古代九州のことを調べていたら、
邪馬台国はどこにあったのか、という話を見かけて、
そういえばと気になったのでわたしも文章を読んでみました。
昔も一度読もうとしたものの、
こんなものどうせ読めないだろうとあきらめて投げていたのですが、
今読んだらそれなりに読めました。
わたしがかつて、読めないと思ったのは、
他人のダイジェストを読んで納得してしまったからでした。
でも、いろいろ読んできた今なら、
他人の文章を丸呑みにしないで済むようになっていたようです。
そもそも、
『三国志(魏書)』烏丸鮮卑東夷伝倭人の条、
いわゆる魏志倭人伝の中の、邪馬台国の記述がおかしいと言われているのは、
「文章を解釈したら、邪馬台国は海の真ん中にあることに
なってしまったから」
という話が出発点になっています。
でも、その解釈は誰がどこから出してきたのでしょうか?
先日見たとき、わたしはそこをまず疑問に思いました。
それまでの解説で、ほかの人は、
途中の道程解説で言うわけです。
「当時の船は離岸しての長距離航行はできなかった。
そのため、なるべく陸地に沿って進んでいたようだ」
で、最後に。
「厳密に読んだら邪馬台国は何もない海の真ん中に出る」
……そんなわけないでしょう。
完全に論理が矛盾しています。
文章が矛盾しているというのではありません。
説明した者、読解した者の、
解読ロジックが破綻していると言えるのです。
なぜなら、当時の船が、離岸しての長距離航行ができないなら、
海の真ん中をつっきるという考えに持っていくのが間違いです。
「○○方向へ船で向かう」
と書いているなら、途中で陸がなくなったとしても、
猪突猛進に書いてある方向どおりに海へ突っ込むわけがなく、
陸沿いに行ったと考えるのが、合理的な思考というものです。
ゲームでだって、同じ陸地の上にある場所でも、
橋と川の位置により、歩いていくのが面倒だとなったら
陸行せずに船で陸路の面倒な場所を飛ばして向かいます。
というところから、既存の説なんて
別に気にしなくていいのかもと思い、原文を読み始めたら、
もりっもりと時間が飛んでいっていて、びっくりしました。
でもがんばってがんばって文字を読み、
地図を印刷して書き込み、情報をまとめ、
ひたすら読み込んでいたら、邪馬台国が、
日本語発音だとどうなってどこで区切るのかが
うっすらわかってきました。
それを元に、日本の資料ではなにも言われていないのかと
古事記や日本書紀を読んでみたところ、
ほのめかす形で何度か出てきているようだと気づきます。
それらを元に資料を読み直すと、今の場所はわからなくても、
いわゆる邪馬台国は昔は何と言われた場所にあったかというのは
読めてきたように思います。
……おもしろいです。
正直、いろいろな資料を集めつつ、
それぞれの資料を見比べて、齟齬や矛盾を見つけて
その原因、解決案を考えるのは、ものっすごく楽しいです。
世の中の瑣末事に邪魔されず、
いろんなことを考え、研究して暮らせる生活だったら
どんなにかいいでしょう。