みやがわみちこがお届けする「なんでも仙人」ブログ

ご相談例三  おせっかいについて 


わたしのことを必要としていない方に手をさしのべてしまい、後でドッと疲れることがあります。
わたしは良かれと思ってとった行動なのですが、相手に喜んでもらえないばかりか、
エネルギーを奪われるような感じがしました。なぜこんなふうに感じるのでしょうか?



このような悩みは、優しいおせっかいやきやに多いな。

自分のことを必要としていない者に手をさしのべると、喜んでもらえないばかりか、
逆に相手にエネルギーを奪われてしまう。なぜこのようなことが起こるのか?

それは必要としていない者にとって、そちの存在が実際以下の扱いになるからなのじゃ。
相手にまったく悪気はないが、そのようになってしまう。

これは必要ないものが自分に入ってこないようにするための防衛反応のようなもの。
これも自分を守るために大切なことなんじゃよ。

ゆえ、相手がそちを必要としていない時は、手をさしのべず、見守ること。
必要とされた時に、はじめて手をさしのべる。その見極めが大事。

これは子育てにも言えることじゃ 。

親は良かれと思って、子供にあれこれとおせっかいをやく。
子供が失敗しないように、子供が傷つかないようにと、先手先手で手を打とうとする。

しかし親がおせっかいをやけばやくほど、子供は「うるさいなぁ。」という顔をしよう?
親子の間で嫌な雰囲気が漂う。

親は「親の愛を子供は分かっていない。」と思おうが、これは本当の愛ではないのだよ。

本当の愛とは、子供の中に内在する力を、親がどれくらい信頼してあげられているかなのじゃ。

親が先手先手で手を打つのは、
「うちの子には、そんなことを乗り越える力はない。」と無意識に思っているからなのじゃ。
つまり子供の力を信頼していないということ。
分かるかね?
子供が困るまでは見守る。困った時に、手をさしのべる。

見守るということは、忍耐がいる。
本当にその者を信頼していなければ、見守ることができないのじゃ。

見守るということがどれくらい深い愛か分かるかね?

『人を救う』というのは、目の前で困っている人に誰彼かまわず手をさしのべることではない。

相手が困って助けを求めた時に、はじめて手をさしのべる。
それまでは相手を信頼し見守ること。

見守るとは、ほったらかしにすることではない。
適度な距離で相手を見守ることなのじゃ。
その行為は祈りに近い。

相手がそちを必要とした時に手をさしのべると、
そこには自分も相手も潤うよきエネルギーの渦がまく。

コメント一覧

みやがわみちこ
素晴らしい!
うさうさ様

コメントいただきありがとうございます。

手を出し過ぎることもありますよね。
うん、あるある。

でも「辞めます」という宣言、素晴らしいです!

「どうせ、愛されてるもん」のじゅもん、
最高です。

これでもう、間違いなく、波動、変わってます(^-^)





うさうさ
私も…
私も心当たりが沢山あるのです

姉と7歳離れて、親にしたら、やっと2人目が出来た子供なので、心配余り手を取り足を取り
生活して来たものだから、社会に出ても困っていないに、声を掛けたり、やってしまい。相手が不快に度たら取られたりと…

やはり小さい頃からの、親の押し付けから、他人にして当たり前で
嫌な顔されて傷ついて…アホですよね
でも知らん顔してたら【冷たい人】【気が利かない人】と思われるのが怖かったり…でも、疲れる場合もシバシバ、でも仙人さんの言葉を聞いて、辞めます
どうせ、愛されてるもん
なんでも仙人の弟子
そんな時もありますよ。
紫さま

生きてると、いろんなことがあります。

依存したくなる時や、自分の存在価値がみいだせない時もあります。

焦ったり、落ち込んだり、時々浮上して、
また沈んだり・・・

そんな繰り返しでしたよ。わたしも。

ちなみに、このお悩み相談例は、わたし自身のことです。



自分にも…
本当にどのメッセージ・コメントを拝読しても、自分の中にあることばかりと思います。まさしく、鏡の法則でしょうか?結局は、自分自身を信頼しているか?ということにもつながるような気がします。私自身、自分を信頼していないから、自分自身にも相手にもおかしなおせっかいをやき、疲れて辛いことになっているように思います。自分は、役にたつ存在であるように位置づけているように思います。結局は、自分の存在を認めていないということですね。存在の意味、それが難しいです。
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