直列☆ちょこれいつ

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言葉の変換式と『がんばる』の語源他

2021年04月14日 | ちょこのひとかけ
北海道方言の語源と由来を調べているときには、
結構適当な事が書かれていて、
めちゃくちゃなこと言うなあと苦笑いしながら見ていましたが、
最近、沖縄方言の語源や由来を調べていたら、ふと、思いました。

――実は多くの人が、言葉の変換式を知らないのでは?


『言葉の変換式』という概念。
揺らぎの単語は、元の単語に一定のルールをあたえることで
変換されている、というようなものです。

たとえば、

 (基礎単語)→[ルール]→(方言単語)

というのが、基本となる変換式です。
このうちの、ルール、変換ルールを見つけるというのが
言語研究の一・二を争う重要なものです。


変換ルールさえわかってしまえば、
言語理解はかなり進みます。

たとえば、ルールのひとつ、『k=t変換』(ケーティー変換)です。
これを用いて、『今日』という単語を変換してみましょう。

変換式は

 今日(kyou)→[k=t]→ちょー(tyou)

となり、『k=t変換』では論理上、
『今日』という単語から『ちょー』という単語が発声することになります。
さて。この変換はありえるでしょうか、ありえないでしょうか。

……といえば、ありえます。
『ちょー』に酷似した単語、『ちゅー』で『今日』をあらわす言語が存在するからです。
沖縄弁です。

沖縄弁は基本的には母音が5音でなく3音で、
基本的には『o』音は『u』音に変換されます。
これを沖縄特有の『o=u変換』として、
『ちょー』をさらに変換してみましょう。

 ちょー(tyou)→[o=u]→ちゅー(tyuu)

問題なく『ちゅー』音ができました。
これにより、『ちゅー』は『今日』を『k=t変換』、『o=u変換』したものであると言え、
『ちゅー』の語源は『今日』である、と言えるわけです。

と言っても理解できない、理解したくない人はいるものですから、
もうひとつ、[k=t変換]の例を見てみましょう。

『おきばりやっしゃ』というような言葉の中核、
『きばれ(k bar)』です。

この変換式は

 きばれ(k bar)→[k=t]→ちばれ(t bar)

となります。
これを見ると、論理上は、
『きばれ』という言葉から、『ちばれ』という言葉が出現すると言えます。
……さて。この変換はありえるでしょうか。ありえないでしょうか。

といえば、ありえます。
『きばりよ』の意味で『ちばりよ』と発声する方言があるのです。
すなわち、『ちばりよ』は『k=t変換』にかけられただけの
『きばりよ』だと言えるわけです。

こういった変換は、方言だけでなく、
なにもめずらしくもなく、存在しているものです。

なのに、どうやら言葉の変換式すら知らない人間が、
地名の見た目の音、見た目の表記だけを冗談みたいにこねまわして
それを言葉の語源だと、本気で言っているようなのです。


……ところで。
『がんばる』という言葉の語源、言葉の由来をご存知でしょうか。
知らないなら、ちょっと調べてみてください。
そして、ついでに自分の頭でも考えてください。






考えられたなら、続きです。

ざっと調べると、『がんばる』の語源、由来は、
『我を張る』
『眼張る』
あたりだと述べられているように思います。

これを変換式に逆に入れて還元すると、

 『我を張る』←[  ]←『がんばる』
 『眼張る』←←[  ]←『がんばる』

だけ。
何もルールを使いません。
ただ、口語揺らぎ程度だろう、としています。
こういうものが、言語や地名にはものすごく多いのです。

では、先ほどの、『きばれ』の[k=t変換]式を見なおしましょう。

 きばれ(k bar)→[k=t]→ちばれ(t bar)

ここで、せっかくなので別の変換ルールをためしてみます。
[調整音+濁音]変換です。
調整音とは『っ・ん・ー』といった口調を調整するためだけに
入れられる音で、
濁音とは『゛・゜』のことです。

