みやがわみちこがお届けする「なんでも仙人」ブログ

人をジャッジしない

 声が聴こえだしてすぐの頃のお話です。

 この頃のわたしは、人をジャッジしてました。

 「この人はどういう人だろうか?」
 「この人の言ってることは正しいのか?正しくないのか?」
 「この人の言ってることに耳をかす価値は、あるのか?ないのか?」

 嫌なやつですね、わたし。
 でも自分の中に、人をジャッジするもうひとりの自分がいたんです。

 誰にでもジャッジするわけではなく、
 特に自分の目上にあたる人(メンターとか、上司とか)に対して、
 ジャッジする自分がいたように思います。

 それで、「正しくない」と思うと、そのメンターにはもうついていけなくなっちゃうんです。
 その人の言葉は、わたしの耳を素通りしていきます。

 そんな時こう言われました。

 「そちは人の話を、0%か100%で聴いていないかね?」

 「え?」

 「自分が納得できる人の話は、100%。納得できない人の話は、0%。耳に入らない。」

「でも・・・。」

 「でも?」

 「納得できないと、心の抵抗があって、入っていかないんです。」

 「なるほどのぅ。」

 「それ、聴かないとまずいですかね?」

 「まずくはないよ。じゃが・・・。」

 「じゃが?」

 「そちがもっと楽に生きられるヒントが届いておるのを、
  みすみす見逃しておることになるのぅ。」

 「えっ?そうなんですか?」

 「そうじゃよ。出会いとは、お互いに課題と課題の奇跡的な組み合わせで成り立っておるからのぅ。」

 「う~ん。」

 「そちは目上の者(メンターや上司)に対して、手厳しい見方をしておるよのぅ。
  メンターたるもの、完璧でなければいけない。
  正しくなければいけない。
  そうでなければ、人を導く時、間違った方向に導いてしまうから・・・と。」

 「・・・そうですね。」

 「それ、そっくりそのまま、自分自身に言うておるセリフよのぅ。」

 「えっ?」

 「気づいてなかったのかね?
  そちは自分に対し、完璧を求めているのじゃよ。
  自分が常に正しい道を歩まなければいけないと。
  そうでなければ、人に伝えたり、人を導いてはいけない。そんな資格はないと。」

  「!」

  「じゃから、目上の人を見る時も、判断のフィルターにひっかかるんじゃよ。
   この人は本当に正しいことをいっているのか?
   人の上に立つ資格がある人なのか?とな。」

  「確かに・・・。そうですね。」

  「それ、解放してみぬか?」

  「え? どうやって解放したらいいんですか?」

  さて、このあとなんでも仙人は、どんな解放の仕方を教えてくれたのでしょうか?
  そして、人をジャッジしない方法とは?

  続きは次回のブログで。
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