時に、
その大切な人たちが、あの日、同じ場所で同じ空間に集ったというのは、本当に奇跡のようなすばらしいことだった。


というような内容を謝辞でしゃべったら、皆に「めっちゃしゃべるやん」と突っ込まれながらの大爆笑の〆になり、
会場のスタッフさんにも、こんなに盛り上がった最後は初めてですと言われる始末笑



でも本当に、楽しかった。感謝しかない。本当にやってよかった。
人生で一度くらい、主役になる一日も良いもんだと思う。



母がつくってくれた刺繍性のウェルカムボードは、一生の宝物。





今日の一言。
「人生で一度きりの体験。」

 

 

 


2017.2.12.SUN

2017-02-12 20:28:52 | DIARY♪
2017年。

住居を移し、半年。そして、新しい環境に身を置いて3カ月。

「1」からのスタートとなり、最初の1カ月は何もかもが初めてで、
解らないことだらけで、戸惑っていた。

3カ月が経った今、いろいろと周りが見えてきた。
良い面も。良くない面も。
正確には、あまりにも多すぎて幅広すぎる悪いところを補えるちょっと良いところも。



こう書いてしまうと、
ただネガティブで文句ばかりを言っている視野の狭い人間のようだな、と
自分でも思っているのだけれど、

実際、私にとっては、
今まで抱いていた価値観とあまりにも異なることの連続で、
どんなに状況が変わっても、根っこに持っていたいスタンスに背くことが多すぎる。

今までもこれに似た状況はあったけれど、

状況や環境において、
「色」が違うのと「素材」が違うのは大きな違い。

今は、まったくの異素材。
それはもう気体、液体、固体のそれのレベル。



とにかく、気持ちがごちゃごちゃした3カ月。


けれど最近は、毎日一つ二つ、
考え方を改めなければならないなと思う瞬間がある。
改める、というよりは、ちょっとだけ角度を変えてみようかなと静かに奮い立つ瞬間。

それは、やっぱり「人」から与えられる。


一人ひとりが、どのような状況に置かれているのか。
表には見えない部分で、どういった考えでいるのか。

もうちょっと冷静に、ゆっくり探ってみようと思う。

皆が皆、表面的には、
何事にも動じない心境に至っているように見えて、
恐ろしく達観してるなと、ある意味関心してしまう。



いま最も強く思うのは、
「多様性への対応」が、どれだけ大切かということ。

少し違うかもしれないけれど、

人間も、世の中もこういうもの。

そう思えるようなところまで辿り着ければ、どれだけラクか。

今のところは、全くそこまで行けていない。



次の3カ月を迎えた頃に、自分がどんな心境でいるのか、
少し興味がわいてきた。

良い方に転んでも悪い方に転んでも、自分を尊重する。


とにかく、自分を見失わず。
「冷静」と、「客観視」を忘れずに。


静かに闘志を燃やしてやる。




今日の一言。
「多様性への対応」





10. 20.THU

2016-10-20 12:27:34 | DIARY♪
新しい暮らしを初めて、早4カ月が経とうとしている。

意外にも、ほどよく馴染んできた。

ような気がする。


一番の変化は、
「生活」を、一つひとつ
丁寧に送るようになったことだろうか。


新しい環境や、新しい生活は、
身をもって体験するまでは、とても不安。
手放さないといけないモノもたくさんある。

けれど、いざそこに足を踏み入れると、
もうずっと昔から、その地に立っていたような感覚になる。


この4カ月で、たくさんの「新しい」を経験した。

衣食住を行う家はもちろん、
乗る電車やバス、買い物するスーパー、
呑んだり遊んだりする街も変わり、

新しい環境に身を投じる感覚を、数年ぶりに味わっている。

そんな暮らしの中で、心のゆとりを保つためには、

自分なりの「変わらない」をつくることが大切だと、
これまでの経験から分かった。

「継続」が与えてくれる 心強さを実感している。

環境や暮らしが変わっても、
好きなモノやコトは変わらない。

変える必要なんてないし、変えようもない。




あらためて。

カタチは違っても、「続ける」ことはできる。

それは、どんなコトにも言える。

そんな当たり前のことが、

ようやく、なんとなく、わかった。


そしてそれは、自分が思っている以上に、

自然で、たやすいことかもしれない。





人は「正解」が分からないとき、

発言力や発信力がある人の判断に委ねがち。


そうしてまで、正解の正体をしりたがる。


正体をしっているような感覚でいる方が、
なんとなく安心するし、すっきりするし
納得もしやすい。



正解を定めるのは、難しい。

一番の理由は、結局、

正解とは、個人だけの考えでは、
決めにくいモノだから。

どのような答えを出しても、

それを表面的には出さなくても、

身近な人のことを考えたり
外部から見たあるべき自分を想像してみたり、

自分一人の意志や感情だけでは解決しにくいモノ。



けれど、そんなことをぼんやり考えながら

今日、好きな道を
いつも通り歩いている時に、



「いま、出した答えが、正解」



こう考えて、すっと心が軽くなった。



高校の担任教師が言った「人生は選択の連続」。

選択の機会が訪れる度に、答えを出さないといけない。

その度に「正解」は何か、考える必要がある。



そうであれば、


それは、その時その時に

考え抜いて出した答え。



そうであれば、



それは、いま、考えている、それ。




悩んで、導きだした、自分の答え。

それがきっと、「正解」。


のちのち
正解ではなかった、だなんて、

自分にも、誰にも言う権利はない。




当たり前のような話だけど、


ここまで心を整理するまでには、時間がかかった。




今日の一言。
「考えて出したのなら、正解。」