「うちの隣に、主人の親戚が住んでいます。その人がやたらとわたしに文句を言ってくるのです。
うちは主人が事業をしていて、以前はわたしも手伝っていました。
お隣に住む親戚も、この事業を手伝ってくれています。
ところがわたしが病気になってしまい、事業を手伝えなくなってしまいました。
お隣と顔を合わせるときまって、「もっとこうしないと。」「こうあるべきじゃないの?」と
わたしに文句を言ってきます。それがとてもストレスになっているのです。
自分でもこんな病気がちな自分が嫌で、情けないと思っています。
家族に迷惑をかけているのも分かっています。
こんな自分を消してしまいたいと思うこともあります。
けれどこんなふうに責められるなんて、あんまりだと思うのです。
文句を言ってくる隣の親戚が嫌で、憎くてたまりません。どうしたらよいでしょうか?
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隣の親戚が嫌で、憎くてたまらないと申しておるよな。
このように人から責められた時、たいていの者は相手を恨む。
しかし、誰かを恨んだり憎んだりしているうちは、状況は何も変わらないのじゃ。
なぜなら、出会っている意味をまるで分かっていないからじゃ。
出会いには必ずお互いがもっと楽に生きられるヒントが隠れている。
ではこの二人の出会いにどんな意味があるのか?
この五十代の主婦は、病気になってしまった自分をたいそう責めておる。
「自分でもこんな病気がちな自分が嫌で、情けないと思っています。
家族に迷惑をかけているのも分かっています。
こんな自分を消してしまいたいと思うこともあります。」と申しておるよなぁ。
この五十代の主婦は自分のことを嫌っておるのじゃよ。
★自分のことを嫌っていると、あなたを嫌う人が目の前に現れる。
★自分のことを大切に思っていないと、あなたのことを大切に扱わない人が目の前に現れる。
★自分のことを責めていると、あなたを責める人が目の前に現れる。
★自分は役に立たない人間だと思っていると、あなたのことを「役に立たない」と言う人が目の前に現れる。
なぜ現れるのか?
気づいてほしいからじゃよ。
「あなたはとても大切な存在なのだ。」と。
「あなたはかけがえのない存在なんだ。」
「あなたは生きているだけで、価値ある存在なんだ。」
「あなたは愛される存在なんだ。」
「あなたは役にたっているんだ。」
「だから自分を責めるのはもうおやめなさい。」
「自分をこれ以上痛めつけるのはもうおやめなさい。」
「あなたを本当に責めているのは、隣の親戚ではない。あなた自身なんだよ。」
「そのことにどうか気づいてね。」
あらんかぎりの愛のメッセージを送っている。
けれど人はなかなかこのメッセージの意味に気づいてはくれぬのじゃよ。
人を責めておる者は、一見相手を攻撃しておるように見えるが、そうではない。
自分自身を責めておるのじゃ。
人を責める者は、自尊感情が低下している者の特徴でもある。
つまり、お隣の親戚もまた、
「自分のことを許していない」「自分のことを好きではない」「「自分は役立っていない」
という感情をもっていることが伺える。
この点二人は鏡になっている。共鳴しあい、引き寄せ合っているということ。
この五十代の主婦が、「わたしは生きている価値がある存在なんだ。」と少しでも自分を認めてあげられた時、
相手から責められる回数は格段に減っていく。
なぜなら、自分がゆるめば相手もゆるむからじゃ。
相手が嫌い、相手が憎いと言うておるうちは、学びの本当の意味が分かっていない。
相手を変えようとしてもかわらぬが、自分が楽になれば、相手も楽になり、攻撃してこなくなる。
その者をいじめるために、このような出来事が起こっているのではないのだよ。
自分も相手も楽になれる生き方を知ってほしくて、このような組み合わせでお互いに学んでいるのじゃ。
ここにすべてが潤う答えが存在する。
相手から責められた時、言葉どおり受け取ってしまうと、とても傷つく。
そんな時は、ぜひ次の言葉を自問自答してみてほしい。
「なぜ自分はこんな言葉を耳にしているのか?」
「この人と自分はどこが共鳴しているのか?」
「自分は自分自身を責めていないだろうか?」