誰からも求められないなら最後
複雑な気持ちでいっぱいです
私ってなんだっけ
私らしさってなんだっけ
そもそも「らしさ」って誰が決めるの
私が決めるの?
他人が認めるの?
そこからわからない
最後は求めていた人ですら見放され
遠退く気持ちとそれでも生きてる狭間に逆らって圧し殺す感情はものすごく小さな、にもかかわらず鋭利な何かに囚われて何者にもなれない私を遠くから呼んでいる
お腹が空けば何かを口に含んで
目蓋が重くなったら横になって休む
欲が湧けば事を済ませて
この三大欲求は「普通」の人間にしか通用しない
そもそも普通ってなんだよ
人によって あなたによって
私によって 基準が違う
生きることで精一杯な人間の口からは食べられればそれでいいと言うでしょう。
愛情のない行為は求められていないと誰かが言うとしたらそれは何者にも変えがたいでしょう。
どれも何かに支配されて生きてるのなら私がいなくなっても誰も悲しまないと思います。
なぜなら人間皆人類皆自己中だから
その後どうなっていたか…
ずっと気になっていました。
人間皆人類皆自己中…
そうだと思います。
一定の社会のルールは守っていない人もいるか…
でも、そのルールで縛られていますが、自己中だと思います。
もちろん、爺も自己中。
爺が一番大事だけど…
爺は仲良く慣れた人は大切にしたいといつも思っています。
友達作るの苦手だし、少ないから…
それでも仲間に慣れた人は大切にします。
そうそう、らしさの話…
nanaさんはnanaさんです。
このブログの中ではnanaさんです。
nanaさんらしさって…
まだ、そんなにたくさん話してないから分からないけど…
爺と話をしてくれました。
そういう意味では優しい人?
でも…ブログのフォロワーを増やしたいと話した時に、自分からフォローをしなかったから…
周りから、自分を認めてもらいたい不器用な人かも。
はずれてたらごめんなさい。
らしさは人によってまちまちです。
誰が決めるとか、誰かが認めるとかもないと思います。
生活していると…
よくも悪くも、その人らしさが出てきます。
そしてそれを見ている周りの人の評価は、それぞれが自分だけの定規を持っているから、人によって違ってくるかも。
らしさはあいまいなもの…
でもらしさは自分の形…
自分の形は、無理に作らないで、自分が生きやすい形にすればいいと思う。
それがらしさになるんじゃないかな?
私が決めるの?
他人が認めるの?