直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

いじめと傍観者

2020年10月04日 | ちょこのひとかけ
いじめは、止めもせず傍観しているだけの人間も
加害者と一緒 とかいう話がありますが、
あれは違うと、ふと思いました。

いじめというものは、強者が弱者を食い物にしているものであり、
それを弱者が止められるものではないのです。

状況で言えば、ライオンがシカっぽい生き物に食いついて殺そうと
しているようなものであって、
周りにいるシカっぽい生き物に、
あいつが食われて死に掛けているのは、
おまえたちが殺しているのと同じことだ、と言うならば、
それは違うでしょう。
殺しているのはあきらかにライオンだけであって、
シカっぽい生き物たちは自分の命を守っているだけです。

別の状況で考えるならば、
いじめは無差別連続殺人が行われている状況です。
人がつぎつぎと殺されていくのに、止めもせず
傍観しつつ逃げようとしているというのは、
殺人に加担したことになるでしょうか?

いじめを見かけたら止めろというのは、
それくらいのことです。
自分の命が大切な人は、他人を止められるわけがありません。

止めたい、止めようと思うのならば、
止められるだけの環境を整備すべきです。
たとえばいじめを見て動画にとったら、
いじめている相手を殺していいとか、
業者が来て殺処分してくれて、
決してとばっちりがくることがないとか。
自分に被害が及ばないとなれば、そこではじめて、
止めようとする気持ちも出るでしょう。

環境はなにも整えない、逆恨みされて殺されようが知ったことじゃない。
でも傍観するのはいじめをしているのと同じ。さあ止めろ
とかいう精神論は頭がおかしすぎます。

日本では、起動スイッチと自爆ボタンがまったく同じ見た目で
横に並んでいても、
ボタンの位置を変えようとはたらきかけるのではなく、
よく見ていたらボタン押し間違えは防げるはず、
根性で事故を回避しろ、みたいな精神論だけで済まそうとするのが
すごく残念で、不愉快です。

何かを変えさせたいなら構造をかえなくてはいけません。
起こりそうなものは精神論では防げないのですから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レビュー:十勝白い牧場アイ... | トップ | 寒さと心臓 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ちょこのひとかけ」カテゴリの最新記事