『きばれ』に[調整音+濁音]変換を入れてみると……

 きばれ(k bar)→[調整音+濁音]→kんばれ
 きばれ(k bar)→[調整音+濁音]→kっぱれ

『kんばれ』と『kっぱれ』ができる可能性が現れました。
『k』は英単語『ask(アスク)』などでする『k(ク)』音です。

これを踏まえ、声に出して言ってみましょう。
『kんばれ!』
『kっぱれ!』

それを何十回とつぶやき続ければ、
それぞれの『k』音の後ろに補われる母音は自然とわかるはずです。
それがわかると、出てくる単語は
『かんばれ』
『けっぱれ』
です。

もし、『かんばれ』の意味がわからないというのなら、
誰かに向かって『かんばれ!』と叫んでみてください。
どういう単語になるのか、自分の口、自分の心としてわかるはずです。


つまり、言葉の変換式さえ理解していれば、

『きばれ』
=『ちばりよ』
=『がんばれ』
=『けっぱれ』

は全部同じものであるとわかる、ということです。
『がんばれ』が『我を張れ』や『眼張れ』でないことは、
常識的・文法的にわかるでしょう。

でも、一般的にはこういったことは、
ざっと調べる限りでは、一切理解されていません。
言語学だか発声学だかでは、
普通に変換ルールとして公に示されているのに、
地名や方言を考える人は、普通にそれを使うことをしないのです。
正直、意味がわかりません。


言葉の変換式がわからない、理解したくない人に向けて
もうひとつ例を出すなら、『五十嵐(いがらし)』がわかりやすいでしょう。

今、五十嵐の語源を適当に調べると、
アイヌ語でイカなんたらという言葉があるので
それに漢字を当てた云々と言っているようです。

……この説には、常識的解釈が欠けています。
たとえば、『イカラシィ』とかなんとかのアイヌ単語があるとしたら、
それに漢字をつけるなら、『伊賀嵐』とかにすればいいでしょう。
なぜ、そう読めない『五十』なんて漢字をあてているのでしょうか。
ここのところを、アイヌ語語源話は一切説明しません。

常識的・文法的に解釈すれば、『イカ』と読めない『五十』が
そこに当てられているというのは、
漢字が当てられた当時は『五十』で読める音であったものが、
経年劣化で音が変わり、『五十』で読めない『イカ』にされた、
とすべきものです。

では、『五十』がイカになりそうな理屈はわかりますか?

……と考えれば、言語の変換式さえ理解しているなら
簡単に思いつくのが[k=t]変換です。

 『???』→[k=t]→イカ(ik)

となるのですから、これを逆に使えば

 『イト(it)』→[k=t]→イカ(ik)

になるとわかります。

『五十』には
『五十鈴』の『いそすず』のように『いそ』系と
『五十迹手』の『イトテ』のように『いと』系の
発音がありますが、
k=t変換を受けているので、
『五十嵐』の『五十』部分の元の発音は
『イト』だったとわかります。

では、『五十鈴』はアイヌ語単語でしょうか?
『五十迹手』はアイヌ語単語でしょうか?
……違うでしょう。
それと同じく、『五十嵐』だってアイヌ語単語ではありません。
他の部分にも変換が用いられているため、そのままでは解釈できませんが、
変換ルールさえ知っていれば、
普通に元の単語に変換できる言葉です。

なのになぜ、こんな簡単な変換さえ試されず、
飲み会でよっぱらって鼻に鉛筆突っ込みながら
テーブルの紙ナプキンに適当に書き付けたダジャレみたいなものが
由来譚・語源譚としてまかり通ってしまうのか、
ほんっとうに意味がわかりません。

ダジャレで語源作って広め、デマまきちらして喜ぶなんて
頭おかしいんじゃないかとつい思ってしまいますが、
周りからしたら頭おかしいのはわたしのほうなのでしょう。

本当に地名や方言考える人は変換ルールを知らないのでしょうか。
それとも知っていて使ってはいけない何かがあるのでしょうか。
あるいは変換が理解できないのでしょうか。
もしくはわたしの論理が破綻しているのでしょうか?
……わたしには区別つきません。

今までほぼ何をやってもばかにされて笑われて
ないがしろにされるだけの人生でしたが
どうせ笑ってばかにするなら、わたしのなにがおかしいのか
具体的に教えてくれればいいのに。

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