最近ぼちぼちと、死とその先について考えます。
いろいろ聞いたりした話を総合すると、
おそらく人間には輪廻転生があります。
肉体を持った『生』の状態が特殊で、
その状態でないとき、人間は『静』とでも呼ぶべき状態にあります。
ちょっと考えても、生きている時間より、
死んでいる時間の方が長いことがわかります。
人間はおそらく大きな神によって作られました。
神は自分の姿が見えないので人間を作り、
人間を観察することによって自分というものを見ようとしたらしいです。
ですが、そこらへんで劣化コピーというか
失敗が起こり、人間は霊性の目を失い、正しい道も見失いました。
ひとつの魂に求められているものは、
正しく愛し、正しく愛されること。
それを学ぶために、人は肉体のある生にやってきて、
死んでいくのです。
人間の生は、神から与えられたおこづかいのようなものです。
それを使って大事な経験をしなさいと神からあたえられます。
あるうちはむだづかいしがちなものです。
人はもともとは、その『個』である魂があるようです。
魂状態のときには、すべてがどうでもよくなるような、
深い『愛』に包まれていると感じるようです。
そして魂状態のときには、自分と対になるような存在、
お互いを支え、高めあえる存在のようなものが
近くにいるようです。
これがいわゆるソウルパートナーです。
魂状態のときに、個はソウルパートナーと相談し、
次の人生ではなにを学ぶかを決め、
生まれる過程に進みます。
生まれる過程では、大きな魂状態から、
多少具体的な形を与えられます。
たいていは五歳くらいのこどもの形であるようです。
大きな魂状態の記憶は封印され、
ソウルパートナーとも分離させられます。
そして、学ぶものの種類かなにかで集団がわけられます。
その集団で仲良くなった子がいると、
きょうだいとして生まれて来ようと約束することもあるようです。
こどもがうまれると泣くのは、かつての死の恐怖や
肉体を持ってしまったことで大きな『愛』から
分離されてしまったという悲しみによるのかもしれません。
こどもがどんなつまらないものでも、自分の持ち物というものに
やたらに執着するのは、おそらく前世で
自分の持ち物をすべて取り上げられたことによるのでしょう。
かつての自分の人生、自分の歴史、自分のいのち、自分の物品。
でも、人間が真に人生で得るべきものは
お金ではなく、どんなときでも正しく愛し愛されること。
そのために、こどもはある程度親を選んで生まれてきます。
今の自分の状態を見ると、自分の親が抱えている人間関係や愛の状態が、
自分と似ていると思う人は多いのではないでしょうか。
たとえば、親がその親と不仲だったばあい、自分も親と不仲だとか。
親がきょうだいと不仲だったばあい、自分もきょうだいと不仲だとか。
母親が父親に暴力を振るわれていた場合、
自分も夫から暴力を振るわれているとか。
それはおそらく、その状態になるように
自分が選んで生まれてきているからです。
その状態を克服し、自分も、相手も
正しく相手を愛し、愛されることを学べるような
状況が与えられているのです。
自分がなぐられているからと言って、
どうぞなぐってくださいと言うのは、正しい愛しかたでも
愛され方でもありません。
暴力なしに、お互いが愛し、愛されて満たされる関係を
作ることが多分本当に求められていることです。
そういう点でのもっとも重い罪は、
そこから逃げ出して自殺してしまうこと。
魂にとっての罪は自殺が一番重いようです。
相手を立ち直らせようとする、
もしくはどうにもならなくて相手を殺してしまうことは、
自分にとっての罪はそう重くないらしいです。
もし前世で他人を支配し、他人の愛を奪い、
自分から与えることはなしに満足していた場合、
次の人生では自分だけが与えて、与えられることはなしに
人生を終わるのかもしれません。
幼児虐待で殺されるこどもはもしかすると、
前世がそういう流れだったのかとも思います。
そのために、虐待する親への気づきと自分の学びのために、
生まれて親への愛情をひたすら送りながらも拒否され、
死んでいくのかもしれません。
そんな中でうまく目を開き、人生の課題を乗り越えようとしていると、
現れるのがソウルパートナーです。
それぞれ別の道を歩いていた、対の相手とまじわることで、
人生の問題もまた起こるかもしれませんが、
別の問題の解決が導かれることにもなります。
このソウルパートナーが自分ともっとも縁の深い相手であり、
転生したあともおそらくまた出会えます。
一方で、親やきょうだいの魂の絆は、そう深くないと思えます。
人は、自分が受け、解決したい問題を持っている親を選び、
そこから生まれてきます。
次の人生では次の解決すべき問題を持つ親を選ぶでしょう。
きょうだいも、おそらく次のこども状態のときには
それぞれ課題が違うので、また別の人のところに行くでしょう。
そう考えると、親やきょうだいとの今生の別れは、
もしかしたら今生どころではない別れかもしれません。
それは、とてもおそろしいです。
生死のことを考えると、とても憂鬱になります。
すくなくとも、死が終わりではなく、
むしろ元の状態に戻るだけなのだと心からわかるのであれば
もっと楽に、幸せに暮らして行けるのに。
なぜ生死システムにおいて、生まれる前の世界の記憶が
一切封じられているかが、個人的にはとても疑問です。