直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

竹取物語のかまどについて

2015年04月30日 | ちょこのひとかけ


竹取物語で現在訳されている『かまど』はすべて誤りです。

なぜかと訊かれるならば、逆に訊きかえしましょう。
「今の訳があってると思ってるの?」
と。

本文ではかまどを三重にしこめますが、
かまどを三重に囲むってどういうことでしょうか?
それにどういう意味があるのでしょうか。
今の訳が正しいと思っている人は、それを説明できるのでしょうか?

でもわたしは、かまどの意味がわかりますし、
かまどが三重にしこめられる意味も説明できます。
けれど、それをブログで書いてみたところで、
何の意味もなく流れて埋もれて終わることでしょう。

どうにかして新訳をまともに提示し、
今、変な訳で満足している人たちにそのおかしさを省みてほしい――
というところで思いついたのが論文。
論文を書いて認められれば、
現在のふわふわした妙な訳を変えられるかもしれません。

……という変な使命感から一応論文を書いてみることにしました。

学術論文なんて書いたことがないので
論文というものや書き方から調べて、
行為自体にも疑問を持ちながら書いて悩んで苦しんで、
六か月くらいかかって、ようやくわたしの初論文がほぼ完成しました。
内容自体はまとまったので、あとは文字体裁整えと最終推敲だけです。

普段の文体なら一か月もあれば完全にまとめられるところ、
論文特有のくだらないルールに縛られて、無駄に手間と時間をかけさせられました。
本当に日本の論文ルールはばかだと思います。

特に感じるのは、一人称の「筆者」。
竹取物語なんて、漢文原作者と和文訳者、訳文を書き写した者と、
その書き写した物を本にした者など、たくさんの筆者がいます。
なのに、論文を書くわたしを「筆者は」なんて言ったら、
ほかの筆者と混ざって逆にどの筆者のことを言うのかわかりにくくなります。
わたしが思って語るから、一人称は「わたし」。
そのほうがわかりやすいし合理的だと思うのに、
日本の論文の権威はなにを考えてるのかまったく理解できません。

論文は事実を語るもので、筆者の思いなどは入れない、
だから「わたしは思う」というような書き方をしてはいけない、
などと論文の書き方で目にすることもすくなからずありますが、
わたしはそれは違うと思います。

論文というのは、
「『わたし』がこれをこう研究したらこういう結果が出た。
だから『わたし』は、これはこうだと思って結論づけるけど、
みなさんはどう?」
という内容告知と問題提起の文だと思います。

たとえば、薬。
「メニョンチョフ1mgを毎日投与していたグループは
1か月後に血圧が下がっている患者が70%いた。
投与しなかったグループは1か月後も血圧が下がらなかった。
よってメニョンチョフには血圧を下げる効果が認められる」
というような論文を出したとして、それが事実とは限らないわけです。

実際、薬メーカーなんぞは、薬に効果があると認めさせて
薬を売りさばいて金を稼ぎたいので、
適当なおかかえ医者にデータ捏造の論文を書かせたりしています。
そのことはニュースにもなったりしました。

製薬会社の息がかかっていない人が追試を行ったら、
その薬には論文が示す薬効が認められないということも普通にあるわけです。

つまりその論文は、「事実を事実として示している」のではなく、
「この薬にはこういう結果から、こういう薬効があると『わたしは思う』」
でしかないわけです。

それは、ほかのカテゴリーの論文においてもそうでしょう。
たとえば機械分野にしたって、
「古見出が原ネジにおける緩みにくさの優位性」なんて論文があったとして、
古見出が原ネジを使うとネジの緩みにくさが
ほかのネジと明らかにちがうと筆者が結論付けていたって、
その正しさは他の人がそのネジについて調べてみなければ
ほぼ証明できないわけです。

論文なんて、「わたしが思う」もの。
「わたしが思うから、みんな試して確かめてね」を
大仰に言ったもの。
なのになぜ、論文内で「わたし」を使ってはいけないのか、
「わたしは思うのである」とまとめてはいけないのか、
わたしには本当にまったく意味がわかりません。

「筆者は」とかで一人称を三人称っぽくすることで、
なんとなく第三者視点が入っているように見せかけて、
客観性があるように見せかけたいのでしょうか?
……非合理的で、ばかばかしいルールとしか思えません。


そんなわたしが書いたので、わたしの論文など
形式が違っているとして読まずに捨てられるか、
読まれても内容が今の常識と違うといって捨てられるか、
論文投稿を受け付けている雑誌の風に合わないとか言って捨てられるかの
どれかに終わるんだろうと思ってとても憂鬱です。

でも一応書いたので、近いうちに投稿してみようと思います。


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概要と証明


◆◆画像15-04-30◆◆



画像アップ日時はChromeで画像のみ表示して、Ctrl+Shift+J。
そこに javascript:alert(document.lastModified); を入力。

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この、だれも訳せなかった「かまど」の訳し方の論文が
論文雑誌かなにかに掲載されて正当性が認められれば、
同じく、だれも訳せなかった「十六そをかみにくとをあけて」の
新しい訳しかたの信憑性が格段に増します。

そうしたらこのかまど論文を実績として、十六そをかみに論文で
大学院や論文博士を目指したいものです。

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