常に全力でいろんなことに向き合っておられ、みなさんからの信頼も厚く、地域に貢献されています。
この方を拝見していると、「自分はまだまだ全力を出してないなぁ。」と思えます。
自分がなんだか手を抜いているような気がしてしまうのです。
このように比較しだすと、たいてい落ち込んで元気がなくなります。
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自分一人の時は落ち込まぬのに、誰かと比較しだしたとたん自分の良さを見失ってしまう。
まぁ、誰しもこのような経験はあろう。
さて、そちは五十代の女性のパワーにそちは圧倒されたようじゃが、
『どれだけ人に貢献したか?』
『どれだけ多くの者を救ったか?』
で、そちは人を判断してはおらぬかね?
このような判断基準でものを見ると、たいていの者は落ち込んでしまう。
自分がダメに思えてくる。
『どれだけ人に貢献したか?』
『どれだけ多くの者を救ったか?』
で見たら、病気で動けない者たちや、
人生にについて考えるため、立ち止っている者たちは、
存在する価値をなくしてしまおう?
『今の自分の器にあった愛を放ったか?』
この問いかけを、ぜひ自分にしてみてほしい。
自分の器を超えて、愛を放とうとすると、苦しむことになる。
『人は存在するだけで価値があり、愛される存在なのじゃ。』
よいか?大事なことなので、もう一度言うぞ。
『人は存在するだけで価値があり、愛される存在なのじゃ。』
人と向き合う時、
「あなたは存在するだけで価値があり、愛される存在なんだよ。」と伝えるには、
まず伝える者自身を、「そのままの自分で存在する価値があるんだよ。今のままでも十分よくやってるよ。」と
認めてやらねばのぅ。
一人一人がそれを自分に許していることが、とても大事なことなのじゃよ。