直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

ない青春と人生の終わり

2017年06月26日 | ちょこのひとかけ


最近、ふと友達の頭を見たら案外白髪が目立っていて。
ある日鏡を見たら、わたしの頭にも存外白髪があって。
確実に死というものが近づいているんだと感じました。

その後、夜に黒い悪魔と遭遇し、
スプレーと叩きとをびくびくと構えて向き合っているときに、
ふと、自分が死んだあとのことが浮かんできたのです。

今はこうやって倒そうとしているアレですが、
たとえばわたしが一人で死んだあと、
体はそれらに群がられ、食べられるのではないでしょうか。
残りは腐って汁となり床の染みとなり、
残った骨をいつか誰かが見つけるのかもしれません。

わたしは今までに、ギネスブックに乗れたらと
無駄にいっぱいショートショート書いたり、
今まで千年も解読されていないならと
全精力をこめて古文の解読をしたりといろいろがんばりましたが、
それらも決して認められることもなく、
わたしの体、わたしの集めたもの、わたしの知識の一切が
すべてごみとなって捨てられるのです。

……なんてつまらない人生でしょうか。
今までも別に楽しい人生ではなかったし、
生きていて嬉しい! なんて思ったことは
手術後のすこししかなかった気もするけれど
終わりまでそんなものだったらあまりにもみじめです。

今思えば、わたしの人生、青春なんてまったくありませんでした。
ここまで生きて個人的には、青春とは、
『好きだなんだのすったもんだ』だと思うのです。

普通の人は、小学中学高校大学とかでも人を好きになり
勤めてからは誰かと結婚して夫婦になりするものでしょう。
好きな人に認められたいとか、話したいとか、
一緒にいたいとか、一緒になりたいとか。
そんな気持ちで自分でない人間に対し、
わくわくどきどきした浮かれた時間をすごすのが、たぶん青春です。

でもわたしにはそれがありません。
強がっているわけでもかっこつけているわけでもなく、
わたしは誰かを好きという気持ちがまったく持てないのです。

わたしが気に入る人がいても、それは気に入っているだけ。
一緒にどこかに出かけたいかと言えば、
別にでかけなくていいです。
一緒に話したいかと言えば、
話してもいいけど話さなくてもかまいません。
一緒に食事したいかと言えば、食事したくはないし、
ずっと一緒に生活する仲になりたいかと言えば、
そんな気持ちは一切ありません。
他人は他人だし、他人には他人の人生があります。
そんな他人を自分のものにできるとは思わないし、
自分のものにしたいとも思いません。

学校のころからの友達は、わたしが好む相手や嫌っている相手が
見ていれば簡単にわかると言います。
わたしの恩師は、昔わたしが知り合った子の話をしていたら、
わたしがその子に恋をしているみたいだと言いました。
でも、他人から見たら恋をしているのかもしれなくても、
わたしにはそれが自覚できないのです。

物がおいしいのかおいしくないのかすらよくわからず、
誰かを好きなのか嫌いなのか、恋をしているのかすら
自分で気づけない人間。
そんな人間がほかにいるのかと調べたら、
アダルトチルドレンにはありがちな症状なのだとか。

そういえばわたしもこどものころ、
おしゃべりすれば、早死にするからその分をしゃべっているんだと
何度も言われたし、
親を怒らせたらふとんばたきで何度も叩かれたし、
それで泣けば侮辱されながらからかわれたし、
きょうだいが正座で叱ると痙攣するほどおびえるのに
お前は痙攣しないから反省がないとののしられたし、
夜に家から追い出されて、泣けばここに住めなくなるといって脅されたし、
たまには湯船の水に沈められたし、
道路そばにつれていかれて、世の中には当たり屋という商売があって
こどもを車に跳ねさせて金を取る親もいるんだ などと言われながら
車が通るたびに背中をこづかれたりもしました。
それに対して抗議をすれば、親の親は金属のスコップで
殴ったりしてたんだから、こんな程度なんでもないだろうと
いうようなことを言われました。

体のわたしは生きつづけられたけれど、
本来の心のわたしはこども時代のいつかに死んでいたのかもしれません。

わたしが人生で強く学んできたのは、
周りはどうにもならないし、周りはどうでもいいということ。
ずっと他人のことはどうでもよくて、
自分のことだけで手一杯だから他人に愛情を持つことも
できないんだと思っていました。

でも今考えると、わたしの自己評価が低いのも、
基本的に何かをしたいと思えないのも、
他人がどうでもいいどころか、自分自身をどうでもいいと
思っているからなのでしょう。
そしてそれはたぶん、わたし自身が周りから
どうでもいい扱いばかりされてきたことによるのでしょう。

だからわたしの底にあるのは火で、
その火は外に出せない恨みや憎しみの炎となり、
自分の身を焦がすのです。

思うにつけて、どうしようもない人生です。
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